はじめてのこよみ暮らし

七十二候をはじめて過ごす「家族」の記録

太宰治『きりぎりす』表紙

しほと太郎は七十二候の「蟋蟀在戸」にちなみ、太宰治の短編小説「きりぎりす」の読書会をすることにしました。
「きりぎりす」は、画家である夫へ別れを告げる女性の独白体により、変わりゆく夫と生活と、それらの変化にともなう女性の心情がつづられています。
太宰治作品は著作権が切れているので青空文庫で読むことができます。ぜひ一読してあなた自身も2人の会話にツッコミを入れながらお読みください。

太郎 編集長は「きりぎりす」を読んでどう思いましたか? 好きな部分とかありますか?
しほ いきなりね! そういう太郎は?
太郎 原稿用紙30枚余の短編小説ですが、私は太宰治が理想とする女性観をはっきりと描いていて面白いと思いました。
しほ そうだね。複雑な気持ちがよく現れていた。でも、太宰治の理想って、どんな?
太郎 それはこの小説の肝になると私が考える部分でもあるんですが、

この世界中に(などと言うと、あなたは、すぐお笑いになります)私でなければ、お嫁に行けないような人のところへ行きたいものだと、私はぼんやり考えて居りました。

のところですね。
しほ なるほどー。私はそんなこと思ったことないな。そうそう、「きりぎりす」を読んで、こんなこと思ったことないな、とばかり思ったよ。 あとは母の話を思い出した。
太郎 お母さまですか。なぜ?
しほ うちの父も絵描きだから。教師だったけど。 あと母に他にも縁談があった、なんてことも聞いたことがある。ハワイの実業家とかだったかな。
太郎 なるほど。編集長のご両親に登場人物を引き寄せて読んだんですね。

結婚観、「私でなければ、お嫁に行けないような人」ってなんだろう

太郎 編集長は、なぜこの女性は「私でなければ、お嫁に行けないような人のところへ行きたいものだ」 と考えたと思いますか?
しほ たった一人を一生に一度選ぶわけだから、失敗もしたくないし、覚悟も必要だし、自分が決めたかったんじゃないかな。
太郎 なるほど。
しほ 自分に誰が合うかなんて、自分にしかわからないでしょ。
太郎 そうですね。ただ、「私でなければ、お嫁に行けないような人」ってつまりダメ人間だから結婚して失敗する確率が多いと思うんですよ。
しほ そうなのかな?
太郎 作者である太宰治の顔がどうしても思い浮かぶんですけれど。私は、「私でなければ、お嫁に行けないような人」へお嫁に行きたいというのは女性の独占欲のあらわれかな、って思いました。

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太宰治, 撮影:田村茂

しほ 男性でいうと、守ってあげたいタイプを好きになるような感じ?
太郎 似て非なる感じですね。全盲の女性とか車椅子の女性とか知的障害を抱えた女性とか、自分がいなければこの人は生きていけない、そういう人と結ばれたいという破滅的な感じです。
しほ それはちょっとわからない世界観だけど共依存にもつながりそうだね。
太郎 まさに。共依存の関係で愛し合える理想の女性像を太宰治は描いたのだと思います。

太郎の無人島仮説

しほ 私は、結婚するなら、私がいなくても一人で居られるだろうな、という人がいいと思う。
太郎 お、編集長。今の私もそれに同感です。しかし私は学生時代まではこの女性のように、無人島へ漂着してともに暮らせる人でなければならないと信じていました。
しほ どういうこと?
太郎 無人島へ漂着すると、相手にとって私が他人のすべてであって、私にとって相手が他人のすべてである、そういう関係になります。お恥ずかしい限りですが、そうではないと結婚とは呼べないと思っていたのです。
しほ へぇへぇへぇ。3へぇ
太郎 ありがとうございます。たぶん太宰治が生きていたら「太郎君。そうですよ、結婚は無人島でなければならないのです」と言ったかもしれません。
しほ これだから文学青年は…。
太郎 太宰治の「ヴィヨンの妻」にもこうあります。「人非人でもいいじゃないの。私たちは、生きていさえすればいいのよ」と。
しほ そう。話を戻そうか。

「きりぎりす」の主人公である女性の人物像

太郎 編集長はこの小説のどこが好きですか?
しほ 女性のくどいところ。
太郎 たとえば?
しほ ここ。

私にも、いけない所が、あるのかも知れません。けれども、私は、私のどこが、いけないのか、わからないの。

みたいに、一旦自分を卑下してから相手に訴える話法とか。
太郎 なぜ女性はそのような卑下してから訴える手法をとるのだとお考えですか。そしてそれについて編集長は好感を持っているんですか?
しほ 一旦相手の言い分を受け入れることで、自分の言葉に角が立たないように聞こえるからではないのかな。 コミュニケーションの一つのあり方だから、好感を持つかどうかより、この女性は相手がなんて思うのかわかっているのだろうな、と感心してる。
太郎 なるほど。この小説は女性の独白というか夫への手紙のように書かれています。この女性についてどんな人物だと考えますか?
しほ 変化に臆病な人かな
太郎 どこで、そう考えましたか?
しほ こことか。

(夫の評判が)あんまり、よすぎて、私は恐しい気が致しました。

太郎の言うように独占欲が強いのだろうね。
太郎 なるほど。女性の知的教養はどのくらいだと思います? 教育環境とか社会的地位とか。ちなみに「きりぎりす」は1940年発表の小説です 。
しほ いいところのお嬢さんであることは確かだよね。 だから、なぜ売れないしがない絵描きを選ぶのか、不思議でもあって。
太郎 「モオパスサンだって、やはり信仰には、おびえていたんだね」とあるように女性はフランス文学に精通しています。卑下してから見下す言い方をしている箇所の

私だって、なんにも、ものを知りませんけれども、自分の言葉だけは、持っているつもりなのに、あなたは、全然、無口か、でもないと、人の言った事ばかりを口真似しているだけなんですもの

などから言葉を持っている、すなわち文学を専門的に学んだ女性なのではないかと思います。
しほ そうだね。
太郎 また、

淀橋のアパートを引き上げ、この三鷹町の家に住むようになってからは、楽しい事が、なんにもなくなってしまいました。私の、腕の振いどころが無くなりました。あなたは、急にお口もお上手になって、私を一そう大事にして下さいましたが、私は自身が何だか飼い猫のように思われて、いつも困って居りました。

とあります。教養も学歴もあって自立心がある女性なのに、時代のせいでうまくいかなかったのかもしれなません。

高貴な精神と独占欲、そして呪い

しほ でも、教養があって人への理解力があるという自信があったから、結婚相手にはこだわりたかったのかな。 ただ、「この世に、そんな美しい人がいる筈だ」と思ってた、という女性の理想があまりよく理解できないや。 自分が美しい人でありたかったのかな。
太郎 自分にも夫となる人にも高貴な精神を求めたのではないでしょうか? 独占欲が透けて見えるので、ややゆがんだ高貴さ、ですけれど。「ああ、あなたは早く躓いたら、いいのだ」あたりは高貴な精神への希求よりも独占欲が強くなっています。
しほ ほら、やっぱり、最初から私の言うことを聞いておけばよかったんだ、と言って、相手の気持ちを萎えさせていくのよ。
太郎 ふむふむ。ただ、女性も社会的には夫の言動のほうが社会的には正しいとはわかっていて、戦法と言うよりもはや私のものにならなかった夫への呪いになっています。
しほ そうだよ、呪い。きっと、この方のお母さんも似た考え方して居たのではないかなあ。これは憶測。ところで、なんできりぎりすなのかな。
太郎 小説に実際に登場していたのはこおろぎですね。太宰治のふるさとである青森県をふくめ東北北陸地方ではきりぎりすを「こーろぎ」と呼ぶ地域もあるようです。
しほ それだけかなあ。

寓話「アリとキリギリス」

太郎 編集長は「アリとキリギリス」 という寓話はご存知ですか?
しほ うん、もちろん!
太郎 編集長は、その寓話のキリギリスにはどのようなイメージを持っていますか?
しほ 怠け者?
太郎 そうですね。たぶん女性は働き者のアリに自分をなぞらえ、夫を怠惰で享楽にふけるキリギリスになぞらえたかったのではないでしょうか? そして冬に怠惰なキリギリスが餓死するのを見ていくアリのような結婚生活を送りたかったのではないでしょうか。
しほ 怖い!
しほ ここのところ、

この小さい、幽かな声を一生忘れずに、背骨にしまって生きて行こうと思いました。

ってどう言うことかな。
太郎 冒頭で「おわかれ致いたします。」と言っているのですから、女性が夫と別れて一人となった後もあなたと淀橋のアパートで暮した二年間の楽しい月日をいつまでも思い出にとっておきます、ということではないでしょうか。
しほ なるほどね! 太宰治の「きりぎりす」。まあ、面白かったけど、びお的だったかな……。たまには読書を一緒にするのもいいね。
太郎  そして感想を言い合うのも自分が気づかなかった見方を知ることができますね。

お読みいただきありがとうございます。
読書の秋です。ぜひみなさんもご家族やご友人や同僚さんたちと夜長に読書会を開いてみてください。

きりぎりす積み木崩すの楽しくて 林甲太郎


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