びおの七十二候

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雀始巣・すずめはじめてすくう

春分初候・雀始巣

雀始巣――スズメが巣を作り始める時候を迎えました。
スズメの巣のことを、「近頃スズメを見かけなくなった。何故だろう?」で書きました。この半世紀で、スズメが9割も激減してしまった、というのは大きな驚きで、この記事のことはあちらこちらで話題になっているようです。
草木の葉がのびてスズメが隠れることを「雀隠れ」といいますが、この季語、このままでは消えてしまうかも知れません。自然を失うということは、季語を失うことでもあるのです。

今候は、魚上氷(うおこおりをいずる)で紹介した釈迢空しゃく ちょうくうの歌を、再び取り上げます。

山のうへに、かそけく人は住みにけり。
道くだり来る心はなごめり。  釈迢空

民俗学者折口信夫(1887~1953)は、三河、信州、遠州の国境の村を歩き回り、歌人釈迢空としても、多くの仕事を残しています。前回の、

山峡の残雪の道を踏み来つるあゆみ久しと思うしずけさ

という歌は、遠州の最奥地の村、西浦(にしうれ)集落で厳寒期に開かれる田楽能を見に行く道すがら詠まれたものですが、この歌も、同じ歌集『海やまのあひだ』に収められています。この歌の「かそけく人は住みにけり」のかそけくは、かすかなさま、ひっそりと隠れているさまをいいます。
天竜の奥地は、ダムの建設に伴って、天竜川やその支流の川に沿って道路が付けられていますが、ダム湖に面した道から目を山側に転じると、中腹あたりに人家が点在していることが望見されます。どうしてあんな場所に人家があるのか、最初は不思議でなりませんが、少し考えると、もとの道が山の中腹にあったことが分かってきます。
山の道は樹木の茂りで見えません。家と、家の周りに少しばかり畑などがあって、そこだけぽっかり穴が開いたように見えます。屋根だけが見えて、建物も畑も見えないものもあったりします。廃屋になった家を、樹木が覆っているからです。
点在する家の位置は、高かったり低かったりしますが、その分、道は登り下がりしているのです。むかしは何につけ、歩いてしか移動できない山地であり、折口信夫、釈迢空は、その道を「かそけく人が住」む人家のかまどから立ちのぼる煙を横目にしながら、「道くだり来る心はなごめり」と詠むのです。
折口のこのやさしさが、古代人へと通じるのだと思います。

折口が歩いたこの道を、わたしも探索したことがあります。日本のヨーデル「うぐいす」を求めてのことでした。
ヨーデルといえば、表声と裏声を交互にひっくり返した独得な歌い方と節回しで知られるアルプスの歌を思い浮かべる人が多いと思います。ヨーデルは、もとはスイスのきこりや羊飼いの間で用いられていたコールでした。谷を隔てたきこりどうしが、またアルム(高地の牧場)の遠くに離れている羊飼いどうしが連絡を取り合うために、このヨーデルを用いました。そしてこの唱法は、彼らの楽しみだった歌や踊りの合いの手として、踊りの歌として、段々と、今日わたしたちが知るヨーデルにかたちを整えて行きました。

日本のきこりの間で、アルプスのヨーデルと同じようなコール法が用いられていたという話を聞いたのは、もう三十年近くも前になります。
信州と遠州の国境である遠山や水窪の山中では、それを「うぐいす」と呼んでいたという話を耳にしました。わたしはこの話につよい興味を惹かれ、柳田国男、折口信夫や宮本常一などの民俗学者が歩いて回ったように、天竜の奥地に何回か足を運んで、古老たちに聞いてみました。けれども、何も分かりませんでした。しかし、想像してみるだけでたのしかったことを覚えています。

きこりたちの「うぐいす」が天竜の谷に響き渡っていくさまを、わたしは木立の震える音に聞きました。その符牒ふちょう※1の綾、唄い手の顔、それらをわたしは思い描くことができました。ときに高く、早く、時に低く、ゆっくり唄うようにして……。こちらは学問というより、ただ「うぐいす」の仔細しさい※2を知りたくて聞きまわっただけでしたが。

文/小池一三

たかだみつみ木版画桜

これだけの地震に襲われても、桜の花は咲きます。人生、往くときの桜は華やかさに至福を感じますが、還るときの桜は、もののあわれを誘われます。

「桜の樹の下には屍体が埋まっている! これは信じていいことなんだよ。何故って、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だった。しかしいま、やっとわかるときが来た。桜の樹の下には屍体が埋まっている。これは信じていいことだ」

梶井基次郎かじい もとじろうの文章です(青空文庫はこちら)。
満開の桜は、ある人には生命そのもののように美しいものだけど、梶井はこれを直視することに耐えられず、逆に死のイメージを見ました。梶井が見た桜は、伊豆湯ヶ島温泉の世古峡せこきょうの高い断崖に立っている桜でした。この桜の真向かいに梶井が療養生活を送った湯川屋がありました。梶井は肺結核に罹り、二階の部屋からこの桜が見えました。桜の背後には、暗い杉林がありました。

この桜は今も残っていて、ソメイヨシノでした。死の幻想と戦慄を感じさせるのがソメイヨシノであって、花つきの少ない山桜だったらどうだったのか、と思われます。

あしひきの山桜花 日並べてかく咲きたらばいと恋ひめやも 山部赤人

この歌は、平城京を囲む丘陵に咲く山桜を詠んでいます。桜恋の歌といわれていて、あくまでも明るい歌です。

清水へ祇園をよぎる桜月夜こよひ逢う人みなうつくしき 与謝野晶子

『みだれ髪』に出てくる、洛中洛外らくちゅうらくがい※3の京都にいて詠まれた歌です。丸山公園のしだれ桜は、かがり火に映えます。八坂神社から高台寺を経て、二年坂、産寧坂さんねいざかの石畳の道を登り清水さんの桜を愛でるのは、今でも最高の花見道です。そこにソメイヨシノはありません。
二年前、わたしがあまりにソメイヨシノを攻撃するものだから、ある女性の癇癪かんしゃくを呼んだことがあります。桜の思い出は、人さまざまなので一様に言えませんが、花が持つ表情が呼び覚ますイメージは、花によって異なると、今でも思っています。

散る花を 惜しむ心やとどまりて
また来ん春のたねになるべき 西行さいぎょう
初桜折しも今日はよき日なり 芭蕉
散る桜 残る桜も 散る桜 良寛りょうかん

最後の句は、良寛の辞世の句です。土に還るときにも、あわれを誘われることなく、明るさを感じる句があるのですね。

文/小池一三
※1:合図のための隠語。あいことば。
※2:物事のくわしい事情。
※3:京都の市中と郊外の総称。
※リニューアルする前の住まいマガジンびおから再掲載しました。
(2009年03月21日・2011年03月21日の過去記事より再掲載)