色、いろいろの七十二候

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葭始生・春霖

春の山
こよみの色

二十四節気

こくう

穀雨
威光茶いこうちゃ #A8A256

やや茶みのある黄緑色。柳葉色と茶色をあわせたような色。緑色を茶と呼ぶのは「染料の色」説が主流。『威公茶いこうちゃ』とも記されます。威公は徳川頼房のことを称したため、威光茶は頼房が好んだ色とも言われています。

七十二候

あしはじめてしょうず

葭始生
紅梅色こうばいいろ #F2A0A1

少し紫を含んだ紅梅の花の色のような淡い紅色。ベニバナを用いた紅花染の一種。元々は「桃色」に近い色でしたが、江戸期には濃い紫紅色を紅梅色と呼ぶように変化しました。

春の長雨は、春霖(しゅんりん)。秋の長雨は、秋霖(しゅうりん)
霖は、ながあめという意味の漢字です。当用漢字に入っていないので、気象庁はこの言葉を用いないで、放送などでは「春の長雨」「秋の長雨」と言っています。

わかさぎを食べ春霖の富士をむく  
黒川路子
春霖に高まる瀬音磨崖仏(せおとまがいぶつ)  
塩見武弘

 
春霖という言葉は、梅雨ほどの鬱陶しさは感じられず、秋霖のような暗さもありませんが、やや生硬な感じがあります。春霖と菜種梅雨(なたねづゆ)は同意語ですので、こちらの方が春の長雨の感じがよく出ているように思われます。

わが魔羅の日暮の色も菜種梅雨  
加藤楸邨
唄わねば夜なべさびしや菜種梅雨  
森川暁水(ぎょうすい)

 
菜の花梅雨といわないで、何故、菜種なのか。菜種は、採油用の油菜です。
冬の寒さを乗りこえて、一雨ごとに若芽が育っていくための実感が、菜種という言葉にあります。春の恵みというのでしょうか。
菜の花だけでなく、色々な花を咲かせる雨ということで、催花雨(さいかう)ともいいます。杏花雨(きょうかう)も、木の芽梅雨も同じです。

下品やさしく上品つよし芽木の雨  
秋山牧車

 
「下品やさしく」は、人と人とのかかわりをいい、「上品つよし」は、天地自然の神仏の教えをいいます。春の雨には、恵みの雨がみちみちています。
しかし、最も耳に馴染んでいるのは、やはり春雨(はるさめ)でしょうか。

春雨やゆるい下駄貸す奈良の宿  
蕪村
春の雨一角獣の角のびる  
保科その子

蕪村の句は、思わずニヤリとしてしまいますね。奈良の宿に泊まると、今でもそんな感じがあって、京の木屋町あたりの宿と、何故か違うのです。
保科その子の句は、木々の成長と同じ意味合いですが、一角獣は(サイ)を意味していて、犀の角が伸びていく力強さを表わしているところが愉快です。
春時雨ともいいます。

雑巾で猫拭く春のしぐれかな  
小林清之介

 
山頭火に「うしろ姿をしぐれていくか」という句があります。この時雨は、冬の時雨です。雲水の果てのなさを感じさせて、寒々としています。小林清之介の句と比べると、その相違は、あまりに明瞭です。
春雨の向こうには、明るい菜の花が似合います。

菜の花の黄のひろがるにまかせけり  
久保田万太郎
家々や菜の花いろの燈をともし  
木下夕爾
菜の花の夕ぐれながくなりにけり  
長谷川逝水
菜の花や月は東に日は西に  
蕪村

菜の花の咲く頃、日は西に傾き、月は東に出ています。
五七五の17字で、天体と地上で繰り広げられる世界を詠んでいる点で、芭蕉の、「荒海や佐渡に横たふ天の川」と双璧をなす、大きな句だと思います。芭蕉が、佐渡を臨む出雲崎に立った日は大雨でした。芭蕉は、想像でこの句を詠んだのでした。蕪村はどうだったのでしょうか。

文/小池一三
※リニューアルする前の住まいマガジンびおから再掲載しました。
(2012年04月20日の過去記事より再掲載)