ぐるり雑考

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自分の物語を

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野尻湖の畔にあるホテルで、各地から集まった人々がエンデの『モモ』を片手に語り合う滞在イベントがあり、ゲストの一人として招かれた。それで久しぶりに『モモ』を読んだ。

あらためて、すごいヒーローを生み出したものだなと思う。目の前にいる人の話を〝きく〟ことの出来る女の子。動物や、星のまたたきにも耳を傾ける。
「この人生でなにを成すか」と言う具合に、意志とその実現を大事にしてきた欧米社会に、本人が「する」というよりまわりの人がすることを「可能にする」、そんなあり方が物語の形で投げ込まれたわけだ。

相手を成長させようとも、変えようともしない。ただ一緒にいて関心を向けつづける。すると互いのなにかが満ちて、自然と次の場所へ進み始める。

『モモ』では第二章で「灰色の男たち」が描かれ、そして第三章の「時間を取り戻す冒険」に入ってゆく。一章はいわば主人公の紹介パートで、人々とのかかわり合いを通じ「モモ」という不思議な子の資質が描かれてゆく。おだやかな場面の描写がつづくけれど、とても鋭い光が放たれていて、僕は十数年ぶりに照らされる思いがした。

他人を操作しないことの健やかさ。目的や意図を持たないことの豊かさ。なにをするか、つまり先のことを思い巡らすより、いま目の前にいる人や、見えるもの聞こえてくるものごとを十分に感受する。そんな受動的な創造性の姿がたっぷり描き込まれていて素晴らしい。

でも実はなかなか読み返せなかった。『はてしない物語』の方に手が伸びてしまったり。
おそらくこの物語を引用してきた近代批判の数々。この社会の時間、お金、人間の自己疎外等の問題群をめぐる語り口に、くたびれているのだと思う。それらは主に第二章や三章を足がかりにしている。ドイツ文学者の堀内美江さんによると、『モモ』がここまで社会学的な文脈で取り上げられることの多い国は、世界を見回しても日本だけだとか。

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じゃあ、もし『モモ』が第二章以降のない、ただ延々と第一章がつづいてゆく物語だったら?
モモとジロラモの二人は、あの劇場跡で歳を重ねて。子どもが生まれたり。誰かが亡くなったり。劇場跡を訪れる人はさらに減って。あるいはどこかへ立ち退くことになったり。
モモはすっかりお婆ちゃんになって。別段なにも成していないし人生のハイライトもない。けど、その彼女のまわりにどんな人たちがいて、どんなふうに一緒に生きているか。調和のとれた他愛のない瞬間がずっと重ねられて。それもいつか終わる。

社会に放たれた一矢でも冒険譚でもない、そんな『第一章だけモモ』を読んでみたい、と思いおもわずイベントの檀上で口にしたけど、まあそんな人生を送ればいいか。読めなくていいです。自分の物語を生きてゆければ。

*『モモ』の購入は、一緒に登壇した増田喜昭さんの「子どもの本屋 メリーゴーランド」でどうぞ。

著者について

西村佳哲

西村佳哲にしむら・よしあき
プランニング・ディレクター、働き方研究家
1964年東京都生まれ。リビングワールド代表。武蔵野美術大学卒。つくる・書く・教える、三種類の仕事をしている。建築分野を経て、ウェブサイトやミュージアム展示物、公共空間のメディアづくりなど、各種デザインプロジェクトの企画・制作ディレクションを重ねる。現在は、徳島県神山町で地域創生事業に関わる。多摩美術大学、京都工芸繊維大学 非常勤講師。

連載について

西村さんは、デザインの仕事をしながら、著書『自分の仕事をつくる』(晶文社)をはじめ多分野の方へのインタビューを通して、私たちが新しい世界と出会うチャンスを届けてくれています。それらから気づきをもらい、影響された方も多いと思います。西村さんは毎日どんな風景を見て、どんなことを考えているのだろう。そんな素朴な疑問を投げてみたところ、フォトエッセイの連載が始まりました。