物語 郊外住宅の百年

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【番外編】設計が時代を変えるとき
——ル・コルビュジエと宇沢弘文

レッチワースの計画を設計面から条件づけたのは、レイモンド・アンウィンとリチャード・バリー・パーカーだった。

個人的な物言いになるが、私は、住宅業界に身を置いて45年になる。「いたずらに」と前置きしたうえで言うのだが、年を重ねるごとに自分の中で膨らんでいったのは、設計が時代を変えるという想いである。
それを確信したのは、ル・コルビュジエの『伽藍がらんが白かったとき』(生田勉・樋口清 訳、岩波書店)を読んだときだった。
というわけで、アンウィンとパーカーの話題に入る前に、アンウィンより後に生まれた建築家、ル・コルビュジエについて書いておきたい。

『伽藍が白かったとき』を若い頃に読んだ私は、胸のすく思いがした。コルビュジエの凄みと、設計する行為とは何なのかについて、私はこの本から学んだのだった。

この本は、コルビュジエの初のアメリカ旅行のあとに書かれた。コルビュジエ50歳のときだった。アメリカの美と醜、パリの美と醜とを同時に射抜いている。その透徹した目の鋭さはカミソリのようで、裁断する勇気はナタのように力強い本だ。
中世の伽藍の眩しいまでの白さへの憧憬を、コルビュジエは「伽藍は白く、思想は明晰で、精神は活気に溢れ、光景は清らかであった」と書く。それなのに君らは何なのだ、とコルビュジエを囲み、わめき散らす有象無象のやからに対して痛撃する。「かつて伽藍は白かったじゃないか」と。そうなのだ、今は古色蒼然として、権威の象徴のように見え、それを傘にしているけれど、その伽藍は、元は白かったのだ。
後年、リヨン郊外の傾斜地に建つ「ラ・トゥーレット修道院」を見学したときに、そうかこれがコルビュジエの回答だったのだ、と思った。「ロンシャンの礼拝堂」も訪れたが、象徴性がすぎると思った。ラ・トゥーレットは瑞々みずみずしかった。心が震えた。

かくしてコルビュジエは、モダンの時代の「神様」になるのだが、彼は都市デザインの巨匠でもあって、ブラジリアの設計者の顔も持っている。
その設計は、直線的で幅広い道路と天に向かってそびえる高層ビルを基調にしたもので、それをコルビュジエは「輝ける都市」と名付けたのだった。

ブラジリア

ブラジリア

これに対して、経済学者の宇沢弘文は『ゆたかな国をつくる――官僚専権を超えて』(岩波書店)において、「輝ける都市」に欠けているのは、生活を営む人間であり、「つよい日光をさえぎるものが何一つない砂漠のなかに、高層建築群がならび、広い自動車道路の横を、人々が荷物を背負って、とぼとぼと歩いている姿」だと痛烈に批判した。

経済学は人びとを幸せにできるか

宇沢弘文『経済学は人びとを幸せにできるか』

『コヤニスカッツィ/平衡を失った世界』(ゴッドフリー・レッジョ監督)というドキュメンタリー映画に、アメリカのミズーリ州セントルイスの中心部に建てられた集合住宅「プルーイット・アイゴー」のことが出てくる。
プルーイット・アイゴーは、11階建ての33棟からなる高層住宅群で、総戸数2,870戸の巨大な住宅団地であるが、入居者が集まらず、暴力や犯罪の温床となりスラム化したため爆破されることになった。この映画は、アメリカ国内の都市風景と自然景観で構成された作品であるが、80数分間、ナレーションなしで事実だけが延々と映し出される実に不気味な映画だった。
プルーイット・アイゴーは、ニューヨークの「ワールド・トレード・センター」の設計者として知られるミノル・ヤマサキが設計していて、彼の建物は2度も無惨な結果を招いたことになる。
プルーイット・アイゴーの爆破があった日を、アメリカの建築批評家チャールズ・ジェンクスは「モダニズム建築が死んだ日」と言ったが、それは「輝ける都市」への当てこすりだった。
チャールズ・ジェンクスは、ポストモダン建築を先導するため、プルーイット・アイゴーを取り上げたわけで、コルビュジエという「偶像」を倒すことによって、もう一つの「偶像」をつくり出そうとしたのだった。「ポストモダン」なるものが、真にポストモダンになり得なかった理由はそこにあると思われる。
今にして振り返ると、いうところの「ポストモダン」は、建築流派の一つの潮流として終始した印象が強い。そうしてまた、異形の建築の数々はブームが過ぎ去って見ると、プルーイット・アイゴーのように、建築時の輝きを失い、用をなさなくなった建築の侘しさを感じさせる。ポストモダンは本来、壮大な話である筈なのに、実に短命だった。

「輝ける都市」批判ということでいえば、宇沢弘文の指摘が本質を突いている。
宇沢弘文(1928-2014年)は、シカゴ大学の同僚だったミルトン・フリードマンの市場原理主義・マネタリズムの批判者として知られる経済学者である。宇沢はフリードマン批判として、無機質で殺伐とした「輝ける都市」の限界を書いたが、これほど鋭い批評はそれまで日本の建築界から出ていなかった。
日本の建築界は、コルビュジエの弟子たちによって担われてきたことがあってか、この告発的な論旨に対して建築界から目立った論議は出てこなかったのである。知り合いの高名な建築家に宇沢の文章を紹介したら、「経済学の人だから書けたんだよ」と言われた。顔に「くわばらくわばら」と書いてあった。
宇沢の批判は、中世的なくびきを正面から「伽藍は白かったじゃないか」と喝破したコルビュジエの痛快さに通じるものがあり、批評精神を失ってしまったら、それはコルビュジエ的ではないのだろう。
砂漠に忽然こつぜんと姿を現したドバイや、鄧小平とうしょうへいの「南巡講話」による改革・開放政策によって、たちまちビルと工場が林立した深圳しんせん、自動車が主人公で、飲み屋が都市計画に入っていなかった日本の筑波学研都市(日本文化研究者のマイク・モラスキーは、日本の居酒屋を唯一無二の文化だと言っている)などは、マネタリズムが生んだ典型的な都市である。
現代世界は、何事も経済指標で測られる時代であるけれど、その裏側で、世界中に自然荒廃が進んでしまい、気候変動までを誘発させるに至った入り口に、最大限に機能化された幾何学的なコルビュジエの都市計画があったというのは、論理が飛躍し過ぎていると言われるかもしれない。しかしそれは、デザイナーが背負うべき宿命であろう。

近代から現代、そして明日を考えるとき、われわれ自身、いつ迷路に迷い込んでしまうかも知れない可能性を孕んでいる。それでもひるむことなく果敢に挑むことの意味と価値をコルビュジエは遺したのであり、だからコルビュジエは偉大なのである。