農的な暮らしがつなぐ「私たちの都市計画」人生フルーツ

農的な暮らしがつなぐ「私たちの都市計画」

「ていねいな暮らし」に憧れる向きが強まる中で、自然の恵みを実感できる農業に関心を寄せる人たちが増えてきました。積極的に園芸やベランダ菜園、地方移住などして自給自足を志向する20-30代の若者も目立ちます。
植物を育て、収穫物を共有することで、まちや人とのつながりを築いている人びとや活動があります。そこにある工夫や意味を探る中で、ゆたかな生活の輪をつなぎ、一人ひとりの生活から紡ぐ「都市計画」のありようも見えてきました。

文・写真=江口亜維子

Vol.1  住まいに里山を取り戻す
〜「人生フルーツ」な暮らし方

今回の特集で、まず紹介したい人たちがいます。日本住宅公団の数々の名作を手がけてきた建築家の故・津端修一さんとパートナーの英子さんです。ふたりの暮らしは、高蔵寺ニュータウン近くの一角に建てた平屋の一軒家が舞台。雑木林とキッチンガーデンをつくり、“ときをためて”自然とともに暮らす生活は、数多くの書籍に記録され、映画化もされました。その津端家の生活に魅せられたひとりでもある江口さん。どこに魅力を感じていたのか、あらためて語り直してもらいました。

津端修一さんの住まいへのこだわり

「地上のすべては庭からはじまった。人々はそれを“天国”と呼んだ。私たちは身をどこに落ち着けようと、庭をつくるべきかも知れません。なぜなら、どんな小さな庭でも瞳のように、“すべて”を反映するのですから」

(ジャン・ギトン「庭を愛する人へ」より)

建築家の故・津端修一さんの著書の中で出会った言葉です。昨年、津端さんとパートナーの英子さんとの暮らしをおさめたドキュメンタリー映画「人生フルーツ」を観て、ふたりの暮らす高蔵寺ニュータウンの一角が、さながら天国のように見え、この言葉を思い出しました。
映画の舞台である津端さん夫妻が住む雑木林に包まれたかわいらしい平屋の一軒家は、彼の師匠である建築家アントニン・レーモンドの自邸を倣って建てたものです。レーモンドのアトリエで建築家修行をした津端さんは、そこで「住まいへのこだわり」を手にします。そして、それを「戦後の住宅難のなかで、社会システムとして市民たちの共有の財産にしたい1」と思い、日本住宅公団の設立に加わったそうです。

人生フルーツ/津端修一,英子高蔵寺ニュータウン近くの一角に建てた平屋

津端家を畑からのぞむ。中央奥が平屋建ての母屋。その右の白い2階建てがゲストルームを兼ねる倉。手前右の赤い屋根の建物が書庫などを兼ねた作業小屋(本文写真提供=武田重昭)

建築家、津端修一

津端修一さん(2010年当時)

津端さんは、公団時代の設計手法から、「風土派」と呼ばれました。それは「自然、風土、地形から造形のテーマを見つけようとする傾向2」であり、公団の名作と言われる「多摩平」「阿佐ヶ谷」などの団地計画にもそれが反映されています。
津端さんの住まいがある高蔵寺ニュータウンもまた、彼の計画によるものです。当初の計画は、地形を活かし、雑木林を残し、山なりに家を建てるという、里山であったその土地の記憶を伝えるものでした。しかしながら、時は1960年代。日本が高度経済成長に向かう時代でした。経済が優先され、ニュータウン計画は大規模化に向かい、結果的に山裾を削り、谷は埋められ平地の団地がつくられました。

高度経済成長,高蔵寺ニュータウンの一角

高蔵寺ニュータウンの一角

こつこつ50年。夫婦で取り組む生活実践

津端さんは、「計画者ではなく、一人の生活者として」家族と高蔵寺ニュータウンに移り住みました。一人ひとりが小さな雑木林を育てれば、里山を取り戻せるのではないかと考え、山を削ってつくられたニュータウンの庭で雑木林を育て、キッチンガーデンをつくりはじめました。津端さんは著書の中で「ここに住む市民たち自身が住みよい町にするために、他人のつくった町を自分流に育て直し、技術のユートピアを生活のユートピアにつくり変える努力が必要だった」と述べています。高蔵寺での暮らしは、津端さんご夫妻の生活実践でもあったのです。

津端修一高蔵寺ニュータウン近くの一角に建てた平屋の一軒家

津端家にある雑木林。水鉢には、いつも小鳥が水浴びに訪れる。

今では、雑木林の落ち葉でつくった土で育つキッチンガーデンには、70種類の野菜が育ち、50種の果実が実をむすびます。映画の中でしずかに展開される、こつこつゆっくりと日々をかさねるふたりの生活には、とても重みがあり、圧倒されました。ふたりの著書に『ききがたり ときをためる暮らし』がありますが、「ときをためる」とはこういうことなのだと理解することができました。そして、それまで書籍で見かけていた「しゅうたん」、「英子さん」と呼び合う、ほのぼの、ほんわかとした印象が、ロックで骨太なものにガラリと変わりました。

津端英子

畑に立つ英子さん。畑には、黄色の手作りの札をさして、苗の種類と植えた場所を記録している。

「自分ひとりでやれることを見つけてこつこつやれば、時間はかかるけれども何か見えてくるから」。映画を観て、英子さんが津端さんから学んだと話された言葉が心に残りました。今はいろんなことがものすごい早さで処理されていきます。そして、やることの結果はある程度見えていることがほとんどかもしれません。いつか見えてくる何かを信じてこつこつやるのには、相当な勇気が必要です。でも、たくましく軽やかに暮らすふたりの姿を見ると、自ずと勇気がわいてきました。

津端さんは、生前のインタビューで、「そこに住んで、そこで暮らしをつくり、次々に新しい世代に豊かな生活の輪をつなげようとする。全然知らない人たちを、はぶ茶の種や綿の種というものを通じて友達にして、手紙を頻繁にやりとりしながら、人々の底辺の常識を上げようとしているということ3」を本当の都市計画ではないかと話されています。
津端修一
こつこつ50年。津端さん夫妻は、一人ひとりが小さな雑木林を育てれば、里山を取り戻せるということを教えてくださいました。
生活者である私たちが、自分の生活環境やそこにある暮らしを見つめ、育てていくこと。そして、それを共感し合い、その輪をつなげていくこと。それは、私たちの生活を都市計画へつなぐ方法と言えるのだと思います。

実は私自身、津端修一さんが手がけた阿佐ヶ谷住宅(東京都杉並区)に住んだことがあり、そのことがきっかけで研究者の道へ進むことになりました。次回は阿佐ヶ谷住宅での生活についてご紹介します。

(1)津端修一/津端英子(1997)「高蔵寺ニュータウン夫婦物語」ミネルヴァ書房
(2)三浦展編著 ; 大月敏雄, 志岐祐一, 松本真澄著(2010)「奇跡の団地阿佐ヶ谷住宅」王国社
(3)津端 修一(2010)「高蔵寺ニュータウンから豊かな暮らしの輪をつなぐ : なつかしい未来の都市計画」都市計画 59(2), p.80-85, 日本都市計画学会

江口亜維子

江口亜維子  えぐち・あいこ千葉大学大学院園芸学研究科博士後期課程在籍

1981年石川県小松市生まれ。武蔵野美術大学卒業後、設計事務所で国内外の地域計画、建築企画設計に携わる。2012年より「カレーキャラバン」、2016年より「EDIBLE WAY食べられる道」開始。阿佐ヶ谷住宅(東京都杉並区)で暮らしたことがきっかけで、コモンスペースに関心を持つように。現在、エディブル・ランドスケープや共食活動を手がかりに、都市コモンズに関する研究を行う。