ぐるり雑考

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一緒に冒険に「なる」

西村佳哲

語源を辿ると〝adventure(冒険)〟という単語には「なにかが向こうから到来する」という意味がある、という話のつづき。

このことは最初、福岡の友人が教えてくれた。調べてみると英語の〝adventure〟は仏語の〝aventure〟に由来する。つまり「恋」であり、本人には「事故」でもあり。さらにさかのぼると「これから先に起こること」を意味するラテン語〝advenire〟の未来形で、「来る」「起こる」「なる」などの意味合いに辿りつく。
面白いなあ。冒険は「する」ものだと思い込んでいた。けど言葉には、意志を越えたなにかの顕現が含まれているわけだ。

そしてある場面を思い出した。近刊『一緒に冒険をする』に、穂高養生園というリトリート施設を30年ほど営んできた福田俊作さんという人が登場するのだけど、その彼とのインタビューの冒頭で僕が「福田さんは何をしてきたか、聞かせてもらえますか?」と尋ねたところ、彼が「…してきたことを話すのは難しい。けど、おきたことなら」と語り出したことを。

福田さんは最初まず鍼灸院を開き、思うところあってそれを閉じ、土地をみつけて現在の穂高養生園を建てた。その船出に際して、想いも考えもたっぷりあったと思う。けど、いざ始まったあとのさまざまな展開には計画があったわけでもないし、自分が「した」というより、まさに「おきた」事々の連鎖なんだな。それが実感なんだ。
考えてみれば僕もそう。これまでの時間をふり返ってみると、意志をもって「した」ことより、思いがけない出来事や出会い、友人や知り合いに差し向けられた無茶振りのような仕事の相談。不意を突くその去来にただ一所懸命応じ、取り組んでみた。そんな事々の方が、結果的に、自分が考えて「した」ことよりよほど大きなエポックに至っている事実がある。

本人の思考や意志って、どの程度のものなんだろう。

一緒に冒険

西洋的な価値観では個人の意志が尊重される。自己啓発書もコーチングのたぐいも、まず意志を確認する。「やりたいことは?」とか「あなたの使命は?」と訊いてくるのだけど、それらはいったいどれくらい重要なんだろうか。

僕の人生の大半は「なった」ことや「おきた」ことで出来ているし、言葉の由来をさかのぼってみると、西洋の昔の人も個人意志だけを軸にしていたわけではなく、「する」と「おこる」、「いく」と「くる」、「やる」と「なる」があまり分離されていない世界を生きていた痕跡がある。ただ夢中になって全力で取り組んでいるときは、仕事であれ遊びであれ、「して」いるというよりそれに「なって」いる感覚が強い。

ヤバイ。最初の本に『自分の仕事をつくる』、10冊目の本に『一緒に冒険をする』というタイトルを付けたけど、「つくる」も「する」も間違っていたかも。人生はつくるものでも、するものでもないだろうという意味で。
じゃあなんだ? と訊かれたら、それは自分が自分に「なる」。より「なって」ゆく過程なんじゃないか。本のタイトルも『一緒に冒険になる』がよかったかも……とか、もう書店に並んでいるのに考えるんですね。

著者について

西村佳哲

西村佳哲にしむら・よしあき
プランニング・ディレクター、働き方研究家
1964年東京都生まれ。リビングワールド代表。武蔵野美術大学卒。つくる・書く・教える、三種類の仕事をしている。建築分野を経て、ウェブサイトやミュージアム展示物、公共空間のメディアづくりなど、各種デザインプロジェクトの企画・制作ディレクションを重ねる。現在は、徳島県神山町で地域創生事業に関わる。多摩美術大学、京都工芸繊維大学 非常勤講師。

連載について

西村さんは、デザインの仕事をしながら、著書『自分の仕事をつくる』(晶文社)をはじめ多分野の方へのインタビューを通して、私たちが新しい世界と出会うチャンスを届けてくれています。それらから気づきをもらい、影響された方も多いと思います。西村さんは毎日どんな風景を見て、どんなことを考えているのだろう。そんな素朴な疑問を投げてみたところ、フォトエッセイの連載が始まりました。