ぐるり雑考

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わたしたちのみち

西村佳哲

南ドイツのある街に演劇祭で滞在した藤原ちからさんという方が、4年ほど前に書かれている体験談が面白く、ときどき思い出す1
街のあちこちを演劇的空間に変容させる魅力的なフェスティバルの中、欧州の演劇人に何気なく「日本にはそもそも広場がないからね」と洩らしたところ、「じゃあいったい、君たちはどこでデモをするんだ?」と驚かれる話。

欧米の街における広場のような空間は、日本にもまるでないわけではなく、藤原さんも書いているとおり各家の縁側や、あるいはあががまちに小さく分散していた。そもそも玄関がつくられるようになったのは明治以降だというから、以前は屋根の下までパブリックスペースが滑り込んできていたわけだ。

さらに日本では「通り」や「つじ」が、いわば広場的に機能していたのだと思う。この絵は江戸時代の日本橋。左側も右側も三井越後屋呉服店なので、屋外とはいえ百貨店の中のようなものなんでしょうけど。

駿河町三井呉服店(『江戸名所図会』より)

こんな絵や明治初期の写真を見るたび「昔の日本を歩いてみたい」と思っていたのだけど、つい先日、国立市の商店街で、ある店先に飾られていた古い写真に見入ってしまった2

国立駅前

撮影=中島陟

中央線国立駅前

どちらも中央線・国立駅前。一つは大正15年で、もう一枚は車や服装の感じからすると1960年前後だと思う。なんでしょう、この広場性は。昭和になってもみなさんロータリーの真ん中を歩いています。
わずか60年前の路上における、人と車のこの併存ぶりはどうだ。ついこの間まで日本人は、大手を振って道を歩いていたんだな。道路でなく「わたしたちの空間」として。

その後すごく車が増えて、歩車の分離が社会課題になっていったわけですが、交通安全等を理由に、わたしたちはなにか大きなものを奪われて、あるいは差し出してそのままになっている気がする。

EV化や自動運転技術の進化の中、これから車は、道路を含むモビリティ・システムとして再創造されてゆく。その中に人が「街路」を取り戻す好機があるかもしれない、なんてネムイ話は書かない。管轄している警察は、権力装置としてのそれをそう簡単に手放さないだろう。
でもその警察に先導されたり、囲まれている日本のデモの姿を、外国の方々に見られるのは恥ずかしい。それが理由で海外に行く気が失せている最近の私です。

(1)「広場」を生み出す演劇の可能性——テアター・デア・ヴェルトの事例から
https://synodos.jp/society/10223
(2)国立駅前の写真2点は、「国立写真店」の店頭で撮影。

西村佳哲  にしむら・よしあきプランニング・ディレクター、働き方研究家

1964年東京都生まれ。リビングワールド代表。武蔵野美術大学卒。つくる・書く・教える、三種類の仕事をしている。建築分野を経て、ウェブサイトやミュージアム展示物、公共空間のメディアづくりなど、各種デザインプロジェクトの企画・制作ディレクションを重ねる。現在は、徳島県神山町で地域創生事業に関わる。多摩美術大学、京都工芸繊維大学 非常勤講師。

連載について

西村さんは、デザインの仕事をしながら、著書『自分の仕事をつくる』(晶文社)をはじめ多分野の方へのインタビューを通して、私たちが新しい世界と出会うチャンスを届けてくれています。それらから気づきをもらい、影響された方も多いと思います。西村さんは毎日どんな風景を見て、どんなことを考えているのだろう。そんな素朴な疑問を投げてみたところ、フォトエッセイの連載が始まりました。