まちづくりで住宅を選ぶ

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自由が丘という街はなぜ魅力があるのか?

AgitÁgueda

前回までは、街の魅力について一般論を述べてきました。そろそろ、具体的な事例を通じて街の紹介や街の分析などをしていきたいと思います。

さて、最初に取り上げるのは、東京の自由が丘という街です。自由が丘というと、読者の皆さんはどのようなイメージを抱くでしょうか。なんとなく、上品で洗練された母親としっかりものの娘がブティックで買い物したり、お洒落なカフェで一緒にお茶を飲んだりしているようなイメージでしょうか。芸能人に例えると母親は黒木瞳、娘は松下奈緒のような感じでしょうか。

自由が丘は、その昔、ふすま村という農村でした。1927年に東急東横線が開業し、大字衾が大字自由ヶ丘に改名されたのは1933年です。名前の由来は1927年に開校した自由ヶ丘学園です。自由ヶ丘学園は黒柳徹子さんのベストセラー『窓際のトットちゃん』で広く知られるようになりました。ちなみに自由ヶ丘駅が自由が丘駅へと名前を変えたのは1966年です。

九品仏川緑道のベンチ

自由が丘らしい景観のひとつ、九品仏川緑道は商店街の駐輪対策により今の雰囲気が生まれた。

私は自由が丘のそばに住んでいるのですが、じつはそれほどよいイメージを抱いていませんでした。それは、私が上述したような、上品で洗練された母親でもなければ、しっかりものの娘でもなければ、さらには、その母親の隣で歩くのが似合うようなロマンスグレーの紳士でもないからです。つまり、どこか私の「おじさん」という属性が自由が丘とはマッチしないのではないか、という自分と街のアイデンティティとのギャップを感じていたからです。まあ、中年男性の捻くれたコンプレックスでしょうか。しかし、じつはそのような偏見を捨てて、この街を観察していくと、なかなか奥が深く面白い。

まず、自由が丘ほど東急沿線で、東急の存在が感じられない駅はありません。少なくとも特急停車駅でここまで感じられないのは、自由が丘ぐらいでしょう(中目黒駅もそれほど感じられませんが)。二子玉川駅や武蔵小杉駅に比べると、極めて対照的です。それはなぜかというと、自由が丘には二人のビジョンを有した大地主がいて、彼らを中心にボトムアップで街づくりをしてきたという経緯があるからです。つまり、サラリーマン集団である企業がつくった街ではないのです。
それが理由だと思うのですが、ここの町には手作り感と地元感が溢れている。そして、東急のような大親分がいないので、個人がそれぞれ頑張っているという空気に満ちている。個人は千差万別ですので、全員が同じ方向を見ている訳ではありません。しかし、自由が丘という町をよくしようという大きな目標では一致している。
したがって、町をよくみると、自由が丘デパートというデパートとは名ばかりの昭和の雰囲気がプンプンとするバザールのような商店回廊のようなものもあれば、おじさん率が9割近い焼き鳥屋もあります。「夢のパラダイス」という元キャバレーの建物を利用した闇市的な飲み屋が集積したビルもあったりします。「お洒落」というヴェールに隠されていますが、ちょっとヴェールをめくれば、そこには一言で片付けられないような街の多様さが浮かび上がってきます。

自由が丘デパート

自由が丘デパートという名称のレトロな商空間。

さて、そういう多様さがある自由が丘でありますが、それでも広く女性を引きつける理由は、スイーツの大メッカであることでしょう。自由が丘にはスイーツ・フォレストというお菓子のテーマパークのような施設があります。このような施設があるだけあって、自由が丘のお菓子の街という特徴は図抜けています。統計でみても、自由が丘ほどスイーツ関連のお店が集積している街は東京にはありません。そして、東京で一番ということはもしかしたら世界で一番、スイーツが集積した街かもしれません。

皆さんはモンブランというケーキをご存知かと思います。このケーキがどこで産声を上げたか知っていますか。モンブランというと、フランスの最高峰の山ですから、当然、フランスだろうと思う人も多いかもしれませんが違います。モンブランは自由が丘発祥のケーキです。
他にも王選手のコマーシャルで知られているナボナ、マカロンが日本で最初に販売されたのも自由が丘のダロワイヨです。これらの流れを決定づけたのが洋菓子の鉄人、辻口博啓氏がオープンしたモンサンクレールでしょう。彼もそうですが、今、自由が丘はスイーツの登竜門、メッカのようになっているのです。
彼が自由が丘に出店したのは、自由が丘こそがスイーツの登竜門であると思ったからだそうです。そして、今は日本の、いや下手をしたら世界のスイーツのメッカになっているのではないか、とこれらのスイーツ店を訪れる外国人観光客の多さをみると思ったりします。さて、それでは、なぜこのような個店が集まることによってスイーツの街としての自由が丘が特別な魅力を放つことになったのか。次回はこのことについてさらに説明します。



服部圭郎  はっとり・けいろう龍谷大学政策学部教授

1963年東京都生まれ。東京大学工学部卒業、カリフォルニア大学環境デザイン学部で修士号取得。某民間シンクタンク勤務、明治学院大学経済学部教授を経て、現職。 専門は都市計画、地域研究、コミュニティ・デザイン、フィールドスタディ。 主な著書に『若者のためのまちづくり』『人間都市クリチバ』『衰退を克服したアメリカ中小都市のまちづくり』『ドイツ・縮小時代の都市デザイン』など。技術士(都市・地方計画)、博士(総合政策学)。