<遠野便り>
馬たちとの暮らしから教わること

1

10月:馬たちからの挨拶

東京から遠野に妻と引っ越しをしてきたのは、21年前だった。

そのときは、馬たちと暮らすことになるとは思ってもみなかった。そのような夢を抱いていたわけでもないし、そのようなことが仕事として具体的に展開されていく計画もまだなかった。

けれども結果的にそれは起こり、この20年ほどで、8頭の馬と過ごしてきた。出会った順番にその名前を記すと、タカラクイーン、ジンガ郎、アルマ、エリアナ、サイアナ、エリ、アル、サイ。自宅で、あるいは僕らが運営する「クイーンズメドウカントリーハウス」で、濃密な時間をともにした。

若い牝馬だったタカラクイーンは、僕とともに、乗馬すること、乗馬されることをともに模索したパートナーだった。未熟な僕を乗せて馬場を、ときに山道を、河川敷を走り、緑の大草原や山の稜線を猛スピードで駈け抜けてくれた。今は繁殖牝馬として生産者のもとに帰って、毎年優秀な仔馬を生み育てている。

—ジンガ郎—

ジンガ郎は、妻が購入を決断し仔馬のころにやってきた。一番長く付き合っている。2005年、天才調教師バルタバス率いるフランスの騎馬オペラ「ジンガロ」の日本公演が開催され、妻と二人で観覧した。そして、そこで織りなされる深遠で見事な騎馬スペクタクルに夢中になった。馬たちと人間たちとがまるでひとつの生き物になったように存在していたからだ。僕たちもそんな関係を築きたい。そう憧れて、妻が仔馬につけた名前がジンガ郎だった。

まだ若いジンガ郎と、乗り始めたばかりの人の子ども(娘)は、お互い気負いや怖れもなく、穏やかな信頼関係をベースに、鞍なし、ハミなしのフリーライディングが自然にできた。初心者にはむずかしい馬の歩き方の速歩はやあしも、人も馬もリラックスしているので、馬は自発的かつ快活に走る。

ジンガ郎は、僕を、僕たち夫婦を、そして小さな娘を、冒険要素満載の旅に連れ出してくれた。理屈で言えば、馬と人の関係の歴史は今日までどのように変遷してきたか。馬と人の未来をどのように描くのか。つまり馬とは僕たちにとって何者か。これからの人にとって馬とはどのような存在でありえるのか。そんな答えがあってなさそうな問いのための解法を求め、実践し、解を、あるいは解の近似値を探す旅だ。

旅は、こんなふうに始まった。

鞍やハミといったジンガ郎の体に装着する道具をひとつひとつ引き算していく。幼い娘は、竹ヤブから採ってきた細長い竹の棒を持ち鞍もハミもないジンガ郎にまたがる。そんなことを日常のなかで繰り返していると、ふたりは親友同士のようにリラックスして自在にパドックを動き回るようになった。

遠野の馬

10月の中旬ともなると高原の放牧場は紅葉の盛りを過ぎる。夏には、100頭以上いた高原の馬たちは、それぞれの飼い主のもとへ帰っていき、
今残っているのは40頭くらいだろうか。「僕も帰るの?」とジンガ郎がやってきた。

人と馬がともに地上にいて行うワークがある。このグラウンドワークは想像以上に奥が深い。両者の何かが通いはじめると、互いに相手を中心軸にして、——全身全霊という言葉がふさわしいエネルギーで——踊るような、舞うような、濃密で、激しくて、ときに静謐な時間が始まる。そしてそれは人の心次第で起こりうること、馬の方はダンスパーティの準備がたいていの場合できていることをジンガ郎から学んだ。この旅は終わることがないだろう。

もう一頭、僕にとってかけがえのない馬を紹介したい。それは、たてがみがゴージャスで、馬に慣れていない初心者にも寛容だったアルマだ。



徳吉英一郎  とくよし・えいいちろう

1960年神奈川県生まれ。小学中学と放課後を開発著しい渋谷駅周辺の(当時まだ残っていた)原っぱや空き地や公園で過ごす。1996年妻と岩手県遠野市に移住。遠野ふるさと村開業、道の駅遠野風の丘開業業務に関わる。NPO法人遠野山里暮らしネットワーク立上げに参加。馬と暮らす現代版曲り家プロジェクト<クイーンズメドウ・カントリーハウス>にて、主に馬事・料理・宿泊施設運営等担当。妻と娘一人。自宅には馬一頭、犬一匹、猫一匹。

連載について

徳吉さんは、岩手県遠野市の早池峰山の南側、遠野盆地の北側にある<クイーンズメドウ・カントリーハウス>と自宅で、馬たちとともに暮らす生活を実践されています。この連載では、一ヶ月に一度、遠野からの季節のお便りとして、徳吉さんに馬たちとの暮らしぶりを伝えてもらいながら、自然との共生の実際を知る手がかりとしたいと思います。