暮らしを教えてくれたひと

暮らしを教えてくれたひと

住まいだけでなく、店舗、アトリエなど、そこで日々暮らす人たちの凝らす工夫は、住まいの設計をするうえで大きな手がかりになることがあります。愛媛県で建築設計を営む福岡美穂さんは、これまでに“暮らし”をテーマに活躍する達人たちの仕事から、設計の着想を得てきたと言います。このシリーズでは、福岡さんが“暮らしの達人”を訪ね、その根底にある考え方や信念をインタビューすることで、暮らしを設計するとは何か、考えるヒントを探しに出かけます。

Vol.1  変わらない美意識の源
石村由起子さん(「くるみの木」主宰)

シリーズ第1回目は、福岡さんが大好きだという、奈良にある大人気カフェ「くるみの木」を主宰する・石村由起子さんを訪ねました。石村さんは、33年前に奈良で「くるみの木」を始めてから、「秋篠の森」「鹿の舟」などいくつかのカフェやショップを展開。いまでは石村さんのファンは全国に広がり、「くるみの木」は連日多くのお客さんで賑わっています。福岡さんは、石村さんの手がける空間には設計者として参考になるポイントが多いと言います。今回は石村さんのお店づくりに長年かかわってきたという、山﨑博司さん(ツキデ工務店)と一緒に、“暮らし”にまつわるお話をうかがいました。

くるみの木一条店

「くるみの木 一条店」。敷地を囲う緑が、店へ誘い込む。店のそばにはJR関西本線がはしる

 

変えていいものと変えてはいけないもの

福岡 私は以前から石村さんのファンで、今日はお会いできることをとても楽しみにしていました。
6年前、香川で開催されたインテリア産業協会主催の講演会で、はじめて石村さんのお話を伺いました。終始パワフルなお話ぶりで圧倒されました。

石村 そうだったんですね。その時は空間の話をしたのかな。

福岡 「私は夢中で夢をみた」というテーマでお話されていました。そのとき、石村さんがまったくブレずにお仕事をされてきたことを知りました。

石村 ブレないと感じていただけるとしたら、その理由のひとつは、オープン時からここ「くるみの木」には、変わらない大切なものがたくさんあるからかもしれません。
変えていいものと変えなければいけないもの、そして変えてはいけないものがそれぞれあると思っています。

福岡 変えないのは、それがいいということですよね。

石村 スタンダードなものは大体変えていないと思います。でも、キッチンは何度か変えました。店のスタッフは女性がほとんどなので、天板の高さが合わず腰を痛めてはいけませんし、動きづらいところがないように。スタッフには快適に働いてもらいたいですから。

福岡 働きやすくするために変えたのですね。

石村 この店で一番年季が入っているのは、庭側の扉。じつは、一番下に穴が空いているんです。ドアを取り換えてはどうかと言われたこともあるのですが、私にとってはこの扉は変えてはいけないもの。だったらと網を張ってみたら、意外と良くてそのまま使っています。
オープンした当時は、店の周りは田畑に囲まれていたので、店を閉めた後夜に一人で作業をしているのは怖かったんです。扉に鍵をかけて、誰か覗き込んでいないか確認したりして。だからこの扉は、当時の私の仕事を全部見守ってくれていたような気がして、どうしても変えられないんです。
店の前を電車が通る景色も変わりませんね。「電車が通る音が大きくて残念ですね」と言われることもありますが、私には全然残念に思えなくて。ずっと聞いてきた音だから、逆になくなると淋しいのではないか、とさえ思います。

くるみの木 石村由起子さん

多忙なスケジュールを縫ってインタビューを受けてくださった石村由起子さん(左)

福岡 石村さんにとってそれが自然なんですね。

石村 どの店もふりかえってみたら大きくは変わらないですね。そして各店に共通しているのは、緑があるということです。自然がそばにあることは大事にしています。人も店も飾りすぎず、自然体でいるのが素敵だと思うし、スタッフにもそんな話を時々しています。

福岡 お店の空間全体に、石村さんの美意識が表れているんですね。

原体験の学びを生かす

福岡 私がくるみの木を好きな理由は、古いものが古びずに残っているところです。

石村 私は、両親が共働きだったので、小さい頃はおばあちゃんに育てられました。おばあちゃんは、私にいろんなことを教えてくれた。ものを大切に使うことはそのひとつですね。

 私のおばあちゃんは、当時にしては珍しく、地元の郷土料理を教えていました。昔の人ですから、料理だけでなく生活の中の佇まいとか、食卓のあり方だとか、日常の暮らしの中にはたくさん学ぶことがありました。もみじの葉っぱがきれいだからと箸置きにしたり、はと麦などのお茶を手作りしたり。おばあちゃんは私にお手本を見せながらいろいろ教えてくれる人でした。

 おばあちゃんは翌日に教室がある日は、夕食が終わったらすぐその準備をしていました。下準備する食材があれば、これは夜から切っておいてもいいんだよとか、これは色が変わってしまうから朝でないとだめ、とか。食事の用意の手順や加減から、やっていいことわるいこと、いろいろと教えてもらいました。今となっては、それは人生のあり方も一緒に教えてくれていたのだと感じてなりません。

くるみの木ランチメニュー

地元野菜をたっぷり使っている、「くるみの木」の週替わりランチメニュー。
このランチを目当てに、平日休日問わず、連日多くのお客で賑わう

福岡 そうだったんですね。

石村 それから、私の通っていた中学校は、ソフトボールの強い学校だったんです。自分自身も、将来は社会人チームに入りたいとも思っていたくらいのめり込んでいました。中学高校と6年間ソフトボールを続けたことは私にとって大きいことでした。そこでで培った経験は、私の人生に生かされていますね。

福岡 ソフトボール!どんな経験ですか?

石村 遠征試合に行くときは、まるでパレードのように、全校生徒みんなと校長先生に、ブラスバンドの演奏で見送られました。たくさんの期待を受けて、行ってきます!と出かけて、それで勝って帰ったとき、みんなが泣いて喜ぶ姿、ソフトボール部は私たちの誇りというような喜び方をしてくれたときは嬉しかったですね。一方で、負けたときは、私たちメンバーをなぐさめたり、気遣いを見せてくれた。勝てば先生も親も生徒も全員喜んでくれる。だったら、勝たないとダメ。ホームランを打つ。試合に勝つ。結局勝ち負けだけが大事なのではなく、自分が志したことをやりとげることも大事なのだと思っています。

福岡 「くるみの木」がブレないのも、自分と戦い続けていたのですね。

石村 「くるみの木」を始めて、めげそうなことが何度あっても、やり始めたことを途中でやめてはいけない、という気持ちがいつもどこかにありました。

福岡 幼少期のお話から、石村さんの強さの源がわかってきました。これまでの積み重ねがあるからここまで続けることができるのですね。

 

>次回は第2話「他人の喜びが自分の喜び」です。