びおの珠玉記事

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海苔

※リニューアルする前の住まいマガジンびおから再掲載しました。
(2012年11月17日の過去記事より再掲載)

浜名湖の海苔養殖場

浜名湖


生海苔が出まわるようになって来ました。
そんな生海苔をいただきながら、ちょっと「今」のことを考えてみます。

海苔の歴史

海苔は、かつて天然物を採るだけのものでした。江戸時代頃には養殖技術が確立したといわれています。今では全国各地で海苔の養殖が行われています。
海苔を板海苔の形に乾燥
静岡県の汽水湖である浜名湖も、海苔の養殖が盛んな地域の一つです。浜名湖と太平洋を結ぶ町・舞阪では、文政2(1819)年頃から海苔の養殖をはじめました。

東海道五十三次の宿場である舞阪宿に宿泊していた諏訪の海苔商人・森田屋彦之丞と、東京大森の海苔職人・三次郎が、湖岸で海苔を見つけて試作をしたのがはじまりだといわれています。舞阪はこの海苔づくりで潤った一方で、三次郎は製法を漏らしたために帰郷できず、行方不明になってしまったといいます。

海苔の歴史は古く、養老2年改修の「養老律令」では、地方税の一種である「調」に指定されていました。当時は養殖は行われておらず、珍重されていたことが伺えます。

中世の海苔は外洋の岩礁で採れる、硬い海苔だったようですが、江戸時代になると、江戸の内湾で採れる柔らかな浅草海苔が生まれ、人気を博します。元禄年間には乾海苔が生まれ、享保年間には「ひび」と呼ばれる道具を用いた養殖が始まります。大森は、そうした海苔の産地でした。

三次郎が故郷を追われるほどに、海苔の養殖技術は寡占化されていましたが、そのころから諸国に伝わり始めます。先の舞阪宿は比較的早く、天保5(1834)年には紀伊国和歌村(和歌山市)、天保12(1841)年には伊予国禎瑞村(西条市)、安政元(1854)年には陸奥国気仙沼本郷(気仙沼市)、安政2(1855)年には磐城国松川浦(相馬市)にと、各地に伝わっていきます。

江戸時代の海苔の養殖は、まだ生態が解明されておらず、種付けは経験や運任せといったところがありましたが、戦後には海苔の生態の解明がすすみ、計画的な養殖が多く行われるようになっていきます。
海苔養殖

この後海苔は投機的な要素が高くなっていきます。一方で、浅草海苔は東京湾の汚染等によって衰退していきます。近海は汚染され、富栄養化がすすみ、海苔の養殖は沖合に出ていきます。

海苔と政治

いま、「旬の話題」といえば、政治のことなのかもしれません。あえてそこに話をもっていけば、海苔と政治の歴史でも、いくつか触れておくべきことがあります。

昭和38年度、海苔は空前の大凶作に見舞われます。この事態に対して、「天災融資法」の発動が要請されます。凶作の原因は天災か、それとも実は人災か、それはなんともいえないところがあったものの、異常気象であったとして同法が発動されます。翌39年度は天候に恵まれて生産が回復し、そこで油断が出たか、40年度にはまたも大凶作で、「天災融資法」が発動されます。41年度を挟んで、42年度にはまたも発動。その翌年は、本当の異常気象が起こり、大凶作となるのですが、もう誰も「狼が来た」とは言えなかったのだ、と…。

近年では、有明の河口堰(かこうぜき)によって海苔等の生産が大打撃をうけたとして、漁業者が提訴をした諫早干拓(いさはやかんたく)事業があります。

安政2(1855)年に海苔づくりが伝わった相馬市では、東京電力福島第一原発事故の影響で、2年連続で養殖を自粛しています。

福島第一原発事故の影響で、今なお避難をする人、仕事を奪われた人が数多くいるというのに、政治は「原発ゼロ」を一つのキャッチコピーに貶め、批判された復興予算の使途も、事業仕分けで指摘が出たものの、来年度予算がどうなるかも余談を許しません。

ずっと海苔を作ってきた人が、突如それがかなわないことになった。それを、なんとかするのが政治の責任です。

海苔と糊

ゆるやかな話にもどしましょう。

海苔の語源は「ヌラ」がなまったもので、ヌラヌラしたものである、ということに由来するようです。接着剤に用いられるほうの「のり」である「糊」も、同じ語源だといわれます。

この両者、まったく関係ないようにも見えますが、実は語源が同じだけあってか、近い用途に用いられることがあります。

塗り壁に用いられる漆喰は、石灰を主成分とした建材です。「石灰」がなまって「漆喰」になったといわれています。

この漆喰の原料の一つに、「のり」があります。のりは接着効果を狙うというよりも、「ヌラヌラ」した保水効果によって、伸びをよくし、塗りやすくする役割を担います。

この「のり」には、古くは米糊が用いられていましたが、江戸時代ごろからは、海草の海苔が使われるようになりました。

最近の「製品」として売られている漆喰には、のり、とはいえ接着剤が入っているものもありますが、本来の役割からいけば、「ヌラヌラ」の「のり」を望みたいところです。

運草、お陽気草、お天気草、博打草、気違い草。
これらはすべて、養殖海苔を指した別称です。海苔を作るのは、運任せ、一か八かのものだったのです。先にあげた大凶作のように、人災と天災のはざまで、それでも人は海苔を安定して作る術を見出してきました。
海苔はカルシウムや鉄、ビタミンを多く含む健康食品ですし、何より美味しい。生海苔は、寒くなってくる時期に本番を迎えます。
生海苔
あって当たり前、と思えるような海苔にも、さまざまな背景が控えています。これからも美味しい海苔が食べられるか。選択の季節です。

参考:
浅草海苔盛衰記(片田實 著/成山堂書店)
浜名湖海苔の歴史(舞阪郷土史研究会)