びお・七十二候

雀始巣・すずめはじめてすくう

2009年03月21日 土曜日

雀始巣

雀始巣――スズメが巣を作り始める時候を迎えました。
スズメの巣のことを、特集「近頃スズメを見かけなくなった。何故だろう?」で書きました。この半世紀で、スズメが9割も激減してしまった、というのは大きな驚きで、この記事のことはあちらこちらで話題になっているようです。
草木の葉がのびてスズメが隠れることを「雀隠れ」といいますが、この季語、このままでは消えてしまうかも知れません。自然を失うということは、季語を失うことでもあるのです。

きょうは、魚上氷(うおこおりをいずる)で紹介した釈迢空の歌を、再び取り上げます。民俗学者折口信夫(1887~1953)は、三河、信州、遠州の国境の村を歩き回り、歌人釈迢空としても、多くの仕事を残しています。前回の、

山峡の残雪の道を踏み来つるあゆみ久しと思うしずけさ

という歌は、遠州の最奥地の村、西浦(にしうれ)集落で厳寒期に開かれる田楽能を見に行く道すがら詠まれたものですが、この歌も、同じ歌集『海やまのあひだ』に収められています。この歌の「かそけく人は住みにけり」の幽(かそけ)くは、かすかなさま、ひっそりと隠れているさまをいいます。
天竜の奥地は、ダムの建設に伴って、天竜川やその支流の川に沿って道路が付けられていますが、ダム湖に面した道から目を山側に転じると、中腹あたりに人家が点在していることが望見されます。どうしてあんな場所に人家があるのか、最初は不思議でなりませんが、少し考えると、もとの道が山の中腹にあったことが分かってきます。
山の道は樹木の茂りで見えません。家と、家の周りに少しばかり畑などがあって、そこだけぽっかり穴が開いたように見えます。屋根だけが見えて、建物も畑も見えないものもあったりします。廃屋になった家を、樹木が覆っているからです。
点在する家の位置は、高かったり低かったりしますが、その分、道は登り下がりしているのです。むかしは何につけ、歩いてしか移動できない山地であり、折口信夫、釈迢空は、その道を「かそけく人が住」む人家の竈から立ちのぼる煙を横目にしながら、「道くだり来る心はなごめり」と詠むのです。
折口のこのやさしさが、古代人へと通じるのだと思います。

折口が歩いたこの道を、わたしも探索したことがあります。日本のヨーデル「うぐいす」を求めてのことでした。
ヨーデルといえば、表声と裏声を交互にひっくり返した独得な歌い方と節回しで知られるアルプスの歌を思い浮かべる人が多いと思います。ヨーデルは、もとはスイスの樵夫や羊飼いの間で用いられていたコールでした。谷を隔てた樵夫どうしが、またアルム(高地の牧場)の遠くに離れている羊飼いどうしが連絡を取り合うために、このヨーデルを用いました。そしてこの唱法は、彼らの楽しみだった歌や踊りの合いの手として、踊りの歌として、段々と、今日わたしたちが知るヨーデルにかたちを整えて行きました。
日本の樵夫の間で、アルプスのヨーデルと同じようなコール法が用いられていたという話を聞いたのは、もう三十年近くも前になります。
信州と遠州の国境である遠山や水窪の山中では、それを「うぐいす」と呼んでいたという話を耳にしました。わたしはこの話につよい興味を惹かれ、柳田国男、折口信夫や宮本常一などの民俗学者が歩いて回ったように、天竜の奥地に何回か足を運んで、古老たちに聞いてみました。けれども、何も分かりませんでした。しかし、想像してみるだけで愉しかったことを覚えています。
樵夫たちの「うぐいす」が天竜の谷に響き渡っていくさまを、わたしは木立の震える音に聞きました。その符牒の綾、唄い手の顔、それらをわたしは思い描くことができました。ときに高く、早く、時に低く、ゆっくり唄うようにして……。こちらは学問というより、ただ「うぐいす」の仔細を知りたくて聞きまわっただけでしたが。
(文/小池一三)

俳句

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