びお・七十二候

雷乃収声・かみなりすなわちこえをおさむ

2008年09月23日 火曜日
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雷乃収声

秋分の初候は、雷乃収声(かみなりすなわちこえをおさむ)です。次候は、蟄虫坏戸(むしかくれてとをふさぐ)です。雷乃収声の前候は、玄鳥去(つばめさる)でした。気づくことは、これらはすべて春の候と対になっていることです。春は、蟄虫啓戸(かくれたるむしとをひらく)、雷乃発声(かみなりすなわちこえをはっす)、玄鳥至(つばめいたる)の順になっていて、四季の巡りの微妙が、この七十二候に映し出されています。

さて、雷乃収声(かみなりすなわちこえをおさむ)ですが、読んで字の如く、雷が鳴り響かなくなる季節をいいます。秋分の日を告げるのが「雷乃収声」だというのは、とてもドラマチックな話だと思いませんか。

夏の間、夕立とともに鳴り響いた雷鳴は、この頃になると鳴りを潜めます。遠雷です。遠雷は夏の終わりを告げる雷です。

余談になりますが、立松和平に『遠雷』という小説があります。この小説は、野間新人文藝賞を受賞しており、根岸吉太郎監督によって映画化されています。バブル経済前夜の1980年代、都市化の波が押し寄せた宇都宮郊外を舞台にして、悩ましい青春物語が繰り広げられます。この映画はDVDにもなっており、主演は永島敏行と石田えりです。この映画では、最後のシーンに、雨がないのに「遠雷」が響きます。

舞台となった宇都宮は、「雷の銀座通り」とされ、「雷都」(らいと)と呼ばれています。宇都宮には、この名前がつけられた「雷都(ライト)ビール」という名の地ビールや、「雷都物語」という名前のお菓子もあります。

秋の雷鳴は、夏のそれと比べると寂しい音色です。

雷鳴は放電現象が発生したときに生じる音ですが、雷が地面に落下した衝撃音ではなく、放電の際に放たれる熱量により、雷周辺の空気が急速に膨張したときに生じる衝撃音です。秋になると、放電の熱量が小さくなり、したがって雷鳴の音量も小さくなるのです。

「雷」「かみなり」は季語としては夏を表しますが、「稲妻」は秋の季語です。

古語や方言などではいかずち、ごろつき、かんなり、らいさまなどとも呼ばれています。稲妻は、雷の光で、稲光(いなびかり)ともいいます。落雷した田では、稲が良く育ったため稲穂は雷に感光して実るとされ、そこから稲の「妻」と呼ばれるようになります。

古今集に、

「秋の田の穂の上を照らす稲妻の光のまにもわれや忘るる」 (巻十一 五八四) よみ人知らず

という歌がありますが、電光が稲を実らせることを歌っています。

秋の雷鳴は寂しいものですが、闇夜に走る稲妻は美しく、澄んだ秋の空気を裂いて夜空を明るくします。それはまるで花火のようで、ここに紹介した「稲妻のゆたかなる夜も寝べきころ」という句は、そんな稲妻に魅せられた句です。

音もなく、遠くに稲妻の閃光が走る、それを眺めていると飽きることはないけれど、そろそろ寝る時間なのでは、という句です。

中村汀女(なかむらていじょ/ 明治33年~昭和63年)の句です。

汀女の有名な句に

「外にも出よ 触るるばかりに 春の月」

がありますが、秋の稲妻と似ています。汀女の句は、みなこのような句で、家庭的な日常茶飯を、その細やかな感情を、淡々と詠んだ俳人として知られます。現代女性に俳句を広げた功労者とされています。

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