目指せ!日本の新しいスタンダードハウス
住まい手と建築家と工務店が一体となって、
かつての町家や民家のように、簡素で美しい
スタンダードな家をつくる運動が開始されました。
余分なものはいらない、機能をちゃんと備えた簡素な美しい家がほしい

かつて日本には、町家や民家がありました。今も各地に、わずかに残されています。それらは、まるでキノコが群生するように建てられていました。それらはまた、美しい町並み景観をかたちづくり、簡素であるけれど、その地域らしい固有の表情を持っていました。それはまさに、日本のスタンダードハウスといえるものでした。
そんな住まいを、もう一度生もうという建築運動が、ここに始まりました。
長い必要と、長い好みと、長い寿命の家
今の住宅は、建てたときが一番きれいで、年月を重ねると、だんだんと貧相になります。ちょうどそれは色あせたプラスチックの食器のようなもので、結構ツライものがあります。私たちは、年月に耐え、いつまでも愛着に応えてくれる家をつくりたいと思います。
私たちはそれを、長い必要と、長い好みと、長い寿命に応えてくれる家、と括りました。
スタンダードハウスの基本です。
【長い必要】とは、十分な耐震・耐久性を持ち、これからの生活に必要な機能を備えた家をいいます。建物の頑丈さだけでなく、「生活の用」に応えられなければ、やがて家は朽ちます。なぜ、むかしの町家や民家は長い必要に応えられたのでしょうか。それは、普段は仕切って生活していても、襖(ふすま)を取り払ったら広い空間になり、その自由さや自在性があったからです。
アントニン・レーモンドは、
「日本の家には、驚くほどの自由度がある。夜間と冬は、外部を固く閉ざし、内部を部屋に分割した箱となる。夏は、雨戸、障子、引き戸、ふすまを取り払い、家は天幕小屋よりも開け放たれ、風が素通りする」(『私と日本建築』より)
と言っています。
「日本の家には、驚くほどの自由度がある。夜間と冬は、外部を固く閉ざし、内部を部屋に分割また、文学者の志賀直哉は、「必要なことだけを単純化して、美しいところを備えてゐれば、居心地よい家になる」(志賀直哉『住宅に就いて』より)と言っています。
【長い好み】とは、建ったときが一番いいだけでなく、木の香りも芳しい新築時はもちろんのこと、歳月を経たら歳月を経た美しさを持ち、暮らしに馴染んだ質感を持った家をいいます。
この国では、強くて、木目が美しく、加工も容易な木材が豊富に産出されました。ヒノキ、スギ、マツ、ケヤキなどの樹木は、建築用材として実にすぐれた性質を有していました。しかもこれらの樹木は、特定の地域に偏ることなく全国各地に分布しています。
日本のクラフツマンである大工棟梁は、この材料を活かし、鋸、鉋、鑿など、ごく簡便な工具を用いて加工し、家を組み立てました。その基になった木割術は、意匠と構造、設計と工事とを体系づける技術であり、その技術は棟梁からその弟子へと継承され、経験と勘によりながらも、一種の空間翻訳機能ともいうべき特徴を有していました。この国の伝統技術といわれるユエンです。
そこには、木とこころを通わせ、木にしかできないカタチを追い求めてきたクラフツマンの歴史があります。
木は、湿気を吸収してくれます。もし室内の湿度が高ければ、木は、その水分を吸い取ってくれ、また室内が乾燥していれば、木は、材料内部の水分を適度に発散してくれます。
木ばかりでなく、土壁にしても、畳にしても、障子にしても、日本の木造の住まいに用いられている材料は、みな木と同じような調湿性を持っています。
木の家の最大の魅力は、住み心地の良さにあるといわれますが、木の家は、生きている材料による、絶妙ともいえる調節作用があるから、住み心地がいいのです。それが「長い好み」を生んでいます
【長い寿命】とは、ここに述べてきたことの総和によってかたちづくられます。
破壊力の大きな地震に対する建築技術(構造力学)は格段の進化を遂げており、これからの家は、そうした新技術を反映したものでなければなりません。
また、建物の寿命を決める上で大きいのは、メンテナンスの良し悪しです。
高度経済成長下では、メンテナンス・フリーがいいと言われてきました。しかし最近は、ちゃんと使い込み、手直し、補修し、メンテナンスするのがいい、と言われるようになりました。
日本の住宅は四隅がきれいで、掃除の行き届いた家は、それだけで気持ちのいいものです。最近、ホウキを愛用するする人が増えています。そんなことも楽しみに変えることです。
普段のお掃除を大切にするとして、ペンキを塗り替えたり、雨に打たれ、朽ちやすい部位の材料を取り替えるなどして、定期的に保守点検を欠かさないことも大切です。
また、今の家が、むかしの家と違うのは、電気や上下水道、ガスなどを外部から引き入れ、引き出していることです。配線、配管の故障が少なくありません。家自体を点検しやすく、直しやすく造る必要があります。これらを隠した建築に対して、見えたっていいではないか、という考え方に立てば、事は、はるかに容易になります。
また、家の履歴のもとになる図面や工事写真を保管し、いつでもメンテナンスできるようにしておくことが必須です。
シンプルな普通の家がほしい!
気づくことは、住宅業界は過当競争に明け暮れるなかで、真に求められる住まいを見失っていることです。ローコストの家なのに、階段の手すりがロココ風であったりして、余分なものが多過ぎます。何を美しいと感じるかは個人差があってむずかしいことですが、長い必要と、長い好みと、長い寿命に応えてくれる、「シンプルでフツウの家」をみんな欲しいのです。
今回の運動に参加している建築家メンバーの一人、趙海光さんは、自分に依頼してくるクライアントのことを、『暮らしの手帖』の別冊号(2002年版)に書いています。
「彼あるいは彼女らは、なにも特別かわった家を求めてるわけじゃない。とっても控えめに、こんなふうに言う。凝ったデザインなんかいらないんです、シンプルでフツウの家がいいのです」と。つまり、質のいいスタンダードハウスを探し、探し疲れた果てにやってくる志願者が、趙さんのクライアントなのです。
言い換えると、「質の高い住宅を、手ごろな価格で」ということになるのでしょうか。
そんなスタンダードハウスを生み出そうというのが、このプロジェクトです。

住まい手と建築家と工務店による新しい建築運動です
町家や民家は、素晴らしい知恵を持っていますが、わたしたちは、それを復元したり復活しようというのではありません。スタンダードハウスは新しい考え方と技術を駆使して、これからの住宅を実現する取り組みです。
スタンダードというと、「並」と考えられがちですが、私たちがいうスタンダードは、決して「並」を意味するものではありません。建築が備えるべきクオリティの高さをいいます。そのクオリティを標準的な価格にすること、それがスタンダードハウスの運動です。経済性はとても大事です。
日本の「ローコスト住宅」は、価格の安さをもっぱら「売り」を宣伝文句にしています。ローコストを「売り」にしているのに、デザインが過剰で、たとえば玄関は擬似大理石の床貼りであったりします。何だか薄っぺらくて、安っぽく、チグハグです。そしてそれが、かえっていっそう「貧」を生んでいるのです。
予算がきびしくても、住まいにとってここが肝心、というところをまず大切にして、不要なものを削ぎ落とし、シンプル・イズ・ベストを目指します。
私たちは、そんな「品格」を持った真のローコスト住宅を生みたいのです。
【五つの原則】
アントニン・レーモンドは、スタンダードハウスで大切にすべきこととして、「五つの原則(プリンシプル)」を挙げました。
自然(Nature)
ナチュラルではなく、ネーチャー。大文字の自然。太陽とか、風とか、緑とか、大きな自然力を家に求めるべき。建築材料は親しみやすい、小文字の自然の素材がいい。
単純(Simple)
西洋人のいう装飾とは反対に、日本にあるのは、必要が生み出した美である。すべてを取り去ったとき、残る本質と原理が、日本の家の魅力の源である。
直截(Direct)
簡素な、飾りがなくて明快な家。自然は人工よりも美しい。簡素と軽快は複雑より美しい。
節約は浪費よりも美しい結果を生む。
正直(Honest)
着ぶくれした家ではなくて、正直で、律義で、さっぱりした家。構造自体が仕上げであり、同時に唯一の飾り。キノコや木のように、大地から生まれた家。
経済(Economy)
経済性とは、決して安くつくることではない。何事もムダにしないということだ。
値段の高い器具だから「高級」ではない。本質を見極めることが、ほんとうの高級。
いらないものを削って、どこまで削ぎ落とせるかが「いき」の世界だといわれます。
粋という漢字は、米偏に卆(おわ)ると書きます。酒造りでは、米が卆(おわ)るまで削っていったものを、大吟醸といいます。
工務店には、実は、この削り落しがむずかしいのです。コストカットはできますが、本質的なものを残しながら「用美」を追求しきれない弱さを持っています。それは今の流行に阿(おも)ねないとユーザーの不興を買うのでは、という心配がいつもあるからです。
建築家は、その職能性からの突き詰め方を自己に課しています。自分価値を主張しないと存在価値が認められないからです。
すべての工務店と建築家に当てはまることではありませんが、およそそんなふうです。そこで、この両者のコラボレーションを考えました。
BeVスタンダードの設計者、秋山東一さんは、その前史となるフォルクス住宅において、窓の種類を8種類に限定しました。それによって、窓の水平線を確保したいという要求が秋山さんにありました。結果、それがコストの低下に結びつきました。ここに、スタンダードハウスのあり方の好例をみることができます。
設計のクオリティを落とすことなく、コストダウンをはかるのがスタンダードハウスの要諦です。それが、つまり「粋」というものです。何を取り入れて、何をバッサリと削るか、シンプルであるけれど美しい建築を求めます。
また、スタンダードハウスに欠かせないのは、表現的な突き詰めと共に、寸法や材料の選択などを整理分析し、数量とコストの把握を行い、それをマトリックスなどに要約することです。フォルクス住宅でいえば、MOON設計の村田直子さんがなさってきた仕事です。
そうした地味な仕事と、設計の飛躍が一つのものになったとき、スタンダードといえる住宅が誕生するのです。
建築家と工務店のコラボレーションは可能なのか?
建築家(アトリエ設計者)は、基本的には一品主義の「特殊(こだわり)解」の設計を行います。これに対し、工務店はある程度の量を前提とした「一般解」の設計を行います。この両者は相容れない面が少なくありません。
建築家について、工務店側からウンザリするほど聞くことは「建築家と付き合ってひどい目に遭った」という話です。散々ややこしい仕事を強いられ、利用されるだけされた、ということが建築家との隔たり、不信感を大きくしています。
一方、建築家からは、工務店は自分の建築の本質を少しも分かっていない、ただ仕上げればいいってものではない、という不満を聞きます。
そんなバトルがあって、建築家と工務店は、水と油の関係にたとえる人がいます。両者は交われないのだと……。これは、とても不幸なことです。
確かに、建築家の仕事は、「一品生産」たらざるを得ない性格を持っています。その知的労働の成果は、一部のクライアントの享受をもって完結します。しかし、もって生まれた職能性は設計を突き詰めることへと向かわせます。
一方、工務店は現場から抜けられません。しかし、現場から積み重ねるつよさを持っています。自前の生産手段を持っているのです。趙海光さんは、スタンダードハウスを学ぶ合宿スクールのなかで、建築家は持てないでいるが工務店は持っているものとして、この自前の生産手段を挙げました。このつよみを、工務店はもっと自覚すべきだというメッセージを、趙さんはスクールの冒頭に発したのです。
私たちは、建築家と工務店が、相互に持てるチカラを発揮すれば、スタンダードハウスは可能になると考えています。
「七人の侍」を揃えよう!
08年4月23~24日にかけて、大阪立売堀で、町の工務店ネットと協同組合もくよう連共催による「れんれんゼミin大阪」が開かれました。参加者は180名を数え、熱気溢れるゼミナールになりました。
当日講師に立ったのは、三澤康彦(Ms建築設計事務所)、半田雅俊(半田雅俊設計事務所)、伊礼智(伊礼智設計室)、村松篤(村松篤設計事務所)、野池政宏(住まいと環境社)、趙海光(ぷらんにじゅういち)、永田昌民(N設計室・自然エネルギー研究所)、秋山東一(ランドシップ)×小野寺光子(イラストレーター)の面々でした。
スタンダードな家を追求してきた建築家に、「工務店がつくる家」を提案してもらい、町の工務店がつくる家のヒントにしてもらえたら、というのが、このゼミの狙いでした。はたしてこの狙いは効を奏し、建築家による競演的な発表に、会場は沸きました。
このゼミナールの企画のヒントは、07年暮れに浜松で開かれた「れんれんゼミ」での趙海光さんの発言でした。趙さんはスタンダード(定番)の住宅を生むために、「工務店は『七人の侍』(建築家)を募るといい」と提案しました。
黒澤明監督の映画『七人の侍』は、武士がやってきて、活躍して去って行きます。『七人の侍』には武士の誉れがあります。もしあの侍たちの頑張りがなく百姓だけだったら、あの映画は成り立ちません。「百姓」は、営々として食べられるものを生産し続けます。食べられないものは作りません。その「百姓」の仕事に対する畏敬の念が、あの武士たちにありました。
「七人の建築家」が役割を果たし、工務店がそれに呼応してがんばる、そんな映画のようなことをやってのけようではないか、というのが趙さんの提案でした。
まだ「七人の侍」は出揃っていませんが、4人の建築家が手を挙げてくれました。
かくして4つのスタンダードハウスが開始されました。








2008/11/18(火)11:15
多くの工法が巷にあふれる程 (つまりエンドユーザーの心を揺さぶるコピー )有ります。
建築及び 住まい(住宅)は日本の古来からの流れがあり、戦後の住宅においても、確かにその時の時流はあります。
進化はしていますが、現時点での巷の工法が 全てベストか?
欧米のデザインの住まいが何故 日本に存在しなければならないの。
わざわざ、遠方より取り寄せた 2×4 を使い 耐用年数の短い木材を好んで使わなければならないの。
高気密を売りにしている 現場 見たこと有りますか。
完成してから、見学に行ってみてください。
有害揮発物質 が蔓延して 玄関より中に入ること出来ないくらい
臭います。
それが 新しい住宅なのです。 と勘違いしていませんか。
町の工務店ネットの提案する スタンダードハウス。
下記のようにまとめてみました。
1、病気にならない家をつくる (シックハウス対策)
2、きれいな空気質の家をつくる (呼吸する住まい)
3、夏涼しく 冬暖かい家をつくる(太陽、バイオマス、省エネルギー)
4、住むこと自体が歓びになる家 (住まいは生きかた)
5、街の景観を高め住み続けたい家をつくる (200年残る家)
6、日本文化の美意識を取り入れ一時流行に捕らわれない家をつくる (洗練されたデザイン)
7、クオリテイー(質)を落とさず(施主が無駄な費用を負担しない)実質的な家をつくる (本当の意味のローコスト)
迷わされず 正しい知識を得て 家づくりをし、楽しい生活をしませんか。
2008/8/4(月)19:47
谷内さん、とても嬉しいコメントです。ここ50年、日本の住宅は「注文住宅」に翻弄されました。建材メーカーは、どこも厚いカタログを用意し、この中からあなたのお好みで選んでください、と言ってきました。雑多なものを雑多に選び、バラバラなデザインがはびこりました。そこから、どう脱皮して、足るを知る住まいをどう生んでいくのかが工務店に問われています。ぜひ、一緒に考えてください。
2008/7/31(木)03:56
日本のスタンダードハウス
のコンセプト 的を得ている考えと思います。国際的に評価されている建築は、全てシンプルです。厚化粧より すっぴんの女性のほうが親近感を感じると同じく、男どもの心をひきつけます。日本人の購買心理は全て、割安感のバロメターで選択します。個人のライフスタイルが確立されていないからです。
心では美しいこと、ものに感動するすばらしい情緒をもった国民なのですが、金銭がからめばエコノミックアニマルなのですね。
心の感動を、個の生活指針として蓄積し新た思考が生まれるのですが。