ぐるり雑考

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目をとじて、見えてくるもの

昨日まで信州の女神山にいた。「インタビューのワークショップ」という5泊6日の滞在プログラムで、テーマは「きく」こと。

話す行為というのは、実はかなり全面的に聞き手の存在に依存している。聞いてもらえるから話せるのであって、新作を公開した映画監督も、入院先のベッドの患者さんも、どんなに話してみたいことがあっても目の前の相手が「聞いていない」とわかったら、たちどころに言葉を失う。

話の上手い人が多い社会より、ひとの話をきける人が多い社会の方が、生き生きとしたものになるはずだ。めいめいが感じているささやかなことが、表現され、育ってゆくので。僕はそんな社会で生きたい。

西村佳哲

今回、参加者の中に目の見えない女性がいた。歳は50代。20代で視力を失ったという。喜んで受け入れたものの、目の見えない人の「きく」は一体どんなものなのか、よくわからないままワークショップをむかえた。

たとえば目が見える人には、話し手の表情も見える。言葉で表現されることの大半は「考えた」ことで、本人がそのことを「いまどう感じているか」は、表情や身体や、声の方にあらわれやすい。
目の見えない人は、見える人以上にその質的な変化を感じ取りながら聞いているんじゃないか。敏感な「耳」を持つ人に、どんな機会の提供ができるだろう?

西村佳哲

ワークショップが始まって3日目の朝。
ミーティングの場で、彼女は「昨日はじめて〝目をとじて〟相手の話を聞いた」、とみんなに伝えていた。

視力を失った人は瞼の筋肉が衰えて、数年のうちに半ば目をとじた状態になるのが一般的だそうだ。でも彼女は「私はここにいますよ。あなたの話を聞いています!」という感じで、見えない目の瞼をまたたきながら、相手が見えているかのように聞き、話しかけているのが印象的だった。

しかし、相手の話を聞いているとき、懸命に開いていたはずのその目が自然に〝とじて〟いることに気づいて、びっくりしたのだと言う。

驚きながら、でもすごく嬉しそうだった。「目をとじたら、すごく安心で。その人の話が、からだ全体に伝わってくるような感じがして」。こんなことがあるんだ、って。


西村佳哲  にしむら・よしあきプランニング・ディレクター、働き方研究家

1964年東京都生まれ。リビングワールド代表。武蔵野美術大学卒。つくる・書く・教える、三種類の仕事をしている。建築分野を経て、ウェブサイトやミュージアム展示物、公共空間のメディアづくりなど、各種デザインプロジェクトの企画・制作ディレクションを重ねる。現在は、徳島県神山町で地域創生事業に関わる。多摩美術大学、京都工芸繊維大学 非常勤講師。

連載について

西村さんは、デザインの仕事をしながら、著書『自分の仕事をつくる』(晶文社)をはじめ多分野の方へのインタビューを通して、私たちが新しい世界と出会うチャンスを届けてくれています。それらから気づきをもらい、影響された方も多いと思います。西村さんは毎日どんな風景を見て、どんなことを考えているのだろう。そんな素朴な疑問を投げてみたところ、フォトエッセイの連載が始まりました。