特集

永田昌民さんの一番あたらしい仕事

2009年04月16日 木曜日

“永田昌民さんの一番あたらしい仕事

“手書きの青焼図面”って、めずらしくありませんか。
でもこの作業、永田さん、とてもうれしいみたいです。

宍道湖と出雲平野

JR松江駅に、工事を担当された藤原木材産業の藤原徹社長が迎えにでてくださいました。紺色のVOLVOに乗り込み、ぼくも前はVOLVOに乗っていました、などという話を交わしながら、宍道湖を海側に進路を取り、出雲へと向かいました。その日の宍道湖は風がつよく、茫漠とした印象の湖に映りました。
宍道湖といえばシジミ漁で知られ、全国のシジミ漁の約45%を占めています。天気がよければ、「じょれん」という漁具を用いて漁をする風景が見られるのでしょうが、残念ながら、この日は見られませんでした。この湖で獲れるシジミは大和シジミで、味がいいことで知られています。しかし、近年収穫量が減っていて、シジミ漁師たちは不安を感じていると藤原さんは言います。
車で走っていて目についたのは、細田博之自民党幹事長のポスターでした。小泉内閣で官房長官を務めたときには穏やかな人物という印象だった人が、このところテレビで見る細田さんは、突然変異したように攻撃的な言動が目立っていて、藤原さんも、どうなっちゃったんでしょうね、といいます。島根といえば「竹下・青木」で知られますが、このところ、島根の政治地図もずいぶんと変化しているようです。
島根県地図こうした話は、どうでもいいような話でありますが、風景のなかに政治が影を落としているのは事実で、宍道湖の護岸工事に、それを感じたりしながら移動したのでした。
島根の西部、益田から内陸部の吉賀町には、柿木村の田村浩一さん(リンケン代表、「びお」編集委員でもある)がいらっしゃることもあり、ここ数年、何回か足を運んでおりますが、柿木村と出雲の交通の便は、石見空港から東京に出るよりも時間を要するそうです。

出雲平田町

その家は、平成の大合併で、今は出雲市となった平田町に建てられています。松江から出雲の途中にある町で、山陰本線出雲市駅から一畑電鉄で20分の距離にあります。

001

もう25年も前のことになりますが、息子と二人、この電車に乗って松江――出雲間を往復したことがあります。湖と田園風景のなかをコトコトと走る電車でした。松江駅でこの電車のことを地元の人に聞いたら、「バタデンね」という言葉が返ってきて、そんなふうに親しみをこめて呼ばれているのかと思いました。
この路線は、明治45(1912)年に、一畑軽便鉄道として開設されました。この本社は平田町に置かれています。平田町はかまぼこが名物です。電車のデザインを形どったかまぼこが作られていて、焼きごてで窓やドアが描かれています。
この懐かしい電車を主人公にした映画『BATADEN〜一畑電車物語〜』(錦織良成監督)の製作発表が昨年行われており、いずれ劇場公開されることでしょう。

002

何かと話題の多い平田町に永田昌民さんの設計による住宅が建てられ、建物見学会が開かれて、200組もの人が訪れたということで、地元でちょっとした話題になっています。
今回の訪問で、ぼくの最大の興味は、農村風景の中に建てられた永田昌民の仕事はどんなふうだろう、ということでした。

農村風景のなかの永田デザイン

その建物は永田昌民の設計そのものでした。
その限りでいうと、何も変わったところはありませんでした。ただ、その建物が石州瓦の旧宅と併設されているにも関わらず、何の違和感もないのが不思議でした。
周囲から一段高い石積みの上に建てられており、まあ豪壮といっていい建物でした。石州瓦の旧宅は、このあたりの農村住宅そのもので、殊にその家は旧家といっていい大ぶりな建物でした。入ってすぐに大きな納屋があり、奥に大きなヴォリュームの旧宅があって、それに挟まれたかたちで、永田さんの設計の建物が建っていました。

a1

少し考えるとギョッとする話ですが、これが違和感がないのです。というより、何故かよく融け合っているのです。豪壮な建物が中和されたというか、相互の建物が、よきプロポーションのなかに納まっているのです。
永田さんの設計の屋根の勾配の柔らかさと、斜めに切られた建物のプランと、旧宅とつながれた大きなデッキ、地蔵堂と永田さんが名づけたという離れの建物がうまく生きているように、ぼくには思われました。
旧宅との融合の良さは何なんでしょうね。

b

ぼくが永田さんの設計でいつも感じることは、お施主さんが永田さんの設計を愛していることです。理屈なくというか、永田さんの設計の全体と、ディテールにまで及んで気に入っておられるのです。

c

実は、ぼくの娘が仙台に嫁いで、その住宅を永田さんに設計してもらいました。24坪の小さな家でしたが、娘も、婿どのも、その家が好きでいます。
それは設計の力だといってしまえばそれまでで、確かに永田さんは周囲の風景の読み込みも、建築の納まりも巧みな人ではあるけれど、ぼくはやはり、この建築家はスケールがいいのだと思います。スケール(Scale)とは、英語で縮尺、比率を指す用語です。音楽では音階を意味します。永田さんのなかには、独得の物さしがあって、それでもって釣合いを計るのだと思います。それは建築的には寸法に還るのだけれど、先天的な感度みたいなものがそれを決めるのではと、ぼくには思われるのです。

1階平面図

1階平面図

2階平面図

2階平面図

屋根伏図

屋根伏図

このことは、仙台の娘の家にも共通しています。仙台の家は出雲の家と違って、本当に小さな家です。二階にダイニングキッチンとリビングがありますが、あるとき、キッチンの上のレンジフードだけが、わずかにカーヴを描いていることに気づきました。全体にやわらかさが醸し出されているのは、そうか、このフードなのだと思ったわけですが、それはやはり、独得の物さしによって釣合いがとられたのだと思います。

永田昌民さんの一番あたらしい仕事04

室内は、いつもの永田テイストで、天井高は2100。低さを少しも感じないことに藤原さんは驚いておられました。藤原さんにとって、永田さんのお仕事は初めてで、収穫が大きかったといわれます。

永田昌民さんの一番あたらしい仕事05

斐川の築地(ついじ)の松

この建物を見たあと、斐川町の方に回りました。
天井川として知られる斐伊川の扇状地に形成された農村で、富山県の砺波と共に散居のある村として知られています。よく手入れされた築地(ついじ)の松に囲まれた散居の風景は、遠くからみても、近くからみても、実に美しく、しかしその保持は、並大抵のものではないことを藤原さんから教えていただきました。
築地の松に囲まれた散居については、町の工務店ネットが発行した『住まいを予防医学する本』に掲載しました。村の写真コンクールに入選した写真を送っていただいて載せました。
出雲の民家を移築した出雲文化伝承館に立ち寄り、出雲そばの昼食をご馳走になりました。そばの風味がよく出ていて、とてもおいしいそばでした。

永田昌民さんの一番あたらしい仕事06

築地松

「最良の基礎とは、樹木の根のようなものである—つまり、樹木の全体構造はそのまま地中に連続し、引っ張りと圧縮を伴いながら、完全に地面と一体化したシステムを生み出している」(『パタンランゲージ』
C.アレグザンダー 著 白井翰那 訳 鹿島出版会 発行)
出雲の築地松は、このアレグザンダーの「根のような基礎」を、そのまま表しています。空から出雲に入ると、斐川平野に見られる散居は、まるで海に浮いている小島のようにみえます。
散居といえば、富山の砺波平野が知られますが、集まって住むのが人間の習性だとすると、何故、出雲や砺波の人たちは、こんな風に家を離して建てたのだろうか。農業のしやすい場所を考えて、というのが一番の理由でしょうが、どうみても地盤は弱そうだし、風は強そうだし、近くの斐伊川が氾濫したら一溜まりもなさそうだし、それで根をしっかり張る黒松が選ばれたことは想像に難くありません。つまり敷地全体に「根の基礎」を張り巡らせることで、この難儀な土地を住まう場所につくり変えたのです。何と柔らかく、理にかなっていることか。松はそのまま放っておくと大きくなります。その刈り込みは「陰手刈り」と呼ばれます。手入れよく透かれた枝葉は、まるでレースのカーテンを思わせるようではありませんか。

[文/小池一三 写真/藤原木材産業]

永田昌民(ながたまさひと)

1941年、大阪府生まれ。建築家。東京藝術大学美術学部建築科卒業、同大学院(吉村順三研究室)修了。1971〜73年同大学非常勤講師。 1976年益子義弘(現・東京藝術大学名誉教授)氏とM&N設計室を設立。1984年N設計室に改称、現在に至る。自然エネルギー研究所所長。

関連リンク
藤原木材産業 ブログ「暮らしの風便り」
N設計室 永田昌民先生の仕事
http://fujimoku.at.webry.info/200903/article_4.html
設計のみつくろい「開口部(永田昌民)」
http://www.bionet.jp/2008/12/kaikou/
設計のみつくろい「明かり(永田昌民) 」
http://www.bionet.jp/2008/11/akari/

    小 大
    ページ上へ