びお・七十二候

草露白・くさのつゆしろし

2008年09月08日 月曜日
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草露白

和泉式部を、『折々のうた』の作者、大岡信さんは「日本の和歌の歴史を貫いて、最も有名な恋愛歌人だった」と評価されます。この歌は『後拾遺集』に採られている歌ですが、大岡さんによれば、この歌には前書きがあり、それは「露ばかりあひみそめたる男のもとへ」というもので、「つまり、ほんの短い逢瀬しかなかった男へ、恋しいという思いのたけを言いやったもの」だということです。

大岡さんは、この歌の「たとへていえば」に注目します。「優美をもって鳴る平安調和歌とも思えぬ大胆な言い回しで、こういう歌をもらった相手の男は参ったろう」「凡庸な歌人では到底考えつきもしない企て」だといいます。

この歌の冒頭の「白露も夢もこの世のまぼろしも」は、すべて儚い瞬時のたとえです。しかしそれらも、あなたとの逢瀬にくらべると、ずっと久しい(長ったらしい)ものだというのですから、まあほんと、すごい歌というしかありません。

二十四節気・七十二候を綴るものとして、ここで注目したいのは、白露は、夢・この世・まぼろしと同義語として括られていることです。そもそもこの時季を、どうして白露というのか。

白露とは、風のない晴れた夜に発生する「しらつゆ」のことです。「白露」 の初候に当たる「草露白(くさのつゆしろし)」は、朝夕冷気が増して、草葉の上に露が結んで、白く涼しくみえるようになる状態をいいます。「暦便覧」には「 陰気ようやく重なりて露にごりて白色となれば也」と書かれています。

しかし、それはまだ一瞬のもので、夢・この世・まぼろしと一緒であって、日が昇るにしたがい残暑の現実があるのです。

金剛の露ひとつぶや石の上 茅舎

画家の川端龍子を兄とする川端茅舎(かわばたぼうしゃ)は、高浜虚子に『花鳥諷詠真骨頂漢』と言わせた写生句の名人です。この句は、白露が持つ一瞬を、別の角度から見事に写生しています。

新涼や紫苑をしのぐ草の丈 杉田久女

杉田久女(すぎたひさじょ)は、茅舎と同じホトトギス派の歌人でしたが、虚子の不興を買い破門されます。久女をモデルにした作品は、田辺聖子の『わが愛の杉田久女』(集英社)、松本清張の短編『菊枕』(『松本清張傑作短篇コレクション』第3巻文春文庫)などに書かれているので、気になる人はそれを読んでください。

ここで「新涼」という季語がでてきます。
俳諧では、単に「涼し」といえば夏のことをいいます。涼しいことを願って句を詠むわけで、涼味に重点が置かれます。これに対し、「新涼」は、秋になって「やっと秋らしくなりました」と言い交わす言葉と一緒で、初めて涼しという意味合いのものです。久女は、野道を歩いていたら、夏の間にのび茂った草々の間に、丈の長い紫苑が清楚な花をつけて隠れるように咲いていて、そこに久女は「新涼」を見出すのです。

夜は、空気が透明になって、月の明かりが鮮やかさを増します。
中秋の前半は白露、後半は秋分です。

俳句

草露

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