『老建築稼の歩んだ道 松村正恒著作集』『日土小学校の保存と再生』『建築家・松村正恒ともうひとつのモダニズム』

びお編集部

ちいきのたより第58回で愛媛県松山市のコラボハウスさんが紹介してくださった日土小学校。木造モダニズムの名作と謳われた建築。それを設計した松村正恒さんを追った花田佳明さんの本の紹介です。

松村正恒(まつむら・まさつね):

建築家。1913年愛媛県大洲市新谷町に生まれ、戦後間もない愛媛県八幡浜市役所の一職員として珠玉の学校建築や病院関連施設を数多く設計した。モダニズム建築の思想に拠りながらも教条的な姿勢はとらず、教育や生活のあるべき姿を空間化した。1960年に八幡浜市役所を辞し、同年、松山市内に松村正恒建築設計事務所を開設。以後大小400以上の設計を手掛け、1993年に没するまで現役の建築家として活動を続けた。
代表作に〈日土小学校〉(1956-1958年竣工)、〈新谷中学校〉(1955年竣工)、〈江戸岡小学校〉(1953年竣工)、一連の〈八幡浜市立病院〉施設群(1952-1960年竣工)など。なかでも日土小学校は2009年に保存修復工事が完了し、2012年には戦後木造建築として初の重要文化財建造物に指定された。同年には保存再生の関係者がワールド・モニュメント財団/ノールモダニズム賞を受賞するなど、国内外からの高い評価を得ている。 主著に『老建築稼の歩んだ道』(私家版、1995年)【*】、『無級建築士自筆年譜』(住まいの図書館出版局、1994年)、『素描・松村正恒』(建築家会館、1992年)
*――本書と同名の書籍は松村の没後、田中修司氏の編さん、松村夫人・妙子氏の発行により出版された遺稿集です。

花田佳明(はなだ・よしあき):

神戸芸術工科大学教授。1956年愛媛県生まれ。1982年東京大学大学院工学系研究科建築学専攻修士課程修了。1982‐92年日建設計勤務、1992‐97年神戸山手女子短期大学専任講師・助教授、1997‐2003年神戸芸術工科大学助教授を経て、2004年より現職。専攻は建築設計理論・近代建築史。博士(工学)。
著書に『建築家・松村正恒ともうひとつのモダニズム』(鹿島出版会、2011年)、『植田実の編集現場―建築を伝えるということ』(ラトルズ、2005年)など。

〈老建築稼の歩んだ道〉
名作“日土小学校”の生みの親・松村正恒(1913‐93)。一地方都市の建築士として建築のあるべき姿を追い求め続けた。その思策の跡は、独自の筆致で綴られた多くの著述にも深く刻まれている。三冊の著作と単行本未収録の論考をいま新たに精選して集成。名調子で親しまれた松村節が冴えわたる、真摯でユーモラスなアンソロジー。
〈日土小学校の保存と再生〉
戦後の木造建築として初の重要文化財となった日土小学校。文化財的価値を損なわず最新の学習環境へと蘇った保存再生工事は世界的にも名高い。木造モダニズムの名作と謳われた建築の再生工事全記録、待望の刊行。
〈建築家・松村正恒ともうひとつのモダニズム〉
松村正恒という建築家がいた―戦後間もない愛媛県八幡浜市役所の一職員として、珠玉の学校建築や病院関連施設を設計した人物である。モダニズム建築の思想に拠りながらも教条的な姿勢はとらず、教育や生活のあるべき姿を空間化した。1960年には『文藝春秋』の特集「建築家ベストテン」で、前川國男、丹下健三、村野藤吾らとともに日本を代表する建築家にも選ばれている。松村が提起した多くの問題や枠組みは、これからの建築のあり方を構想するうえで、依然として有効な射程をもっているといえるだろう。本書は、松村とその建築に関する初の本格的論考である。
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