季節をいただく

焼き柴栗

少し冷えた、標高のある山の朝。
急な坂を下ると、幾千もの毬栗いがぐりが、絨毯じゅうたんのように地面を埋め尽くしている。踏みつけて転ぼうものなら、幾億ものとげがお待ちかね。
針のむしろを、すり足でゆっくり進んでいると、静けさを破るように、目の前に、バサッと落ちてきた。
そのいがは、見事にほおの木の厚い落ち葉を突き抜け纏っている。
艶のある栗の実が顔を覗かせ、落ちたての食べごろ。

栗

そっと手に取り、柴栗の大木を見上げると、音符のように並ぶ栗の毬。風に揺られて空の調べを奏でている。
柴栗の大木に囲まれたアースバッグハウス(土嚢袋を積み上げた家)の広場。地面近くは無風、柴栗の頂きの枝葉にそよ風を見ていると背後に気配。

いつの間にか、大木のひとつに、猿の群れがやってきて朝食の団らん。栗を素手と歯で毬から出して食べている。地面をよく見ると、昨日までの猿の宴の跡があちらこちらに。
冬支度、食べ溜める猿が早いか、虫が入るのが早いかの柴栗。そのおこぼれを少しいただき、焚火の網の上で、焼き柴栗。
山に自生している柴栗は、小粒で手間はかかるが、遠火でじっくり熱を入れる。爆ぜて飛ばないように金ザルをかぶせたいが山にはなく、爆ぜた音を残して彼方に飛んで行ってしまうこともある。

柴栗 焼栗

山の恵み、お猿さんからのおすそ分け、満たされる食べ物があると平和そのもの。
毎年、栗の時期にお世話になる信州安曇野、穂高養生園でのひととき。
遠州に持ち帰った柴栗も、じっくり網焼き。棚からグレープフルーツスプーンを用意したところ、デザイナーの柳宗理先生の姿が浮かび、背筋が伸びて黙々といただいた。
焼き柴栗と、お猿さんとスプーン。

猿

柴栗:信州安曇野、有明山麓
表題写真:グレープフルーツスプーン(柳宗理)

著者について

中小路太志

中小路太志なかしょうじ・ふとし
大和川が育む河内生まれ。幼い頃は田畑に遊び、野菜の虫取り、薪割り、風呂焚きに明け暮れ、炎と水を眺めて過ごす。潮騒、やまびこ、声など、耳に届く響きに趣き、コンサートホールの建築や音楽、舞台、展示制作に携わる。芸術と文化の源を求め、風土や人の営みから、言葉とからだ、食と農に至る。食べることは、天と地と人が繋がること。一粒の種から足るを知り暮らしを深める生活科学(家政学)を看護学校にて担当。天竜川流れる遠州在住。