びおの織り子たち

歩くことでわかること

こんにちは。びお編集長のおないです。
本格的な冬となり、暖かい飲み物が手放せなくなりました。

私にとって先週末は、びおオープン後初めて訪れた平穏な休日だったような気がします。
そんな大げさなことを、と自分で思いながらも、久しぶりに感じる心の余裕が新鮮でした。

ただ、それは単に時間が空いたという、ことだけではなく、身体的なことも影響しているのだと思います。

この日、まだ「この冬一番の寒気」が襲う前のほがらかな陽気の中で、私は近所を散歩していました。
最近はもっぱら車通勤となり、休日も出かけることが多かったため、近所の病院まで気分転換も合わせて歩いて行くことにしました。

浜松市に流れる馬込川沿いを、下流に向かって歩くのがいつものコース。
そこで、いつもつい立ち止まってしまうポイントがあります。
大きく川が蛇行するこの場所。
夏に見たときと変わらないアングル、でもどこか冬のそれは哀愁を感じる風景でした。

馬込川

私たちは普段の生活で、目的地に最短でたどり着くことばかり考えてしまいます。
その方が効率は良いし合理的だし、結果がすぐわかれば次の手を打てるからです。
ですが、たとえ同じような道を歩いていても、わずかな違いに感銘を受けたり、心が動くことがあります。
ゆっくり歩けば普段気づかなかったものに気づくこともできます。
そこに意味を見出したり、記録して共有しようと誰かの顔を思い浮かべたり、そんな時間の豊かさに、
私は心を寄せていくことが好きです。

びおはオープンして三ヶ月が経とうとしています。
ハッピーバースデー!と誕生を盛大に祝っていただいてから、赤ちゃんのびおは毎日をマイペースにでも確実に生きています。
びおが変わらず、二十四節気や七十二候のこよみをもとに、淡々と時を刻み続けることが、
読者の人たちの生活の平穏に少しでも寄与できるように。

これからも町を歩くようにしながら、
びおが心から良いと思って伝えたいと思えるような記事を、少しずつ発信していきたいと思います。

年末感のあるブログでした!

びお俳壇【大雪】募集!

大根引き大根で道を教へけり 一茶

古くから日本人は季節の言葉を使ってあいさつをしてきました。俳句が季語を使うのは季節のあいさつをするため。
「大雪の折」や「大雪の候」など、手紙で使う形式化された時候のあいさつは、そんな季節のあいさつの名残りです。

住まいマガジンびおは二十四節気や七十二候のこよみをもとに、住まいと生活の視点から旬な話題を届けてきました。
これって、あなたへ季節のあいさつをしてきたということ、です。
もうそろそろ、あなたから季節のお便りをいただきたいな、なんて思いました。
そこでこの「びお俳壇」を企画しました。二十四節気ごとに十七音の俳句をあなたに応募していただき
おもしろいな! たのしいな! すごいな! かっこいいな! こんなことあるの!と思った俳句を選んで掲載させていただきます。
そんな思いつきに、参加してみませんか?
というわけで、あなたの投句をお待ちしております。(甲)

応募要項

テーマ 冬の季語を使う。
締 切 2017年12月6日(水)23時59分
掲 載 冬至、2017年12月22日(金)12時に特選1句・入選3句程度を住まいマガジンびお (http://www.bionet.jp/) で掲載します。特選受賞者には賞品として粗品を贈呈いたします。
選 考 びお編集部員が選考し、寸評をつけます。

下のフォームから投句をお願いいたします。

ボジョレー・ヌーヴォーは初冬の季語?

お酒のお話。毎年11月の第3木曜日にワインのボジョレー・ヌーヴォーの一般販売が解禁されます。今年は11月16日(木)に解禁されました。ボジョレー・ヌーヴォーとは、フランス共和国ソーヌ=エ=ロワール県のボジョレー地方で採れた葡萄でつくられたボジョレーワインのヌーヴォー(新酒)のこと。
びお編集部にもボジョレー・ヌーボー2017が届きました。

ボジョレーヌーボー

このボジョレー・ヌーヴォーの解禁は毎回イベントになり、販売業者のキャッチコピーが日本のネットユーザーの間で楽しまれています。「新酒」は晩秋の季語ですが、「ボジョレー・ヌーヴォー」は初冬の季語として歳時記に載ってもいいくらい、かもしれません。今年の出来はドン・キホーテさんによれば「豊満で朗らか、絹のように しなやか。しかもフレッシュで輝かしい」とのこと。
私は下戸で、しかもワインは苦手なのですが、皆さんはどのように味わいましたか?(甲)

ぷち たつの

今年8月に京都でびお養成塾が開催されました。
その1期生である兵庫県たつの市の池尻朋子さん(池尻殖産株式会社)が中心となって「ぷち たつの」が更新中、小京都たつのの情報を発信しています。

ぷち たつの
http://www.ikejiri.jp/blogall

先月末に完結しましたが「香山村の猫の復讐」というむかしばなしの連載もあります。絵をご自身で描かれていて、方言をふんだんに使っていて。むかしばなしを使った地域紹介、おもしろいですね!(甲)

愛着が湧く柱

『日本人とすまい』(上田篤、岩波新書、1974)は「屋根」や「柱」や「庭」など住まいの部位ごとに書かれた評論24本が載っている。「柱」を読んだ。階(キザハシ)や梯(ハシゴ)と同じく「離れたものへ渡すもの」を意味するハシを語源とする柱(ハシラ)である。

今年の夏まで、損害保険代理店の社員だった。火災保険は、おおまかに言えば建物の柱が鉄筋コンクリートか鉄骨か木骨かで保険料が変わる。駆け出しの研修生のころ、保険会社の社員さんと同行して横浜にあるバイク屋さんの物件を見た。一階建だったけれど天井の高い店舗だった。社員さんは見るなり
「鉄筋コンクリートだね」
と言った。私はびっくりして
「こんなに細くて鉄筋コンクリートなんですか。鉄骨じゃないんですか」
と訊いた。でも社員さんは
「建物が大きいからね。鉄筋コンクリートだね」
と繰り返し言った。
社員と研修生が同行して保険内容を説明した場合、説明責任はすべて社員にある。だから私は鉄筋コンクリートの料率で計算し契約した。
8月のお盆休み、バイク屋さんから「保険金の下りない契約をさせられた」とクレームがあった。前回同行した社員さんは休みをとっていて、私は一人で横浜へ謝りに行った。
「これコンクリートじゃないよ。鉄骨だよ」
と言って中東系のバイク屋さんは鉄骨の柱を蹴った。もう少しで死海に沈められるところだった。柱の苦い記憶である。

中学生のとき、先生から「おまえは林ではなく柱だ」と言われた。もしかしたら褒め言葉だったのかもしれない。
「俺は柱なのかもしれない」
私は恋人を撫でるように、教室の隅にある鉄筋コンクリートの白い柱を何度もさすった。柱の甘い記憶である。

柱というと諏訪の御柱祭が思い出される。ご存知のように、御柱祭は7年に一度寅と申の年に、樅の大木を16本切り出して木落し・川越し・里曳きののちに諏訪大社の4つの宮の四隅に建てて神木とするお祭りだ。なぜ神木を立てるのは分かっていないけれど樹木信仰が根底にあることは間違いないだろう。

古事記には天の御柱の話がある。淤能碁呂オノゴロ島に建てた八尋殿で伊邪那岐イザナギ伊邪那美イザナミが天の御柱のまわりを巡って日本列島を作った。 本書にも書いてあるが伊勢神宮正殿の床下中央には、天の御柱を模しただろう「心の御柱」が建つ。

上田篤はコルビュジェの言葉をもじって「日本の建築の歴史は、柱との格闘の歴史である」と書いた。だが、神話では、日本の創世記ではすでに「天の御柱」が建っていた。

他にも本書には「いまでも古い家では、柱に家神がやどるとされ、商家の大黒柱などでは、子供がこれにもたれることすらゆるされない」とある。そういえば神様や遺骨も柱で数える。木の生命をいただいて建てた柱、愛着が湧いた先はそんな柱の神格化なのかもしれない。

江戸時代の俳諧について書かれた『古句を観る』から柱の発句。

年々のもたれ柱や星迎 白雪

星迎は七夕のこと。一年に一回の七夕の行事にあたり、毎年その柱にもたれる。一年に一度だけ七夕の夜に彦星と織姫が出会うという神話があるが、この人は織姫に逢うかの如く一年に一度だけ柱にもたれるのだ。たぶん恍惚の表情で、もたれるだろう。
ここまで愛着を以て語られる柱はほかにない。あなたもこの人のように、今お住まいの家や実家に愛着が湧く柱はありませんか? 私はあります。(甲)

屋根はなぜ根なのか?

『日本人とすまい』(上田篤、岩波新書、1974)は「屋根」や「柱」や「庭」など住まいの部位ごとに書かれた評論24本が載っている。「屋根」を読んだ。

屋根は変な言葉だ。屋根は家の上にあるのに、「根」は物の下の方を指す言葉だからだ。屋、すなわち家の上にあるのに、字面の意味は家の下である。漢和辞典を調べると「屋」は家を示すが「やね」とも読み、屋根の意味も持っている。屋上という言葉も「屋上屋を架す」ということわざも「屋」が屋根の意味を持っていることを教えてくれる。

万葉集には大伴家持の歌で「板蓋之黒木乃屋根者」(板葺きの黒木の屋根は)とあり、奈良時代から「屋根」の使用例はある。

国語辞典を調べると、「屋」は家全体を示した。そして屋根の「根」は垣根や羽根の根と同じ接尾語に過ぎず、地面などにしっかり根付いているもののことらしい。どうやら、屋が家を示すのではなく屋根が家を示していたようだ。

つまり、屋根という言葉は屋根=家がしっかり地面に付いていた時代の名残りで家そのものを示す、そして柱と壁によって屋根が地面から離れてもなお屋根と呼んだ、ということらしい。屋根の示す範囲が家全体から雨をしのぐ部位へと小さくなった。冒頭の「屋根は変な言葉だ」は、柱と壁のある家が普通だと決めつけていた私の思い込みに過ぎなかったのだ。

ちなみに屋根が家そのものである好例は平安時代まで農家のスタンダードだった竪穴式住居である。

屋根=家

『日本人とすまい』で上田篤は「日本における建築の近代化の歴史は、屋根除去の歴史である」として近代化とともに屋根が少なくなっている事態を嘆いている。確かに屋根こそが日本の家屋そのものだった歴史を思えば、屋根のない建築物は根なし草だ。

昔、北海道札幌市に住んでいたとき新千歳空港駅から札幌駅へ快速エアポートで赴くたびに「車窓から見える街が寂しい」という印象をもった。雪国で曇り空が多かったのもそうだが、サイコロ型の屋根のない無落雪建築が内地出身の私に寂しいという印象を与えたのだろう。一方で「柿木村の一輪挿し」の企画のために島根県を訪れた時、インターチェンジから見えた集落がみな石州瓦で屋根を葺いていて、赤褐色が目に映えた。(甲)

家の歴史を考えた

『プロセスでわかる住宅の設計・施工』(鈴木敏彦+半田雅俊、彰国社、2016)を建築初心者の立場で読んだ。あの「F・LL・ライトに学ぶヴィンテージな家づくり」を連載している半田雅俊さんの著書である。といっても読んだのは基礎編の「良質な住まいをつくるための知識と視点」だけ。

興味深かったのは「日本の住まいの歴史から考える」。日本の住まいの歴史を縄文時代から現代にいたるまでたどっている。町屋や農家は構造形式が決まっていて「人が建物に合わせて使う」こと、明治時代の家の板ガラスはすべて輸入品であったこと、大正時代は性別就寝が普通だったこと、太平洋戦争による空襲で大都市が焼けるまでは都市部では借家住まいが普通だったこと、などが私には新鮮だった。今の日本の都市部における家づくりの伝統は戦後に作られた比較的歴史の浅いもので、それまでは江戸時代から脈々と続いた借家暮らしが伝統だったようだ。今の若い人が借家に親近感を持って、新築一戸建てに違和感を持つのは先祖帰りかもしれない。

浜松市の蜆塚公園で縄文晩期の家と旧高山家という19世紀半ばの家を見ている。

縄文時代の竪穴式住居は空気を循環させ排煙できるように茅葺屋根の下に換気口があいているのと入り口があるのだけのシンプルな間取り。
旧高山家は『プロセスでわかる住宅の設計・施工』にも書いているような「田の字プラン」よりもっと単純な「円の字プラン」。こういう単純な間取りを見ると三大欲求のうち食欲・睡眠欲は大丈夫だろうけれど、性欲はどうやって発散したのか気になる。老夫婦にその息子夫婦でどうやって夜を営んだのだろうかとか、外で営んだのかとか、夜這は特に気にしない習慣なのかとか、家のプライバシーの問題ってほとんど性欲に行きつく気がする。日本人は9月に生まれた人が多いらしいけれど、誕生月の多さと住まいの関係について調べたら何か分かってくるかも。縄文人はどの季節に多く生まれたんだろう?

旧高山家で気になったのは縁側がなかったこと。

縁側のない旧高山家

伝統的な家づくりというと「縁側」が思い浮かぶけれど、それもまた現代に選び直された例外的な過去の記憶に過ぎないのかもしれない。(甲)

綺の家建業株式会社さんを訪問

台風は過ぎたけれど風の残る火曜日。
愛知県豊川市にある綺の家建業株式会社さんを編集長と2人で訪問しました。
浜松と豊橋・豊川は三遠とくくられることもあり、近いですね。
綺の家建業さんを訪ねたのは、web女子一期生の原さんと打ち合わせをするため。

打ち合わせといってもほとんど撮影会。
社屋の外や内で小物を使った撮影をしました。

そうそう、綺の家建業さんがinstagramを開設しましたよ。
題して「プチプラ七十二候」。
原さんの好きなプチプラ・ファッションと綺の家建業さんが使うタイルなどの資材がインスタ画面のなかで化学反応を起こします。
つまり、原さんのセンスが工務店さんのお仕事に彩りを添えるのです。(甲)

今切変遷図

おはようございます。びお編集部の林です。
編集部のある浜松は今日も秋雨で肌寒いです。

浜松市文化遺産デジタルアーカイブ追加資料搭載のお知らせ、と浜松市立図書館のホームページに書いてありました。
それで浜松市文化遺産アーカイブの存在を知り、はじめて訪れました。むかしの浜松市の姿をデジタル画像で見ることができます。
たとえば遠江州敷知郡浜松御城下略絵図の真ん中下、びお編集部(浜松市中区南浅田)の近くにある「光福寺」が木々に囲まれて描かれ、集落のかたわらに「浅田村」と書かれています。「浅田村」は南浅田のもとになった地名でしょう。そして、いつもは馬込川と呼んでいる川が「太子渕」と書かれています。

一番興味をもったのは浜名湖の今切変遷図
もとは淡水湖だった浜名湖が地震による津波で太平洋とつながり、その決壊した場所は今切いまぎれと呼ばれ魚がたくさん釣れると編集人から聞きました。災害とともに変わっていった今切の移り変わりを、今切変遷図では貼り付けた付箋ふせんをめくった状態で一覧できます。古代、浜名湖から出る浜名川が太平洋にそそぎ、平安時代には浜名橋という橋が架けられていました。浜名橋は四大橋と呼ばれ平安貴族にも歌枕として人気だったそうです。

霧はるる浜名の橋のたえだえにあらはれわたる松のしき浪 藤原定家

その外にも『浜松市史』や絶賛放映中のNHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」で有名になった井伊直虎の関連資料が公開されています。
みなさんの町の図書館もこのような地域資料がデジタルアーカイブで公開されているかもしれません。ご自宅で手軽にお住いの地域の歴史に触れることができますよ。(甲)

南浅田でみつけた祠

編集部のプチ引っ越し

新びおも創刊して二週間が経ちました。
先日は、編集部のスタッフが一つにまとまって作業できるように、
社内でプチ引っ越しをしました。

編集長な私は奥の窓際。外を眺めながらお仕事します。
寒さ暑さ、色々ありそうですが、良い気分転換になりました◎

引っ越し前

引っ越し後