ちいきのたより

Vol.99  「麒麟がくる」の時代に多くの武将が通った岐阜街道に建ついわいハウジング 
愛知県一宮市 いわいハウジング

今年の大河ドラマは、
「麒麟がくる」が放送されています。

ですので、今回は、それにまつわる話題をお届けします。

舞台は、
いわいハウジングがある尾張地方(愛知県西部)とお隣の美濃地方(岐阜県西部)を中心にドラマは展開されています。
(実は見ていないのですが、間違ってはいないでしょう)

いわいハウジングの社屋は、岐阜街道沿いに建っています。
昭和30年代に私の祖父が建てたものをそのまま使っています。

岐阜街道とは、
「麒麟がくる」の舞台となっている尾張の中心である清須城

青い空と清須城
美濃の中心である岐阜城を結ぶのが岐阜街道です。

岐阜城が遠くに見える岐阜城

いわいハウジングから清須城までは8kmほど、岐阜城までは 16 kmほどの距離になります。

戦国時代は、尾張と美濃にゆかりのある戦国武将が数多く活躍しました。

「麒麟がくる」の明智光秀もその一人です。それ以外にも多くの武将が活躍しました。

江戸時代の大名には格付けがあったのをご存じでしょうか?
最高ランクだったのは「本国持(ほんくにもち)十家」を言われる大名です。

加賀前田家、薩摩島津家、長門毛利家、因幡(いなば)池田家、阿波蜂須賀(はちすか)家、筑前黒田家、安芸浅野家、備前池田家、土佐山内家、対馬宗家の十家になります。

尾張地方、美濃地方ゆかりの武将を祖とする家が多いです。
その中でも安芸の浅野家と土佐の山内家は、現在の一宮市出身の武将でした。

会社から3kmほどのところの一宮市浅野に浅野公園という公園があります。

私が通った中学校のすぐ近くなのですが、そこが、安芸浅野家の元屋敷があった場所です。
今でも水路に囲まれて、武将の館跡だっと面影を残しています。
つつじが有名で例年4月の終わりにつつじ祭りが行われます。


秀吉の妻となった「ねね」もそこで暮らしていたと言われています。

公園内にある「ねねの歌碑」

公園内にあるのが山内一豊が立ち寄った際に馬を止めたと言われる「馬蹄石」

山内一豊の馬蹄石
一宮出身のもう一人の武将は山内一豊です。

土佐山内家を興した山内一豊は、黒田城城代の息子でした。

黒田城というのは、現在の一宮市木曽川町黒田にあった城です。
岐阜街道沿いで美濃との国堺に近いところに位置しています。

父、山内盛豊が岩倉織田家の家老であったため黒田城の城代を務めてたので一豊はこの地で生まれました。

しかし、
清須織田家の織田信長との戦に敗れたため、山内一豊も流浪の身になってしまいました。

一豊を内助の功で支えた一豊の妻 千代の話は有名です。
内助の功によって一豊は出世できたと言われるほど、賢妻だったようです。

尾張は、
信長があらわれるまでは、天下統一どころか、尾張の中で織田家同士で敵対していたんです。


いわいハウジングは、
岩田伊三郎が創業したので、屋号が「岩伊」です。

岩田家も明治期に村長をしていたことは聞いていますが、戦国期の武将に関連した家だという人もいます。
その話は、また別の機会に!

一宮市ゆかりの武将を紹介しました。
戦国時代は、大きな時代の変革期でした。

織田信長という
天下統一を掲げた武将によって時代は変わり、それまでの常識を覆すような大改革であったと想像されます。

現在、
我々が直面している新型コロナもこれまでの人々の意識が変わる変革の時なのかもしれません。

今の時代が、
後の世では、『大変革の時代であった』と言われるかもしれませんよ!

岩田邦裕
ちいきの記者
岩田邦裕いわた・くにひろ
木材商の三男だった祖父 岩田伊三郎が昭和の初期に創業した会社で木の香りに包まれて育ちました。私が引き継ぐなんて思ってませんでしたけど。事業を継続させることと地域貢献の大切さを感じています。25年前に一宮青年会議所で環境問題の担当理事をして以来、地球環境に優しい住まいづくりに取り組んできました。

 

愛知県一宮市 いわいハウジング施工事例
(株)いわいハウジングいわいはうじんぐ
愛知県一宮市八町通2丁目4番地
TEL:0586-71-3800
URL:https://www.iwaihousing.com
岐阜街道沿いで木材商、建築工事業、一級建築士事務所を併設する会社になります。設計、工事、木材調達までもを社内で行うことで、満足度の高い高性能な住まいづくりを実現されています。高耐震・高耐久で健康・省エネ性・換気性に配慮したスマートウェルネス住宅の建築を通して、ご家族と地域と地球を元気にする会社です。ゼロ・エネルギー・ハウス建設の実績においても最高ランクの5つ星ZEHビルダーと評価認定されています。

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