色、いろいろの七十二候

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蚕起食桑・紅花

紅花
こよみの色

二十四節気

しょうまん

小満
楝色おうちいろ #9B92C6

淡紫色の花をつける栴檀(せんだん)の古称。「パラソルツリー」と呼ばれ、夏の緑陰樹に優れる。

七十二候

かいこおきてくわをはむ

蚕起食桑
抹茶色まっちゃいろ#C5C56A

その名のごとく、抹茶の薄い緑色。語源が飲み物の名前が付いた色は珍しい。色味や濃淡があいまいで、時代によって色に誤差があるようです。


芭蕉に、

行くすゑは 誰が肌ふれむ 紅の花

という句があります。
紅の花を見て、花弁から採られる紅は、さて誰の肌に触れるのかというのですが、唇に引かれるベニなのか、浴衣に用いられた染料なのか、唇も肌といえばいえるので、といった想像に駆られます。
紅花の花摘みは、朝露のなかで行われます。この葉のふちに鋭いトゲがあるので、そのトゲが、朝露で柔らかい状態のうちに摘むためです。朝霧の中で紅花を摘む、これも艶っぽいですね。この艶っぽさが、紅花の紅花たるユエンかも知れません。
この句は、『おくのほそ道』に入っていないので、別人が詠んだという説があります。通説は、芭蕉が、山寺に向かう途中、紅花畑を通りかかった際に詠んだというものですが、芭蕉にしては、枯れていない、即物的過ぎるというのが、その理由。

口紅・頬紅用の(べに)は、生花の0.3%程度ということです。江戸時代は「紅一(もんめ)金一匁」と言われました。紅花を摘む農家の娘たちとは無縁のもので、そうしてみると、芭蕉の頭のなかで想起されたのは染料の紅だったように推量できます。
紅花といえば、最上川流域といわれますが、何故にこの地域が一大産地になったのでしょうか。

気候・土壌が栽培に適していたと考えがちですが、山形のほかにも産地は多々あり、それが決定的な要因とはいえません。江戸時代、最上川の舟運が大きかったと思います。河口の港、酒田は北前船の港として知られ、木造の倉庫群が今も残されています。紅花商人たちは、酒田から京や大阪、博多に、紅花の染料を出荷し、その帰り荷として古着や雛人形などを持ち帰りました。「庄内雛」は、その名残といわれます。

木造の倉庫群
木造の倉庫群

雛人形といえば、大分日田が有名で、日田は朝霧でも知られるところです。紅花、朝霧、最上川、酒田の町人文化と重なるものが日田にあります。
最近の紅花は、中国産の安価な紅花に侵食されているようですね。最上川下りの美菜と、酒田の観光物産店、農産物直売所で、中国産紅花が売られているそうで、これは困った話で、艶っぽくも何ともありません。
紅花の古名は末摘花です。『源氏物語』の「末摘花」(第六段)に出てくる末摘花は、鼻の頭が赤いことをあざけって「紅花のように末に赤い花(鼻)のある女性」として、こちらはやや滑稽です。

傾城の罪をつくるや紅の花

これは正岡子規が、明治26年に詠んだ句です。傾城(けいせい)とは、君主がその色香に迷って城や国を滅ぼしてしまったことで、その罪をつくってしまった美女と、心を迷わした紅の花を詠んでいます。子規は別に

唇や格子に開く紅粉の花
奈良へ通ふ商人住めり紅の花

などの句があります。

文/小池一三
※リニューアルする前の住まいマガジンびおから再掲載しました。
(2012年05月21日の過去記事より再掲載)