色、いろいろの七十二候

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蛙始鳴・田植え

田植え
こよみの色

二十四節気

りっか

立夏
若緑色わかみどりいろ #98D98E

明るく浅い黄緑色。松の若葉の色。若竹若葉若藤若草・・・。「若」は、明るく鮮やかな色目に用いられる文字です。

七十二候

かわずはじめてなく

蛙始鳴
若苗色わかなえいろ #C7DC68

その名のごとく、若い苗のような新鮮な黄緑色。平安時代から夏の色として使用されてきました。「濃きうちきに、撫子なでしこと思しき細長、若苗色の小袿こうちき着たり。」と源氏物語にあります。

四月末に福井で用事があり、福井まで来たならと、丸岡町にある『中野重治記念文庫』と、丸岡町一本田(旧地名、高椋村たかぼこ一本田)の生家跡に立ち寄りました。小説「梨の花」に描かれた場所です。記念文庫には、重治の蔵書数約1万3千冊が保管され、高田博厚ひろあつ作の故中野氏の胸像や原稿、愛用品などの遺品が展示されています。
生家跡からは、丸岡城が望めます。現存する日本で最古の天守閣は、古武士を思わせる骨っぽいお城です。小説『梨の花』は、重治が小学校時代から県立の中学校に入学するまでを自伝的に描いた作品で、福井弁が美しく、叙情文学の傑作です。重治の家は、特権地主の家で、彼は祖父母と暮していました。
祖父母の話を耳にしながらあれこれ考えたり、子ども同士のふれあい、村の百姓仕事が書かれていたりします。

「冬が過ぎて春がくる。雪が消えてしまう。山の雪も消える。山は前山のが消えて、そして後ろ山のが消える。どこからどんな順序で消えるか良平(主人公の名前)ら子供は知っている。」

生家跡からは、正面にその山なみが見えます。

「そうやって雪が消えて、餅草を手籠に摘んできて草団子にして食って、それから梅の花、桃の花、桜の花、すももの花が咲いて、木の芽が出てきて、竹の子も出てきて、つつじの花が咲きかけて、白い毛のはえた粒のような実が見えてくる時分になってかつぽう鳥が啼くのだ」

この本の中で、重治は、田植のことを「さつき」といいます。この地域の方言なのでしょう。
苗代どきになると、

「わきの村から馬がぎょうさんにくる。馬を使うおんさんもいっしょにくる。たんぼ一面、あっちにもこっちにも馬の姿がみえる。いっぱいに水を張ったなかを、馬が、前足を、首の上げ下げと調子をあわしてくつくつと四角にあげて進む。馬はうしろへ綱ですきを曳いている。その鋤の柄に馬をつかうおいさんが取りついている。馬は、水のなかを、こっちのはなからあっちのはなまで一直線に進む。がばがばつと水とドロの音がする。あっちのはなまで行きつくと、そこでくるりと向きをかえてもどってくる」

田植には「そとめさま」が何人もやってきたと書かれています。「そとめさま」とは、早乙女(田植えの日に苗を田に植える女性)のことです。代掻きは男の仕事で、田植は女の仕事でした。手甲・脚絆・赤襷・白い手拭を身に着けた早乙女は、年に関係なく、女性ならみんな早乙女でした。男は田人たうどと呼ばれました。

早乙女の下りたつあの田この田かな  
太祇
早乙女の股間もみどり透きとほる  
森澄雄

こういう光景のなかを、重治は生き、それは日本の里で毎年繰り返されてきた光景でもありました。
わたしが訪問したときには、代掻しろかきを終えた田植前の状態で、ドロドロ状態の水が田圃いっぱいに張られていました。代掻き直後では、田圃たんぼが柔らか過ぎて折角植えた稲が浮いてくるので、田植は、田圃を落ち着いてから行います。

雨の日は雨に興がる田植かな  
子規
忽ちに一枚の田を植ゑにけり  
高浜虚子
みめよくて田植の笠に指を添ふ  
山口誓子
しばらくは荒雨しぶく田植笠  
西島麦南
田植女のころびて独りかへりけり  
暁台
文/小池一三
※リニューアルする前の住まいマガジンびおから再掲載しました。
(2012年05月05日の過去記事より再掲載)