色、いろいろの七十二候

37

山茶始開・天使の梯子

天使の梯子
こよみの色
立冬
黄蘗色きはだいろ #FEF263
・ミカン科のキハダの樹皮で染めた、鮮やかな黄色。その歴史は奈良時代に遡る色。
山茶始開
鬱金色うこんいろ #FABF14
・ウコンの根で染めた少し赤みがかった黄色。 江戸前期頃には『緋色(あけいろ)』に次いで紬(つむぎ)や着物の地色として人気があった。鬱金という漢字が「金が盛んに増える」という意味に通じることから、縁起が良いとされ財布などの染色として好まれた。

「天使の梯子」は、「ヤコブの梯子」とも、「レンブラント光線」ともいわれます。
「ヤコブの梯子」は、旧約聖書創世記の記述に由来します。ヤコブが、雲の切れ間から差す光の梯子が天から地上に伸びていて、そこを天使が上り下りしている光景を夢に見たという話で、それが自然現象を表す言葉にもなりました。
自然現象の言葉としては、「薄明光線」が用いられます。太陽光線をさえぎる、積層雲、層雲、乱層雲、巻積雲、高積雲、積乱雲などの切れ間から、地上に向かって放射状に降り注ぐ下向きの光をいいます。

オランダ絵画黄金期に活躍した巨匠レンブラントはこれを好んで書きました。暗い背景に斜め上方向から射す強い光から生まれる明暗対比によって、レンブラントは、人物をよりドラマチックに表現する手法を確立しました。それを「レンブラント光線」といい、よく知られる 「夜警」は、その代表的な作品です。ポートレート写真で陰影をつけるやり方は、 “レンブラント・ライティング”と呼ばれ、人物撮影の基本的な手法です。

小説家の開高健は、生前、この「レンブラント光線」という言葉をよく用いました。魚釣りで外国に出かけ、ウイスキーを飲みながら景色を眺めていて、「レンブラント光線」が射し込むテレビCFがありましたが、わたしは凄烈なベトナム戦争体験をもとに書かれた開高健の「闇三部作」である、『輝ける闇』『夏の闇』『花終わる闇(未完)』を思い起こします。あの小説に通底する闇の深さと、そこに射し込む「レンブラント光線」が、この小説の世界をかたちづけています。
開高健は朝日新聞社臨時特派員として戦時下のベトナムへ赴きました。サイゴンのマジェスティック・ホテルを拠点にして、南ベトナム政府軍に従軍して最前線に出た折、反政府ゲリラの機銃掃射に遭うも生還します。兵士など200名のうち、生き残ったのはわずか17名でした。開高健が朝日新聞に連載した『ベトナム戦記』を、つよいショックを受けながら読みました。

わたしの「レンブラント光線」体験は、スペインのレオンのカテドラルです。堀田善衛が絶賛してやまないステンドガラスを見たくて、列車に乗ってレオンに行きました。ステンドガラスといえば、パリから1時間の距離にあるシャルトルが有名です。あの青のステンドガラスに惹かれ、わたしはパリから足を延ばしましたが、堀田善衛にいわせると、スペインの光が強い分だけこちらに軍配があがるということで、つよい興味を覚え、レオンに行ったのでした。カテドラルをついに夕方に訪ねたわたしは、刻々変化する陽の光が、最後に夕焼けに染まって行く様に接し、しばし声も出ませんでした。カテドラルの中が真っ赤に染まり、そして最後に「レンブラント光線」を放って陽が落ちました。
このカテドラルのステンドガラスの総面積は1,800m2です。大きな建物の壁の半分以上がステンドガラスなのです。
このレオンの町には、ガウディの設計した建物もありますが、これは愚作でした。ガウディにとって、甚だ不本意な建物というしかないシロモノでした。

「天使の梯子」は、季語にありませんが、
「写真俳句ブログ」に、こんな句が紹介されていました。

見上げれば天使の梯子秋の暮
天駆(あまかけ)て日矢携えて秋はゆく
文/小池一三

※リニューアルする前の住まいマガジンびおから再掲載しました。
(2010年11月07日の過去記事より再掲載)