びおの七十二候

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水始涸・みずはじめてかる

秋分水始涸
雲帰る山を見て立つかゝしかな 成美

この候の「みずかれる」は、川の水が涸れることを言っているのではありません。田の水がなくなること、 言い換えると、稲穂の実りの時季をいいます。日本の稲穂は、収穫期に黄金色に輝きます。この時季に東北を旅していて、黄金色の稲穂に夕日が注いでいるのをみると、あゝ、何という美しい国に生まれたものかと思います。

嬉しいのは人間だけでなくて、雀も狂喜乱舞し、稲穂めざしてやってきます。そうはさせまいと、人間は案山子かかしを立てて番人をさせます。美しい稲穂をよそに、生物界は知恵比べ、化かし合い、修羅の真っ只中にあります。

この渦中から距離をおいて、雲帰る山を見ながら立つかゝしを、恬淡と、悠然として詠んだのが、夏目成美なつめせいびの句です。成美は、江戸時代の寛延〜文化の人ですから、約二百年近く前に詠まれています。

成美は、江戸浅草蔵前の富裕な札差の家に生まれ、17歳で家督を相続しました。その翌年、18歳で痛風を病み右足の自由を失います。家業のかたわら俳諧を続けますが、芭蕉のように野ざらしの地を訪ねることはできません。去俗の俳論を提唱した人なので、多分、旅に出たかったのだと思います。

この場合、旅とは「自由」ということと同義語でした。おそらく成美は、野ざらしの地を歩くことに、言い知れないあこがれを持ったのでしょうが、自分はできないと知ったとき、彼は知り合いの俳人たちに、そのあこがれを仮託します。彼は、小林一茶のパトロンを務めたり、おびただしい数の序跋を書いたといいます。

魚くふて口なまぐさし昼の雪

という句が有名ですが、江戸のにおいが漂っています。

当時の江戸は、世界有数の都市で、成美は洗練された都会人でした。その成美が、めずらしく練馬あたりに遠出して、籠の中から詠んだのが、この句なのではないでしょうか。余裕と言いますか、大人の句です。

あくまで推理の上の話ですが……。

※リニューアルする前の住まいマガジンびおから再掲載しました。
(2008年10月03日の過去記事より再掲載)

田んぼの猫