色、いろいろの七十二候

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麦秋至・野菜を育てる

野菜を育てる青しそやバジルの小さな芽が出てきました。収穫が楽しみです。
画/いざわ直子
こよみの色
小満
楝色おうちいろ #9B92C6
麦秋至
草色くさいろ #86A22F

二十四節気は「小満」です。暦便覧には「万物盈満すれば草木枝葉繁る」とあり、植物が茂って満ちてくるころです。
そんな小満のテーマは「野菜を育てる」。

日本の食料自給率は低い、と喧伝されています。カロリーベースという独自の指標のため、その説明を鵜呑みにするべきではないと思いますが、では我が家の食料自給率は、と考えれば、多くの方は極めて低い数字になるでしょう。食料は、自分でつくるものではなく、経済のアイテムの一つとして流通するのが当たり前の世の中です。生計を成り立たせることを「飯を食う」というように、食事は生活そのものなのですが、それは他者によって支えられています。

それだから、せめて少しは自分の手で、ということもあってか、家庭菜園はいつも人気です。野菜を育てることには、世知辛い世の中から少し離れて、自然を感じる。自ら育て、収穫するという充実感。そして実際に食べることが出来る、そんな魅力があります。

自然に触れるのが楽しい、とスタートした家庭菜園も、次第に収穫量が気になってきます。ホームセンターに行けば「野菜の土」だとか、さまざまな肥料が売られています。安定した収穫をしたい、収穫量を増やしたい、となると、どうしても化学肥料に目が向きます。

植物の栄養素として知られる窒素・リン・カリウムのなかでも、窒素はもっとも多く必要とされています。20世紀初頭に開発された化学的に製造される窒素肥料は、爆発的に食料生産を増大させ、そしてそれは人口増大と循環していきました。

やがて窒素肥料をあげておけば大丈夫、あげなければならない、という慣行が生まれていきます。

「稲オタク」を自認する米農家の松下明弘さんは、著書「ロジカルな田んぼ」で、その慣行を批判し、そのときの土地、作物にあった窒素の量を与えるのがよい、と述べています。土地も作物も千差万別、場所が変われば当然変わるし、時期が変わればそれももちろん変わります。
このことは、大規模な農業にかかわらず、家庭菜園についても同様です。むしろ家庭菜園のほうが、収穫を増やしたいと、過剰な窒素を土に与えてしまっているのかもしれません。
慣行的に土に過剰に窒素肥料を与え続けることは、やがてその土壌を痩せさせることになります。

4大文明が発生したのは、すべて大河がもたらす肥沃ひよくな土壌によって農耕が発達したためでした。そしてそれらが衰退していった理由の一つに、森林を伐採して農地をつくり、やがてその土壌が痩せて、食料生産を支えられなくなったことがあげられます。

我々人類は、植物に支配されている、と聞くと、エッ?と思うかもしれませんが、ちょっと考えてみてください。
私たちは、美味しいトマトを食べたくて、よい香りのするハーブに癒されたくて、あるいは美しい花を愛でたくて、種や苗を手に入れて育てます。これは、私たちが、好きなものを育て収穫していることに他なりませんが、反面で、植物たちが、人に繁殖を手伝わせ、勢力を拡大しているとも言えるのです。

マイケル・ポーランによる「欲望の植物誌」では、リンゴ(の甘さ)、チューリップ(の美しさ)、マリファナ(による陶酔)、ジャガイモ(を管理)という、4つの植物とその魅力によって人類が植物に動かされてきた歴史を取り上げています。緑ゆうこ著の「植物になって人間をながめてみると」も、植物側の視点から人間をどうコントロールしてきたかを語っています。

人類が地球の支配者だ、と思いたい人には面白い話ではないでしょうけれど、植物のおこぼれをわけてもらって、私たちは暮らせているのだ、と思えば、やはり収穫が楽しみです。

関連記事:カロリーベースって何? 日本の食料自給率の不思議
https://bionet.jp/2018/02/03/selfsufficiency

※リニューアルする前の住まいマガジンびおから再掲載しました。
(2013年05月21日の過去記事より再掲載)