ぐるり雑考

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自分でつくる文化

ぐるり雑考

最近は6割がた四国の山あいのまちにいる。今日は日曜日。近くの食堂に行ってご飯を食べる。焼きたてのパンを買う。友だちが子猫とじゃれている。上空の飛行機が小さく輝いている。平和だ。

いや、全然平和じゃないんだけど! この情景と併行して進んでいる社会の変化は決して平和でない。右傾化があーだ、小学校の道徳の教科書がこーだ、気になる点はいろいろありますが、煎じ詰めて言えば、自分なりに生きてゆくことより、与えられた枠組みの中で上手に生きることを要求する力が、教育においても、政治でも、消費の局面でも強さを増している感が強い。そしてエンデの『はてしない物語』冒頭で、沼を抜けることができなかった主人公の馬・アルタクスの言葉を思い出す。

「何もかもむだじゃないでしょうか」
「もう望みはありません」
「わたしをこんなに重苦しく沈ませているのは、憂いなのです」

あの馬は憂いの沼に沈んでいった。僕もたまに足を取られる。どれだけ頑張ったところで何になる。この国はどうなるんだろう?

いや、だめだめだめ! 憂えたところで何も起こらない。語り合うか、笑うか、つくるかしていないと。と考えながら地域の公民館的な建物へ。信州の集落から現代の野良着づくりで評判のつくり手が来て、展示販売会を開いていると聞いていた。

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足を踏み入れると、広い和室の大半は、目の色を変えて縫い物に取り組んでいる町の女性たち十数名の作業場と化していてびっくり。展示は部屋のごく片隅で、みんなは一心不乱にモンペを仕立てている。
自分のミシンを持ってきている人も多く、なんだかラップトップPCのよう。持ってるんだな…。そうだよ。ミシンは少し前の時代のパーソナルコンピューターだったんだ。女性に偏っていたかもしれないけど、あれは個人の表現力を拡張するテクノロジーで。うわあ、俺はいったい何に興奮しているんだ。

数年前、某天文雑誌の編集長が「昔は自作望遠鏡の記事が人気で、毎号掲載していた。けど、いま読まれるのは商品記事や広告で、望遠鏡を自分でつくろうなんて人はいない。天文に限らず自転車でもなんでも〝趣味〟というのはイコール〝自分でつくること〟だった。自作文化の衰退が趣味の世界、ひいては趣味の雑誌の衰退なんです」と語っていたのを思い出す。

僕で言えば、小学高学年の頃は海外短波ラジオの受信(BCL/Broadcasting Listeningと呼ばれた趣味)に夢中で、家の物干しに立てる自作アンテナの線を買いに秋葉原へ通ったっけ。
アンテナであれ何であれ、自分に必要なものを自分でつくっている人は、それについて語るとき嬉しそうだし、誇らしげだ。20代の頃会社帰りに原宿を歩いていると、店内に作業台をいくつも並べている靴屋さんがあった。そこは3ヶ月ほど通いながら自分の靴をつくらせてくれる店で、会社帰りっぽい作業中の人も、その空間も輝いて見えたっけ。

あの頃から30年ほど経って、僕らときたら買物の腕前ばかり上達している。その支援技術も環境も高度に洗練されて、「個人に力を」と叫んで生まれてきたはずのパーソナルコンピューターも消費端末のような進化ぶりで…。と、ふたたび足を取られそうになるけど、朝から6時間以上チクチクチクチク縫っているという彼女たちの姿を見て吹き飛んだ。憂いが。

欲しいものを自分でつくる人の多いまち。与えられた選択肢の中から選ぶのでなく、自分でつくる文化の豊かなまちで生きていたい。

著者について

西村佳哲

西村佳哲にしむら・よしあき
プランニング・ディレクター、働き方研究家
1964年東京都生まれ。リビングワールド代表。武蔵野美術大学卒。つくる・書く・教える、三種類の仕事をしている。建築分野を経て、ウェブサイトやミュージアム展示物、公共空間のメディアづくりなど、各種デザインプロジェクトの企画・制作ディレクションを重ねる。現在は、徳島県神山町で地域創生事業に関わる。京都工芸繊維大学 非常勤講師。

連載について

西村さんは、デザインの仕事をしながら、著書『自分の仕事をつくる』(晶文社)をはじめ多分野の方へのインタビューを通して、私たちが新しい世界と出会うチャンスを届けてくれています。それらから気づきをもらい、影響された方も多いと思います。西村さんは毎日どんな風景を見て、どんなことを考えているのだろう。そんな素朴な疑問を投げてみたところ、フォトエッセイの連載が始まりました。