移住できるかな

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老婦人の蜜柑山

西本和美 移住できるかな

連戦連敗の土地さがしは続きます。ときには「運命の出会いだ」と錯覚することも……今回はそんな話です。
その土地は、もと密柑山の1町5反(約14,880㎡)。私の限界目標の実に7.5倍です。一人住まいの老婦人が施設に入るため手放すとのこと。
私には分不相応だと思いましたが……聞けば、その集落は太陽光発電事業が最盛期の頃、大金を提示されても誰も土地を手放さなかったそうです。わけても老婦人は、早くに夫を亡くした後たった一人で密柑山を守ってきたと。そんな気骨のある女性に会ってみたいなぁ。そして何より価格の安さ。すぐにでも住める平屋と納屋、上下水道、農業用の揚水ポンプと水場も備えているのに、なぜ?

手入れの行き届いた元みかん畑

斜度があるので草刈りだけでも大変な重労働でしょう。しかし、その斜度ゆえに全体を一望でき、何とかなるような気がしてきます……錯覚です。


弥生三月、老婦人を訪ねます。集落の天辺近く、心地よい風が吹き抜け、陽光きらめく海を見下ろす南斜面。驚いたのは、始末の良さです。蜜柑栽培をやめた後は花木や草花に植え替え、農業機械は同業者に譲り、不要な建物は取り壊したそうです。残した納屋と母屋の手入れは行き届き、どこにも不要な物やゴミが見当たりません。高齢な婦人の一人暮らしとは思えないほど。
「意地でね」と笑う顔に、土地を守り抜いた自負が滲みます。なんて素敵なんでしょうか! 私の適当な移住計画に、価値ある使命を得た思いがしました。土地と共に意地も受け継ごう、などと……。
ぜひ購入したい旨、こちら側の仲介者に伝え、契約を結ぶべく再訪したのは三週間後。老婦人はお手製の漬物や果実の甘露煮でもてなしてくれます。花木の手入れ方法など教えを乞いたいことも多いので、折々に通いながら一年後を目処に移住しようと考えていました。その間に母屋の片付けは無理なくゆっくり進めてもらえればいい、と。
ところが、再訪のとき初対面だった先方の仲介者から、衝撃の事実を知らされます。老婦人は、家屋敷を売却した後も住み続けると言うのです。「君たちは納屋を改造して住めばいい」と。寝耳に水です。さらに同席した身内からは、「家賃は払いません」、老婦人の死後は「母屋の取り壊しには応じません」、「いかなる金銭の要求にも応じません」と言いたい放題。
つまり老婦人が住む限り、私は無償で母屋の維持管理をしなくてはなりません。もし体調を崩したら、〈納屋に住む隣人〉としてお世話もしなくてはならないでしょう。またもし金銭を立て替えたら返ってこないかもしれません。「こんな良い土地は余所者には、なかなか売ってもらえないよ。親戚付き合いのつもりで住めば良いじゃないか」とは先方の仲介者。

東京に戻った夜、こちら側の仲介者から、売買契約書と共に固定資産税の書類が送信されてきました。さっそく来月から農地と宅地の固定資産税を納めるように、また先方の仲介者には謝礼金10万円也を支払うようにとの指示。さすがに夢が覚めました。
金銭的にも実質的にも老婦人の暮らしを援助させる目論みです。当の老婦人がどこまで知っていたかは不明です。なぜなら彼女は、土地のデメリットについても正直に応えてくれたからです。
たとえば事前情報では斜面の下端の一面で稲作できると聞いていたのですが、「それは無理よ、陸稲なら作ったことあるけど」とか。(水田を作ると揚水ポンプの燃料費が嵩み赤字になります。)母屋は登記しておらず、市役所からは「税金さえ払えば登記しなくてもいいと言われたのよ」とか。(しかし相続した者には登記する義務が発生し、面積に応じて数十万円の費用がかかります。)そんな諸々が、あの土地の安さだったのですね。
ちなみに、知り合いの不動産屋に聞いたところ、先方の仲介者への謝礼は先方が支払うべきものだそうです。やれやれ。
いまでも時々、弥生三月の花咲く南斜面を思い出します。丹精した水仙の花を「お土産に」と惜しげも無くたくさん手折ってくれた老婦人に、また会いたいなぁなどと思ってしまいます……甘いかな?

著者について

西本和美

西本和美にしもと・かずみ
編集者・ライター
1958年 大分県生まれ。武蔵野美術大学基礎デザイン学科卒業。住まいマガジンびお編集顧問。主に国産材を用いた木造住宅や暮らし廻りの手仕事の道具に関心を寄せてきた。編集者として関わった雑誌は『CONFORT(1〜28号)』『チルチンびと(1〜12号)』『住む。(1〜50号)』。