物語 郊外住宅の百年

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なぜ、レッチワースは
ステキであり続けたのか(2)

レッチワースの真実

レッチワースがつくられたのは、今から115年前である。この住宅地計画を設計したのは都市計画課のレイモンド・アンウィンだった。
「現在の住宅地をながめた時、その開発があまりにも利己的に進められている点は残念である。(中略)空間は、それを形づくった人々の生活観を反映している。町は単にあがいている人々の集まりにすぎず、社会関係はバラバラで、秩序ある結びつきも少なく、共同生活もうすれ、こうした事実が自然と街路計画、敷地計画にも表れている。それぞれの住宅が最も良い環境に置かれるようにするため、地区を全体として計画するという視点はない。また個と全体の統一、調和に欠ける点もあまりにも明らかである。」(『実践の都市計画』1909年、西山康雄訳)
このアンウィンが言葉から100年以上の時を経ているが、これはそのまま現代の日本の住宅地を映し出しているかのようである。
アメリカの文明批評家であり、フランク・ロイド・ライトとの間で160通の往復書簡を交わしたことで知られるルイス・マンフォードは、『都市の文化』において、田園都市レッチワースの歴史的な意味とその貢献についてこう述べている。
「田園都市が定着するのに時間がかかるのは、田園都市がいわば、協同的で、社会的に計画された社会という特殊な形態を追求するためである。つまり、農業と工業がつり合い、土地所有と管理に必要な社会的基盤が地域社会に備わった社会なのである。(中略)田園都市は、社会的経済的な制度が地域の復権に向けられた時にのみ完成する。重要なのは、エベネザード・ハワード卿とその仲間が示したように、これらの新しい都市開発原理が普遍的なものであることを認識することである。」
西山八重子著の『イギリス田園都市の社会学』(ミネルヴァ書房)は、このマンフォードの観点に立ち、田園都市についてこう述べている。
「近代市民社会で生まれ育った個人の尊厳という理念を、貧富や出身階級の違いにかかわらず個々人に保障し、地域社会を、その構成員の協同の力によって経営するという思想である。住み手の日常の『生活世界』を尊重し、それぞれの多様な個性を実現する場を目指したのである。さらに、農業や工業などの分業のあり方まで住人が決定するという地域自主管理の思想でもある。こうした理念を持つ田園都市は、国家の公共事業によっても、また利潤を追求する民間資本の事業によっても実現することはできない。レッチワース田園都市にみる百年の歴史は、営利を目的としない民間の事業組織、つまり公と民のはざまに位置する『第三の領域』によって初めて可能であったことを物語る。レッチワース田園都市は、都市開発における市民的な公共性のひとつのあり方を示している。」

レッチワースの土地は、すべて土地所有者(民間出資者)によって構成される第一田園都市会社によって所有されてきた(現在は財団)。住宅・商店・工場・農地の如何に関わらず、誰も土地を所有することなく、会社から借り受けている。第一田園都市会社は土地を一括して所有し、その賃貸料収入によって経営され、開発による地価上昇と開発利益によって株主への配当と借入金の元利返済を履行し、余剰利益はすべて地域に還元(再投資)する仕組みがつくられた。
これに対し日本の田園調布は、先述したように渋沢栄一が設立した第一田園都市会社(東急の前身)によって開発されたが、名こそ同じであるものの、企業体としての性格は全く異なり、似て非なるものである。
写真や図を見ると、明らかに田園調布はレッチワースの真似している。それは世界の先進の受容のカタチとしてはあり得ることで、文化は継承であり、真似から始まることを、私は是としている。それにしても似ているなぁ、と思いつつ。

田園調布, 田園都市

調布田園都市(多摩川台住宅地)の計画図


レッチワース

レッチワースのオリジナル設計図

似て非なる田園調布とレッチワース

両者は酷似しているが、根本的な違いがある。
それは、私益と公益(非営利)の違いであり、レッチワースは、得られた利益は地域に受益還元され、100年にわたって活用されたのに対し、田園調布は私益に回され、メンテナンスは受益者負担となり、100年を経た現在、相続問題などが加わって、街の維持すら危ぶまれるに至っている。
土地から得られた収益は、一般的に税金として自治体や国に収められ、地域に対しては公共事業として配分されるが、その配分基準は全国画一的なものであって、固有の事情は反映されない。
一方のレッチワースは、余剰金は賃貸者に還元されるので、公園や道路、学校や医療施設などの基盤整備とそのメンテナンス費用に回され、その運営は住民参画による自治方式によって行われた。それが100年にわたって行われた場合と、そうでない場合との違いは明瞭である。
イギリスのニュータウンの多くが、このハワードの方式を踏襲し、国はリースホールド法を制定し、住宅団地の公共性を認めることで、市民の居住福祉を条件づけた。
このように見ると、ハワードがいう田園都市とは、つまり賃貸都市 (リースホールド・タウン)であり、土地利用も町並み景観も、それによって継続的にコントロールされてきたことが分かる。
リースホルダー(賃借人)の第一田園都市会社と居住者の約定には、借地料、公共空地へのアクセス権、土の移動の禁止、庭の手入れ、生垣の高さ、住宅内部の改装制限、外観変更の禁止、洗濯物の扱い、寝室の居住人数の制限などのコードが定められた。この賃貸借契約の目的は、土地利用制限(リースホールド・コントロール)に記されていて、住民は協同して住宅地の環境を維持し、高めていく義務を負った。
ここにレッチワースの真実があるのであり、この大事をスポイルしてしまったら、いくら視察をくりかえしたところで、レッチワースの本質を理解したことにならないだろう。
昔、亡くなった宮脇檀さんと海外を旅したとき「日本では都市に住むのは勝手放題していいと思われているが、都市に住むのは窮屈なもので、勝手な奴は田舎者なんだ」と彼は言った。私は京都人なので、この窮屈さがよくわかった。しかしその京都でさえ、かつての家並みは消え、勝手放題が幅を利かせるようになっている。
日本人にとって都市は私有財産の集合であり、法律を守りさえすれば、建築のやり方を縛られることはない。その乱雑さ、混沌が都市だと思い込まれているようだ。

著者について

小池一三

小池一三こいけ・いちぞう
1946年京都市生まれ。一般社団法人町の工務店ネット代表/手の物語有限会社代表取締役。住まいマガジン「びお」編集人。1987年にOMソーラー協会を設立し、パッシブソーラーの普及に尽力。その功績により、「愛・地球博」で「地球を愛する世界の100人」に選ばれる。「近くの山の木で家をつくる運動」の提唱者・宣言起草者として知られる。雑誌『チルチンびと』『住む。』などを創刊し、編集人を務める。