まちの中の建築スケッチ

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川越の時の鐘——蔵の町のランドマーク

先に佐原を小江戸と紹介したが、川越も小江戸と呼ばれる。距離的には佐原までの半分50㎞に満たず江戸に近い。歴史的には太田道灌の所縁もあり江戸の北の砦として商工農の栄えた城下町であった。「蔵の会」の人たちが町並み保存のための規範を作って、1軒1軒説いて回った話は、昨年12月の建築基本法制定に向けた第2回勉強会で、小宮山泰子議員から景観問題について報告いただいた際に聞いた。そこに生活する人が心地よい町並みをつくる意識が大切だという、その実践を見ておかねばと思って、梅雨の合間に川越を訪ねた。
蔵造りの町並みの中央通りはきれいな石畳の道路で、平成11年に重要伝統的建造物群保存地区に選定されたのは、札の辻から連雀町までの800m程度であるが、平日だというのに、大変な賑わいである。おじさんおばさんに混じって、浴衣の女の子たちも大勢見かけたのは、アジアからの旅行者のようであった。先生に付き添われた中学生集団もいた。
その中心から「鐘つき通り」と表示された木のポストの道標を横に折れると、すぐに市の有形文化財の「時の鐘」がそびえ立っている。残したい日本の音風景100選にも選ばれている。門のようにして「時の鐘」をくぐるとそこは薬師神社である。5階ほどの高さの天井から鐘が吊られていて、外からも見える。鐘楼としては、異様な高さである。大風のときは鐘も相当に揺れるのではないかと想像した。三田にある超高層、NEC本社ビルが風抜け孔を持っているが、風を逃がして、塔にかかる力を減じている意味もあるのだろうか。
小江戸川越のロゴマークにも時の鐘が採用されているから、まさにランドマークである。江戸時代の寛永年間に川越藩主酒井忠勝によって建てられたが、何度か焼失。さらに一体が明治の川越大火でも焼失し、その後再建されたのが現在の4代目という。最近の耐震診断の上、耐震化工事も施され、今の姿になってのお目見えは昨年の1月のことと知った。また蔵の原点は、この明治大火にあるという。蔵も耐震化工事中の物がいくつか見える。中央通りの床屋さんを背にしてスケッチした。大きな道路標識や信号のポストは省略させてもらった。

川越の鐘撞堂

佐倉よりはかなり大規模な印象で、お店も伝統的な江戸時代からの風情を感じさせるものが多い。カフェなどは、通りに面して露台があったり、緩やかな階段で2階に導くものがあったり、いろいろ工夫もされている、まさに観光都市に生まれ変わっている。
それにしても、蔵の棟瓦の重厚さは見事と言うほかはない。新しく葺き替えられた瓦屋根も、趣を伝えてはいるが屋根組みが薄く、その対比からも、明治期には贅沢な立派な蔵が建てられたこと、それだけ豊かな商人の町であったことが偲ばれる。

著者について

神田順

神田順かんだじゅん
1947年岐阜県生まれ。東京大学建築学科大学院修士修了。エディンバラ大学PhD取得。竹中工務店にて構造設計の実務経験の後、1980年より東京大学工学部助教授のち教授。1999年より新領域創成科学研究科社会文化環境学教授。2012年より日本大学理工学部建築学科教授。著書に『安全な建物とは何か』(技術評論社)、『建築構造計画概論』(共立出版)など。