物語 郊外住宅の百年

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ロンドン:冬の旅

ケムスコット村、そしてモリスのセカンドハウスへ

バイブリーを見た後、ケムスコットの村に立ち寄った。
晩年のモリスがセカンドハウスとして借りていた、ケムスコットマナーという建物を見たいと思って訪ねた。モリスはこの建物とケムスコットについて、小説『ユートピアだより』(五島茂・飯塚一郎共訳、中央公論社)にこう書いている。

「わたしには、この邸がまるで今日の幸福を待ちわびて、混乱した騒々しい過去の粉くずみたいな幸福をかき集めて、このなかにしまっておいてくれたような気がしますわ」
テムズ川を遡行してケムスコットに一緒にやってきた、「長い黒髪、長い首、切れ長の長い黒い瞳の目」を持ったエレンという女性の言葉である。エレンは、主人公のわたし(モリス)をこの邸のすぐ近くまでつれていき、格好の良い日焼けした腕を伸ばして、まるで愛撫するように苔むした壁をなでながら、叫ぶように大声をあげた。
「まあ、この大地、いろんな季節、天候、それに大地にかかわりあるすべてのもの、そこから生まれてくるいっさいのもの——ちょうどこの邸がそうして生まれたように、わたしはこういったものをなんて愛しているんでしょう!」
エレンは、モリスが言いたいことを代弁しており、ここにモリスの建築観が示されていると見てよい。
細い道が入り組んだケムスコットの村では、GPSも役に立たず、ようやくケムスコットマナーを見つけたのだが、残念ながら建物は閉鎖され、敷地の入口も大きな鎖鍵で栓錠されていた。外部に面した壁に、モリスのレリーフが左官で仕上げられていて、それを見られたのが収穫だった。この村には、モリスと彼の家族が埋葬されている。

忘れられたユートピアンの再考

私の世代は、若い頃マルクス主義の洗礼を受けているので、ロバート・オーウェン、サン・シモン、シャルル・フーリエや、それからトーマス・モアやジョン・ラスキン、モリスなどを、乱暴にも一絡(ひとから)げにユートピアンとくくり、空想的社会主義者と決めつけていた。
今回、ハワードを生んだものを追うなかで、改めてドイツの社会思想家フリードリヒ・エンゲルスの『空想より科学へ』(岩波文庫)を読み直した。エンゲルスは、啓蒙思想の系譜を引くこれらの人物の思想や実践について、古い未熟な思想として放擲ほうてきしているかと思っていたら、意外にも好意的な見方をしていることに驚いた。

若い頃の読みの浅さ、思い込みを自省するのだが、エンゲルスは、社会の現実にそれを解決する芽が育っているのを発見できなかった点に、ユートピアンの空想性があると退しりぞけていて、エンゲルスは「避けがたい矛盾」の激化を問題にしたのだった。
「資本主義的生産も階級の地位も未熟であったから、それに照応して理論もまた未熟であったのだ。社会問題の解決方法もまた未発展の経済的諸関係のうちにかくされていたから、それも頭で作りだすしかなかった」「今日我々にとってただ微笑を誘うに過ぎないような幻想について、しかつめらしい詮索をして、自分の平凡な考え方が、彼らの『妄想』に比べてどのくらい優っていたかを自慢することは、三文文士にまかせておいていい」と言い、続けて
「それよりも、ゆたかな幻想のうちにひらめいている彼らの天才的な思想の萌芽とその思想こそ、俗物どもの目には見えなくとも、われわれにとっては、うれしいものである」(『空想より科学へ』岩波文庫)
と述べている。常に火を噴くような批判を繰り出すエンゲルスにしては温和な口調で、拍子抜けした。
私は、カール・マルクスの『資本論』は、なお現代を解く力を失っていないと思うものであるが、最近、地球未来の有限性や持続可能性ということを考えると、忘れられたユートピアンを呼び戻し、もう一度、彼らの声に耳を傾けるべきだと思うようになった。
彼らユートピアンは、資本主義の病巣びょうそうが集中的に立ち現れた当時のロンドン(それはエンゲルスの『イギリスにおける労働者階級の状態——19世紀のロンドンとマンチェスター』に詳しい)を見ながら、もう一つの選択肢としてユートピア社会を提起したのだった。
これから書こうとしている、レッチワースは、彼らユートピアンのこころざしを、現実のものとして実らせたものであって、エベネザー・ハワード(1850-1928年)も、設計を担当したレイモンド・アンウィン(1863–1940年)もユートピアンだった。このことを見落とすと、何故、あの時点で「田園都市」が建設されたのか、それを何故にイギリス人が守り育てたかが見えてこない。
ハワードの態度はハッキリしていた。
当時、盛んに行われたロンドンの住居改善運動ではなくて、ロンドンから離れて、住居・職場一体の街をつくってしまう方が手っ取り早いし、実際的ということだった。ハワードその人の、元速記者(一市民)としての囚われのなさが効を奏したわけだが、「協同の思想」を大切にする市民主義の系譜を、そこに見出すことができるだろう。