移住できるかな

8

田舎の土地、こもごも

西本和美 移住できるかな

しばらく距離をおくことにしたB町ですが、ご縁は切れません。地震前に地元の友人を介して知り合った人々が居るからです。安心安全な野菜を作る若夫婦、竹細工師の家族、店舗経営の傍ら新規就農した夫妻、皆さんいわゆる移住組。参考になる話をたくさん聞きました。
もともとB町は農業が盛んで、一軒の農家が所有する土地は広大。新規就農した夫妻は、一軒分まるごと6000坪の田畑に加えて山林まで購入。田畑だけで私の限界目標(600坪)の10倍です。農地を取得するには農業委員会に営農計画書を提出します。
段々畑の野道を登ると、一段ごとに野菜や果樹・花木を植え分け、天辺の清流では米作り。振り返ると近く遠くに緑の山々。ここは北向きの斜面なので、目の前に広がる景色は明るい順光の南斜面です。
「本気で農業したいなら北斜面は不利だけど、楽しむ農業なら北斜面からの眺めは素晴らしい。あなたはどっち?」と夫妻。専業農家で生計を立てるのは難しい時代。もちろん私は楽しむ方だが「眺めのいい北斜面」と「陽当たりのいい南斜面」、どっちにしよう?

実はずいぶん前に、地元の工務店を訪ねていました。地場産材による木造を得意とし、親自然的な建築技術に明るく、不動産部があり土地の相談もできます。
私の要望を踏まえて、C町の6カ所を案内してもらいました。道路からのアクセス、電気・上下水道などインフラ整備の状態、水利権の問題。遠くから電気・水道を引けば高くつくし、水利権はときに理不尽な要求をされ、得られない場合もあります。
驚いたのは田舎の土地の不確定要素の多さ。まっさらな分譲地とは違います。「相続権をもつ子供の許可が必要」、「まず借家して、畑は交渉次第」、「倉庫は隣家に貸しており、すぐには使えない」など。そうした課題を一つひとつ確認し、交渉しなくてはなりません。売る側にしてみれば初対面の余所者を信用できるわけもなく、やむを得ないこともあるでしょう。
「手始めに、信頼できる地主さんの土地をご案内しました。これからゆっくり考えてください」と工務店さん。

地元の工務店に案内されてC町へ。山頂の神社から眺める美しい風景、このどこかにいつか立つ我が家を夢想する。

その後は、知人の紹介、友人の親戚、田舎暮らしの不動産屋、噂を聞いたという土木工事会社など、多方面から売買の話が来ます。それらの土地の課題はさまざま。たとえば、主が急逝して犬・猫・イノシシが残された家。一部が不法占拠された家付きの土地。土木工事会社は、すぐに手付け金を打てば安くすると急かします。
そんなある日、D町の入会地(集落で共有管理する森林)に遊びに行きました。昔は薪炭を得る大切な森林でしたが、人口減少と老齢化で集落の重荷となり、一部を売却。幸いなことに新しいオーナーさんは、仲間らと協力して整備し、環境教育の場として地域の子供たちを受け入れているそうです。
ホダ木のコマ打ちに汗を流し、バーベキューを楽しんだ後、オーナーさんから「近くで売りに出される家がある、見に行ってみましょう」と誘われました。
東南東向きの斜面の頂上にある広い敷地、外流しには湧水が流れています。母屋と隠居所、蔵・牛小屋・乾燥小屋など、手広く営農していた往時の栄華が見てとれる。母屋の玄関から声を掛けると、ほの暗い奥の間から老婆が現れ、「いつもお世話になって申し訳ありません」と深々頭を下げます。子供は県外に出て一人住まい。心配した子供に度々、この家を出て一緒に住もうと促されているそうです。親孝行の子供さんで幸せだなぁと思うのですが、老婆は「私で……ここはもう終わりです」と声を詰まらせます。目を赤くして両手を畳につく姿は、切なく悲しい。代々守ってきた家屋敷を出る、その胸の痛みは余所者には分かりません。売買交渉を始める気にはなれませんでした。

著者について

西本和美

西本和美にしもと・かずみ
編集者・ライター
1958年 大分県生まれ。武蔵野美術大学基礎デザイン学科卒業。住まいマガジンびお編集顧問。主に国産材を用いた木造住宅や暮らし廻りの手仕事の道具に関心を寄せてきた。編集者として関わった雑誌は『CONFORT(1〜28号)』『チルチンびと(1〜12号)』『住む。(1〜50号)』。