移住できるかな

7

健やかな野菜を辿れば

西本和美 移住できるかな

昔話で恐縮ですが、42年前に九州から上京して驚いたこと、米が美味しい! ササニシキ、コシヒカリ、米は東北だなぁとしみじみ感じました。それから、自然食品店の存在です。農薬や化学肥料を使わない農作物などを扱う専門店。そこで、驚くほど濃くて美味しいニンジンやキュウリに出会いました。
健やかな野菜の、なんという滋味。そんじょそこらのスーパーの野菜は紙を食べるようです。当時はまだ「エコロジー」も「持続可能」も「沈黙の春」も知らなかったけれど、気付かないうちに奪われたものがあることを知りました。以後、健やかな野菜を食べたいという願いは、我が人生の優先事項となります。大げさに聞こえるかもしれませんが、毎日三度直面する重大事です。
そこで移住地を探し始めたとき、健やかな野菜を見つければ、健やかな移住地に辿り着くはずだと考えました。安心安全やオーガニックを標榜ひょうぼうするショップ、マルシェ、農業祭などに足しげく通い、店員や生産者に話を聞きます。やがてB町に目星をつけました。
B町の庁舎を訊ねると、移住促進の部署が新設されたばかりとのこと。担当者から「あなたは初めての相談者です」と歓迎され、車で町内をぐるりと案内してくれました。川を挟んで両側に広がる丘陵地は、よく耕され、草刈りなどの整備も行き届いており、気持ち良い。しかし「ここは相続問題があって」「ここの持主は町外に出ており相場を知らず、法外な価格設定で」などと、売買不可能な土地が多いのです。
空き家はたくさんあっても、売買・賃貸されるものは案外、少ないそうです。事情は、仏壇があるから、墓があるから、法事には親戚が集まるから、片付けるのが面倒だから、といろいろ。田舎の土地は安く、わずかな金銭と引き換えに先祖代々の田畑や家屋を売る理由は、ありません。
さらに、私が求める〈家の前から田畑の広がる、昔ながらの小規模農家の構え〉については、「とても難しい条件ですね」と宣告されました。キーワードは圃場ほじょう整備。小さな田畑をぐいぐい統合して大規模化する公共事業で、結果として家と田畑は切り離されてしまいます。
ときには屋敷林に囲まれた散居さんきょ、ときには山裾に身を寄せるつましい集落、昔ながらの小規模農家の構えは、やがて日本昔話になってしまうのかもしれません……。
その後も何度かB町を訪れましたが、適当な土地には出会えず、とうとう「本気で移住したいなら、東京を引き払ってこの町でアパートを借りて探しなさい」とアドバイスされました。担当者の意見は正論で、そんなことは百も承知。でも、東京で仕事しながら移住地を探している者に、それは無理でしょう? という反論をぐっと飲み込みました。
そんなとき、大地震が九州を襲います(2016年4月の熊本地震)。B町も被災しました。屋根瓦が落ち、塀が崩れ、通行止めになった道路もあります。そうなると、ネガティブな情報ばかりが舞い込んできます。「裏山の溜池が決壊する」とか「楠の木の辺りは危ない」とか、妙に具体的。土地探しはハザードマップとにらめっこになります。先の担当者も説明責任を果たすべく、ネガティブ情報を包み隠さず提供してくれます。皆さん、正直にありがとう。

地震直後にもB町を訪れました。ブルーシートで覆った屋根を見上げ、職人たちと修理の算段をする土地の人々に、移住の相談をするのは悪い冗談のように思えます。実際、「活断層の上に引っ越して来るつもりですか」とも言われました。
とりあえず、しばらくは、落ち着くまで、B町への移住話はいったん白紙に戻すことにしました。

九州の魅力的な土地

B町で、線路脇の小さな古家に出会う。魅力的な物件だったが、ネガティブ情報に屈して諦めることに。

著者について

西本和美

西本和美にしもと・かずみ
編集者・ライター
1958年 大分県生まれ。武蔵野美術大学基礎デザイン学科卒業。住まいマガジンびお編集顧問。主に国産材を用いた木造住宅や暮らし廻りの手仕事の道具に関心を寄せてきた。編集者として関わった雑誌は『CONFORT(1〜28号)』『チルチンびと(1〜12号)』『住む。(1〜50号)』。