まちの中の建築スケッチ

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福山城鳥瞰——城のあるまち

来年は福山城の築城400年という。秀吉の伏見城は何度かの焼失、改築のあと、家康が解体して、あちこちに移築した。福山城では、伏見櫓、伏見御殿、湯殿などが伏見から移築された。そういうことができるのも木造ならではの特徴である。江戸の初期の城は、戦さへの備えもなくはないが、まちの中心にあって、大名の権威の象徴でもあり、掘割や石垣も含めて全体のランドスケープとしても見事である。我が国にそんな城が多くの地方都市に残っているのは、楽しいことである。
明治の廃城でも天守閣、伏見櫓、湯殿などは残された。残念なことに昭和20年の戦災で天守閣、湯殿は焼失したが、昭和41年に市政50周年事業で復元されたという。観光という意味だけでなく歴史を偲ぶ、まちの中心としての空間がそこにある。
福山大学で行われている鋼管杭継手実験の見学の機会をもらい、地図を見ると宿泊予定のニューキャッスルホテルが、福山駅を隔てて福山城のすぐ反対側にあることを知った。夕方着いて、翌日も昼過ぎには引き上げる慌ただしい日程であったが、朝のうちに少し城周辺を歩きまわれる期待をもって訪れた。
ホテルにチェックインすると、10階の部屋の窓の下に、深い緑に囲まれた福山城の全景が広がっているのには感激した。夕食を取って部屋に戻ると、天守閣と伏見櫓がライトアップされて、それはまた幻想的な世界に変わっている。
明けて、朝食後、少し高揚した気持ちで、部屋から眼下の福山城をスケッチした。左手前に伏見櫓、石垣から5本の黒い斜めの柱で支えられた湯殿。緑が深くて他の建物はわからないが、天守閣の手前は、よく見ると広場になっていることも見て取れた。朝は高齢者が集いラジオ体操をやっていたと聞いた。資料によると、JR福山駅は、内堀を埋めて作られ、このホテルは家老屋敷跡のようである。そこに天守閣に並ぶ高さから本丸と二の丸を見下ろすとは贅沢なことといわざるを得ない。

福山城

明治・大正初期に城下が鉄道で切り取られ、さらに昭和になって山陽新幹線の駅も出来て、観光客には便利な福山城になった。そしていま新たに、一度は埋めた内堀の発掘遺構調査が行われ、城周辺の整備が進んでいる。
スケッチに思わず時間を要してしまい、大急ぎで、駅の通路を抜けて石垣を見上げ、さっと城巡りをして来た。西側には県立歴史博物館やふくやま美術館、文学館もあって、全体が公園として変化のある構成になっている。伏見櫓を回り込み、やはり伏見城から移築されたという筋鉄すじてつ御門を抜けて、湯殿の正面入口に出る。湯につかり、石垣の上のオーバーハングした広間から城下を眺めて涼をとっていたのかと想像できる。
最近では、小田原城や、さらには江戸城も復元の運動があったり、また鉄筋コンクリートで復元した天守閣をもともとの木造骨組みに戻そうという話があったり、自分たちの町に、近世の城をという声が少なくないようである。今は熊本城の復旧工事が大がかりに取り組まれている。場所によっては、石垣だけが残っていて歴史を偲ぶのもよい。あるいは城郭建築をさらに生活の中に取り込むのもよい。短い時間であったが、江戸時代を偲ぶ福山城と周辺の空間を心地よく味わうことができた。

著者について

神田順

神田順かんだじゅん
1947年岐阜県生まれ。東京大学建築学科大学院修士修了。エディンバラ大学PhD取得。竹中工務店にて構造設計の実務経験の後、1980年より東京大学工学部助教授のち教授。1999年より新領域創成科学研究科社会文化環境学教授。2012年より日本大学理工学部建築学科教授。著書に『安全な建物とは何か』(技術評論社)、『建築構造計画概論』(共立出版)など。