<遠野便り>
馬たちとの暮らしから教わること

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4月:変化の季節

人と馬たちの毎日が現実にいつもいつもこんなふうだといいなと思うのです。そしてそんなふうな関係になるにはどんなからだとどんな心があるといいのだろう、と自問し、実際の日々を馬たちと過ごそうとしてみるのはなかなか愉快なことです。このエッセイでいつも似たような話題を、表現や言葉を変えながら書いているのも、それがきっと(僕にとって)一番大事なことで皆さんにお伝えできればと思ってきたからでもあります。

馬房、パドック、放牧地はゲートはどこも開いていて出入り自由。時々思いがけないところから現れる。サイがパドックから馬房へ。「髪を乱して、何?」

たとえば馬たちは、人間が大好きな〈目的〉や〈目標〉といったものに対する意識とか、そのようなものを達成しようという意欲はもっていません。それらはみな人間らしさというか、人が作った概念です。馬たちはそれよりも「いま、ここにあること」を大切にしています。いま覚醒していることの方が未来に向けてあれこれ心を巡らせるより重要だというのが馬たちのありようだと言ってもいいでしょう。そういう意味で、人から見ると馬たちは今風にいうととても〈マインドフル〉です。

3月の回で、馬から人へのリスペクトが形成されることが大事だ、ということを言いました。その逆で、人から馬へのリスペクトも同じように大切です。馬から人へのリスペクトは、人のパーソナルスペースへの尊重ということが具体的な形としてあるということを紹介しましたが、人から馬へのリスペクトはどのようなものでしょう。

馬仕事のルーティン:牧草を給餌。(水は湧き水)。ブラッシングと裏掘り。地上でトレーニング(グラウンドワーク)。騎乗でトレーニング。ボロ集め。などなど。これを天気とスケジュールに合わせて日々。

馬という文字を語尾に付けた日本語はいくつかあります。軍馬、農耕馬、馬車馬、競走馬、乗用馬。英語由来だとセラピーホース。これらは、人が馬に与えた役割を示しています。馬の〈機能的〉〈用途的〉〈道具的〉側面です。どのように利用するか、ということが表現されています。もちろん人と馬が、人の社会で一緒に生きていくために、このような、時として経済的営為を含むありようは不可欠かもしれません。けれどもさきほど書いたように、馬は〈いま、ここ〉を生きる動物で、〈いま、ここ〉とは時のダイナミズムそのものであり、常に流動しつづける予測不能な現実にほかなりません。ですから、利用目的を第一とした馬にとっては強制力・抑圧性・教育性・訓練性の高い接し方をし続けていると、馬は〈いま、ここ〉を生きることができず、やがて反抗することもあきらめ内に引きこもってしまうことを選択せざるを得ない場合があります。生きていながら、自分らしさを押し殺してしまうことがおこりえるのです。

遠野の馬

2頭の両眼がこちらにロックオンしたまま全力で駈け寄ってくる。馬たちが活性していて信頼関係があると、不意に起こるギフトの瞬間。

馬へのリスペクトとは、一方で、人が馬を何らかの形で利用しつつも、もう一方で、馬本来のありようのための時間と空間を準備し、逆に人が〈いま、ここ〉を生きる馬に寄り添い見倣い、しばし目下の仕事のことや先々の心配のことなども横に置き、〈マインドフル〉に馬と時を過ごすことだと考えています。

そのほうがきっと楽しいよね、プラテーロ……。

著者について

徳吉英一郎

徳吉英一郎とくよし・えいいちろう
1960年神奈川県生まれ。小学中学と放課後を開発著しい渋谷駅周辺の(当時まだ残っていた)原っぱや空き地や公園で過ごす。1996年妻と岩手県遠野市に移住。遠野ふるさと村開業、道の駅遠野風の丘開業業務に関わる。NPO法人遠野山里暮らしネットワーク立上げに参加。馬と暮らす現代版曲り家プロジェクト<クイーンズメドウ・カントリーハウス>にて、主に馬事・料理・宿泊施設運営等担当。妻と娘一人。自宅には馬一頭、犬一匹、猫一匹。

連載について

徳吉さんは、岩手県遠野市の早池峰山の南側、遠野盆地の北側にある<クイーンズメドウ・カントリーハウス>と自宅で、馬たちとともに暮らす生活を実践されています。この連載では、一ヶ月に一度、遠野からの季節のお便りとして、徳吉さんに馬たちとの暮らしぶりを伝えてもらいながら、自然との共生の実際を知る手がかりとしたいと思います。