流しの洋裁人の旅日記

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洋裁人が高島で考えたこと

3月は引っ越した先の富士吉田市で、どこへも流しに出かけずにいました。そのなかで、地元の機屋さん(生地を織る工場)たちが開いた展示販売会で販売する服を製作しておりました。デザインの相談をし、パターン(型紙)を引き、生地以外の素材(ボタンや糸)を揃え、縫製する。アパレル業界においては通常分業されている工程をまとめて引き受けたのですが、よくよく考えてみるとそれは全国で流しの洋裁人としてイベントに出店している時と似た作業(流しは、販売まで行う)なので、仕事の内容的にはいつも通りだったかもしれません。

実は4月より富士吉田市の繊維産業活性化地域起こし協力隊という任務を授かりました。流しの活動とバランスを取りつつ全国に出向き、富士吉田市で1000年以上続いている織物産業と、その産業を通して街を活性化していくという仕事です。

さて、春になり陽気で温かくなってくると、滋賀県の高島市でのことを思い出します。初めて訪れたのが2015年の3月。高島市は琵琶湖の北西にある街で、京都駅からJR湖西線の新快速に乗れば45分で最寄り駅の新旭駅に着くことができます。

biwako lake

高島市の位置と、レンタサイクルで巡った新旭駅の位置(筆者作図)

高島市は、帆布や産業用資材用の織物や綿クレープ(ステテコの綿楊柳生地)1の産地です。仕入先を探しているなかで、京都の糸屋さんに勤める友人から教わりました。新旭駅おりてすぐの高島市観光物産プラザに行けば、レンタサイクルが借りることができます。
新旭駅一帯は田んぼがひろがり、遠くに琵琶湖の対岸にある伊吹山や比良の山々が見えます。そして集落内の川端かばた2からは綺麗な湧水が湧き、集落内を流れています。木造の織物工場もポツポツと建っており、本当に綺麗な景色です。
爽快な気分でチャリンコを漕ぎながら、機屋さん数軒と、シボ付け3やプリント・整理加工をする高島晒協業組合をまわったのでした。

新旭駅周辺の田園

山とJR線を方角のたよりに東西南北数キロずつに機屋さんが集中しているので周りやすい。

新旭駅の水辺

写真では分かりづらいかもしれませんが、集落内を流れる川端(左)。生活用水としてふだんの生活に使われています(右)。素敵な風景なので、ぜひともサイクリングしてみてください。

高島市の晒組合

播州や尾州でみられるノコギリ屋根の工場は少ないですが、板壁が特徴的な工場や工場跡がたくさんあります。

高島市晒協業組合

市内の機屋さんが集まって運営している晒組合には、生機が集積されストックされており(左)、一社に大口の発注が来れば、他の機屋が生機を貸し出すなど仲が良いようです。右写真は、綿楊柳の生地。

本来であれば、私のような小口の仕入れには応じてくれなくて当然なのですが、高島の機屋さんたちは「お互いにどうしたらうまく取引できるかなぁ。」や「うちはどう協力してあげたら君にとってえぇんや?」「こんな取引の仕方やったらお互いにええんちゃうのか?」と声をかけてくれました。そうした姿勢に目元が潤むほど感動し、とても嬉しかったです。
あとで高島について調べると、江戸時代に全国的に商業活動を行っていた「近江商人」は出身地域で大きく4つに分けられ、そのうち高島を出身とする「高島商人」を輩出していた街である とのことでした。近江商人が繁栄した商法の特徴には、①小売りではなく卸売②行きも帰りも商売をする「のこぎり商い」③各地方の出店先から需要を見定めその地方の産物を各地の出店に送る「産物廻し」がありますが、何よりも近江商人の持つ「三方よし 」精神が根付いていたために、私に先のような声がけをしてくださったのかと想像しています。
生地の仕入先もさることながら流し先も探していたので、高島観光物産プラザの方に、「ここで何かイベントがあるときには流させてもらえませんか??」とダメもとで売り込むと早速2015年6月10月と観光物産プラザのイベントに呼んでいただけました。

観光物産プラザ

観光物産プラザのイベントは、近江国の郷土料理である鮒寿司ふなずしや高島ちぢみの生地や服飾製品など地域の特産品勢揃いの売り場。地元の同好グループによるフルート生演奏なども行われました。縫っているより喋っている時間のほうが長いのも「地方流し」の特徴。

この時にずっと一連の作業を見てくれていた主婦の方に、印象的な言葉をいただきました。
「私も昔洋裁を習ったの。今は子どもも大学生になって手を離れたし、私も自由な時間ができそう。あなたみたいな30そこそこの子が一人でこうやって頑張ってるんだもの。私にも何かやれそうな気がしてきたわ。元気もらったわ。ありがとう。今後の人生ももうひと頑張りするわ」
当時、まだ流しを始めたばかりで、流しの活動の意義も方向性も曖昧で、「なんのためにやってるのか、もうやめたいな」なんて思うこともしばしばありました。しかしながら、自分にできることを精一杯やっていると、人を励ますこともできるものなのだなと、活動の意義を一つ増やすことができたのでした。

各地での流しを経験した今、身をもって感じているのが各流し先での需要や価値観の違いです。赴く場所ごとに年齢層やライフスタイルが異なるので流しの洋裁人が生み出す「モノとしての価値」や「洋裁の行為や光景」がその場その場で違ってとらえられます。ある場所では「服としての価値」=「服の価格」だけが議論され、ある場所では「流しというパフォーマンス」を鑑賞する価値、またある場所では「モノの背後にある生地や旅のストーリー」を価値ととらえられ、居合わせたお客さん同士がああだこうだと話合ってくれます。通常、商売をする場合はマーケティングによって買手となるターゲットを絞りますが、流しの洋裁人は商売以外の可能性を含んでいると自負しており、その場その場で様々なパターンの状況に出くわしながら遍歴しています。近江商人の産物廻しのごとく、場所ごとに必要とされるモノや行為の機微を読み取って応えることはもちろん、それに加えて見たり参加したりする人たちの何かしらのきっかけ(生き方や働き方や価値の読み替え)になろうと、高島の流しの思い出とともに振り返ったのでした。

出店後に生地を仕入れてくじを引くと、2等以下5等まで当たり、特産品の数々をいただいて帰りました。

(1)緯糸に強い撚りをかけることで、横方向に生地が縮み、さらに整理加工の段階でタテ皺をつけることで楊柳のシボが生まれる。高島たかしまちぢみで地域団体商標登録されている。琵琶湖東岸では麻の楊柳生地が生産されており、これは近江上布おうみじょうふと呼ばれている。
(2)湧水を敷地内に引き込んで鯉を飼い、炊事の汚れを食べてもらうなど排水を外に出さないよう工夫された水を無駄なく綺麗に使う仕組み
(3)綿楊柳生地の特徴である、生地の縦方向に細かい皺を入れること。これにより生地と肌の接触面積は小さく、汗を描いてもベタリとまとわりつかないため、涼しく感じられる。また皺の隙間を空気が流動することで速乾性があったり、逆に保温性があったりと調湿作用が発生します。また縦皺のおかげで横方向に伸縮します。
(4)古着と木綿の商いから始まった「高島屋」も高島市にゆかりがある。
(5)「売り手良し」「買い手良し」「世間良し」。売り手と買い手がともに満足し、結果的に売り上げが付き、社会貢献にもなるという心得。
参考文献
『滋賀県の歴史』,滋賀県中学校教育研究社会科部会,サンライズ出版株式会社,2005
『近江商人 東北の末裔たち』,近江商人末裔会,1991

著者について

原田陽子

原田陽子はらだ・ようこ
1984年晴れの国岡山生まれ。武庫川女子大学生活環境学科卒業後、岐阜のアパレルメーカーへ営業として就職。「服は機械で自動生産されると思っていた」を耳にしたことをきっかけに、全国各地へミシンや裁縫道具を持参し、その場にいる人を巻き込みながら洋裁の光景をつくる活動を、2014年9月から開始。現在、計40カ所を巡る。洋裁という行為を媒介に、人や場、文化の廻船的役割を担うことを目指している。

連載について

ある日、東京・新宿にある百貨店で買い物をしていたところ、見慣れない光景が目に飛び込んできました。色とりどりの生地がかかるディスプレイの奥で、ミシンにひたすら向かう人がいました。売り場に特設されたブースには、ミシン一台と「流しの洋裁人」と大きく張り出された布の垂れ幕がかかっていました。聞けば、全国各地に赴き、その土地でつくられた生地を用いて即席でパジャマのようなふだん着を製作する活動をしているのだとか。食事については、ずいぶんと生産地や生産者を気にするようになりましたが、衣服のことはまだまだ流行や価格に目を奪われてしまいます。原田さんの全国を股に掛ける活動記録から、衣服に対する見方が少しずつ変わるかもしれません。