太陽にまつわるエトセトラ

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神は太陽を集光器としてデザインした? 旧約聖書創世記を読み解く

聖書を読んだことはありますか?

という質問を保険代理店勤めのときに私が受けたことがある。「読んだことがある」と答えた。私を含めアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」を観て育った1980年代生まれにとって、聖書とくに旧約聖書の正典および外典・偽典は必読書になっていたから。大学の講義でも英語で読んだ。

その答えを聞いてその人は
「あなたのお顔は私の聖書の先生と似ています。今度は私と一緒に聖書を読みませんか」
と誘った。私は
「今は読む気にはなれません。俳句をやっているので、正しい人は正しいように、悪い人は悪いものとして森羅万象をそのまま自然現象として受けとめられます」
と答えた。その人はiPadで新約聖書の文言を指しながら
「聖書では正しい人は正しいように、悪い人は悪い人として裁きがくだされます」
と言った。結局、一緒に聖書を読むことはなかったけれど、ビジネストークではなく魂で会話するのも、ときには悪くないと思った。

古代ユダヤ人の太陽デザイン

ユダヤ教やキリスト教の聖典として知られる旧約聖書はおもに古代ユダヤ人が書いた。その創世記の冒頭部・天地創造を読むと古代ユダヤ人は、太陽を光源というより集光器としてデザインされたものと捉えていたんじゃないかと思えてくる。そんな太陽デザインの話をしよう。

天地創造

集光器の話の前に天地創造の7日間の工程表をおさらいだ。ちゃんと読みたい人はこちらから。

1日目 神は天地をつくった。暗闇のなか、神は光をつくり、昼と夜ができた。
2日目 神は水を上下にわけて穹蒼(空)をつくった。
3日目 神は下の水を集めて土を乾かし陸と海をつくった。陸には草木をつくった。
4日目 神は太陽と月と星をつくった。
5日目 神は魚と鳥をつくった。
6日目 神は獣と家畜と虫をつくり、神に似せた人(男女)をつくって生物を治めさせた。
7日目 神は休んだ。(安息日)

知っている方も多いと思うけれど、一週間が7日なのは古代ユダヤ人のこの天地創造神話に基づいている。

集光器の話に戻る。1日目に「神光あれと言たまひければ光ありき」と神は光をつくった。そして昼と夜も分けた。なのに4日目でやっと「天の穹蒼にありて地を照す光となるべし」と太陽をつくった。このことから、古代ユダヤ人は、太陽は光源ではなく、なおかつ太陽が昼と夜を分けているわけではない、とは考えていたのだと読める。というのは太陽がなくても光があり昼と夜がちゃんとあったのが3日目までの世界だからだ。

genesis

天地創造3日目

つまり、太陽がまだなかった3日目にも地上にはちゃんと空を通して光が届いていた。その光をエネルギーとして植物が創造された。でも逆に言えば、3日目までの光では植物のような「未熟な」生物しか創造できなかったとも言える。きっと光の量が足りなかったんだろう。昼と夜は分かれていたけれど光が微弱だった。だから神は「ちゃんとした」生物を作るために、地上へ光を大量に届けるべく集光器として太陽を4日目に作った。だから5日目と6日目に動物たち、魚・鳥・獣それに人まで創造できた。

古代ユダヤ人は、太陽を一度光を集めてから地上を照らす天体だと捉えていた。

太陽が天の光を集めて地に届ける集光器の働きをしている様が古代ユダヤ人の天地創造神話から読み取れる。ただ漫然と光が降り注ぐだけでは動物は生きていけない、光を一度集めないと人は生きていけないと古代ユダヤ人は考えていたんだ。やるね、古代ユダヤ人。

著者について

林 甲太郎

林 甲太郎はやし・こうたろう
編集者
住まいマガジンびおの下っ端編集者、俳句と養命酒を少々。

連載について

太陽のめぐみを受けて回る地球。その地球上で、太陽の光を受けて生きる動植物たち、そして人間。化石燃料の恩恵を受けるようになってから、私たち人間は太陽のありがたさを忘れつつあるのではないでしょうか? 太陽と人間のかかわりを神話・歴史・科学・文化などさまざまな切り口から探っていきます。