まちの中の建築スケッチ

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駿河台のニコライ堂
——お茶ノ水のランドスケープ

JR御茶ノ水駅の聖橋口から出て聖橋を背にすると、本郷通りの坂がある。その坂を大手町に向けて下ると、すぐ右手の石垣の上に、ニコライ堂がそびえている。駿河台の丘の上にあって教会として特別大きいわけではないが、ドーム屋根が印象的で、このあたりでは一番のランドスケープである。本郷通りを反対に湯島の方へ行くと、すぐに湯島聖堂や神田明神と、歴史的な建築も少なくない地域であるが、景観としてニコライ堂が目立つ存在になっている。

御茶ノ水駅の秋葉原寄りには、地下鉄千代田線と直結するかたちで、超高層ビルの足元がソラシティという名の広場になっている。その一画の少し高くなった芝生の広場は、本郷通りを見下ろす位置になっており、ニコライ堂の全貌が眺められる。高木も植えられているが、残念ながら、ニコライ堂をじっくり眺めるような配置にはなっていない。もう少し植栽計画もニコライ堂を絵にしてみせるような配慮があれば良いのに、と思ったりもする。
周辺には、超高層建築がいくつもそびえていて、丘の上にあるのに、谷間の建築になってしまっているのは、残念なことである。もっとも海外の大都市でもこういうのは珍しくなく、それでもいちおうは大切な景観を保っていると言ってよいと思う。2012年から日本大学理工学部の建築学科にお世話になっており、時々は、地下鉄からソラシティへ出て、ニコライ堂を見ながら研究室に向かうという道をとる。特に、朝の青空のもとで見上げる風景は、気持ち良いものである。

ニコライ堂

 
現在、建築学科は本郷通りに面した5号館に入っているが、その裏手に地上19階の南棟(仮称)が建設中であり、5号館が取り壊されると本郷通り側は、その南の三井住友海上の2つの超高層ビルの前の広場と連続した広場空間になる。残念ながら、ニコライ堂との間には、もう1棟高層ビルがあって、坂の下から迫って見えるという具合にはいかないようであるが、ニコライ堂の存在を多少は意識した配置計画のようにも感じられる。スケッチの背景には、ほぼ完成に近づいた日大理工学部の南棟が見える。右手奥には、明治大学のリバティタワーも見える。都心の大学は、いつ頃からか超高層の時代になってしまった。

ロシア正教会は、明治時代の直前に聖ニコライが来日し、函館から布教が始められたという。1981年には、今の堂々たる大聖堂として建築された。設計は、ロシア人が基本設計を行っているが、実施設計は、東京大学の建築学科の初代教授であるジョサイア・コンドルである。カトリックの大聖堂と異なり、十字の平面をしており、すべてが正面のような立面を見せている。それがドーム屋根をより強調した立体になっているように思う。
関東大震災で鐘楼が倒壊して本堂の屋根を壊したことから、改築されたときには、本堂のドーム屋根を持ち上げて一回り大きくして、鐘楼は新しく低めになったのだという。ドームを支える壁には、ステンドグラスがめぐらされ、空間的にも豊かになった。東京の都心部が壊滅的になったのは、大正12年の関東地震と昭和20年の大空襲の2度であるが、当時は、超高層ビルもなく、駿河台から、一面の焼け野原が見渡せたそうだ。そんな歴史も伝えてくれるニコライ堂である。

著者について

神田順

神田順かんだじゅん
1947年岐阜県生まれ。東京大学建築学科大学院修士修了。エディンバラ大学PhD取得。竹中工務店にて構造設計の実務経験の後、1980年より東京大学工学部助教授のち教授。1999年より新領域創成科学研究科社会文化環境学教授。2012年より日本大学理工学部建築学科教授。著書に『安全な建物とは何か』(技術評論社)、『建築構造計画概論』(共立出版)など。