びおの珠玉記事

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地名を大事にしよう

地名とは、いったい何を指すのでしょうか。「日本」とか「東京都」とか? あるいはもっと大きく、「アジア」とか「ヨーロッパ」とか。
さらに小さく、「港区」とか「六本木」とか。普段、意識することは少ないかもしれませんが、地名にはいろいろな意味や歴史が刻まれています。
地名とは、どんなふうに付けられ、そして変わっていくのでしょうか。

地名にはさまざまな由来がある

地名の由来にはさまざまな背景があります。信仰や自然由来のもの、そこに住んでいた人々に由来するもの、そして政治的・経済的に付けられた(変更された)ものなど。
「日本」というのは、私たちの国の名前です。実はこの名前がいつ定まったのかは、7世紀後半から8世紀初頭といわれており、はっきりわかっていないようです。かつて中国大陸との交易が日本の外交の大半だった時代に、中国から見て日が昇る国として「日の本」というのが国の由来だといわれています。つまり中国から見ての地名というわけですね。
日本の英名は「Japan」ですが、これには諸説あり、東方見聞録のマルコ・ポーロが「ジパング」から、という説が有名です。このジパングも、中国語の日本(rìběn)が語源といわれていて、やはり日本の国名は、和名・英名とも、中国に由来するもののようです。
「ニホン」か「ニッポン」かは、正式に定められていないようですが、なんとなく、「ニッポン」というと、ナショナリズムを感じさせるのは、スポーツの応援に「ニッポン」が使われるからでしょうか。「ニッポン」という片仮名表記はよく目にしますが、「ニホン」のカタカナ表記は、それに比べると少ない気がします。
外部から見てつけられた地名の他に、信仰・言い伝えなどによるものがあります。

信仰・言い伝えなどによるもの

静岡県には「草薙(くさなぎ)」「焼津(やいづ)」という地名があります。どちらも東海道線の駅名にもなっています。
草薙は、三種の神器の一つ、草薙剣(天叢雲剣とも)を拝受したヤマトタケルが野火にあい、この剣で草を薙ぎ払って難を逃れたとされることから名付けられた地名です。
焼津は、同じくヤマトタケルが火をかけて敵を倒したとされる場所です。
日本神話に基づく地名は全国各地にあります。

土地は苗字の名付け親

日本人の苗字は30万種ほどあるという説があります。その多くが地名にまつわるものです。ご自身や、身の回りを見渡してみても、これは地名からとったな、という苗字がたくさんあるのではないでしょうか。
(余談ながら、私の苗字の「佐塚」は、残念ながら出自不明のようです)
屋号や役職などが由来の苗字もあるのですが、圧倒的に多いのは地名由来です。
苗字はまさにルーツを表すものだったのです。
かねてから夫婦別姓が議論されています(姓と苗字はかつては別のものでしたが、今では同じ扱いになっています)。この議論は主に女性の個人同一性についてが話題になります。ルーツといえる苗字が変わってしまうということは、経験していない人間にとっては理解出来ないものでしょう。地名とは異なる問題ですが、似た問題も含んでいるようです。

苗字からついた地名

多くの苗字が地名からついていますが、逆に苗字から地名がついたケースもあります。
地名というより、ある種の比喩として使われることが多い「永田町」。江戸初期に、この界隈に永田伝十郎ほか永田姓の家が多くあったことから付けられた地名だといわれています。

団体の名前

現在の地名としては珍しいのが、愛知県豊田市と奈良県天理市です。
豊田市はトヨタ自動車の、天理市は天理教の、それぞれ本拠地として命名されています。確かにその市の特徴を表しているとはいえますが、果たしてそれがふさわしい名づけ方なのかどうか。例えばトヨタの本社がもし移転したら…?
この他には、そこで営まれていた職業から付けられた地名、建物にちなんだ地名、そして後述する地形や地質にちなんだ地名など、さまざまな由来があります。

南スーダンの独立

この7月(2011年当時)に、「南スーダン共和国」が成立しました。スーダン共和国からの分離独立です。
アフリカの国境というのは、地図をみるとわかるように、直線で区切られているところがあります。19世紀のヨーロッパ諸国による植民地支配時の区画が、今もまだ残っているのです。

2011年7月27日の時点では、googlemapにはまだ南スーダンが登場していません。直線で区切られた国境は、植民地支配時の区画です。
この南スーダンの独立にあたっては、アフリカの国同士が国境線を決めました。これは歴史的な出来事であると同時に、アフリカ諸国が他国から国境線を決められていたという事実を改めて認識することになりました。
南スーダンが独立するにあたっては、別の名前も検討されたのですが、最終的に「南スーダン」が選ばれました。
スーダンとは、アラビア語で「黒い人」を意味します。南スーダンの人々が、この国名を選んだということは、スーダンという名称への愛着や、誇りがあるのでしょうか。
スーダンに隣接するエチオピアはギリシア語で「日に焼けた顔」、その隣のソマリアは、ヌビア語(エジプト南部からスーダン地方の言葉)で「黒い人の国」が語源と言われています。
正式な国名は自分たちで決めるとしても、その由来・背景には、自分たち以外の目線が含まれているという点では、日本の国名の由来と同様です。
国名変更は、政治的・宗教的な背景がほとんどです。
ビルマは軍事政権によってミャンマーという名に変更されました。コンゴは、クーデターでザイールとなった後、元々使われていたコンゴという名称を再び使うようになりました。
国の名前が変わる、ということは、それほどの政変を伴うということなのでしょう。ミャンマーもコンゴも、そしてスーダンと南スーダンも、政情が安定しているとはいえない状態です。

災害と地名

地名は、その土地の自然現象に由来するものが多く、防災上大きな役割を果たします。
〇〇谷とか〇〇窪などという地名は、低い地形で水があったところから名付けられていることが多いのです。東京の中央線に、「阿佐ヶ谷」「荻窪」「西荻窪」と駅が続いています。このあたりは、湿地、窪地だったのだなあと想像がつきます。
〇〇田、というのも、水田地帯を指すことが多く、こうした土地は地盤が緩い危険性があります。「蒲田」は、蒲が茂った田からきている名前です。「千代田」は、沢山の田が広がっていたのでしょう。
高知県高知市は、もともと「川中」「河中」「河内」などと記されていたのですが、水害が多かったために「高智」と改められ、その後「高知」になったといわれています。すなわち現在の「高知」は当て字なのです。
(当て字の地名はこれに限らずかなり沢山あります。北海道の地名には、納沙布、長万部など、アイヌ語が元になっているものが多いのですが、これらの漢字は当て字です)
東日本大震災では、豊洲や浦安といった「ウォーターフロント」が液状化しました。
豊洲の「洲」は、もともとは水辺にたまった砂地などを指す文字です。浦安の「浦」は、海を意味しています。どちらも水を連想させる地名がついています。連想以前に、今回の被害にあった地域は埋立地ですから、もとが海だったことは自明です。
ウォーターフロントとかベイエリアとかいうと、なんだかカッコよく聞こえますが、そんな風にごまかさずに「埋立地」と言え! と怒りたくもなります。
メソポタミア・エジプト・インダス・黄河の四大文明は、すべて川に根ざしたものでした。川は飲料水としてはもちろん、食料調達や運搬といった利便をもたらすと同時に、洪水という問題を常に抱えていたのでしょう。
有史以降も人は食料生産の場をもとめて、海沿いの土地に広がっていきました。水辺は便利な半面、軟弱地盤や津波の被害との戦いがあり、そうした歴史は、地名という形で今に残っているものもあります。
こうした文化的・歴史的財産ともいえる地名は、やはりそう簡単に変えてはならないのですが、日本では目を覆うような地名変更が相次ぎました。

地名を安易に変えるな

「平成の大合併」で、多くの新市が誕生しました。未遂に終わったものも多かったものの、トンデモ市の名称案が次々に発表されて暗澹たる気持ちになったのは、まだ記憶に新しい出来事です。
南アルプス市は、山梨県の複数の町村が合併して出来ました。南アルプスを有する市だから、ということでの命名だと思われます。この南アルプス市に限らず、合併によって新市の名称を決める際には、一般公募をして協議会で決定、というプロセスをとったところが多く見られました。地名とは、その土地の自然や歴史を表すものです。新市のスタートに、話題性を求めたいという気持ちは若干は理解するとしても、市名としてふさわしかったのかどうか、命名者の見識が問われてもやむを得ないと思います。
そもそも南アルプスとは、赤石山脈のことを指します。赤石山脈は、赤色の岩盤を持つことから命名され、その赤石岳を代表とした山脈を赤石山脈と呼んでいます。そもそも南アルプスという名称は、外国人が日本にもアルプスのような山がある、と紹介したことから名付けられましたが、果たしてそれがよい呼び名かどうか。ロマンは感じるものの、地名としては適切でない気がします。
静岡県東部の伊豆半島では、やはり合併ブームの際に、「伊豆市」「伊豆の国市」が出来ました。伊豆半島には他に多くの市町がありますが、先に合併した4町が伊豆市を名乗ると、続いて合併した3町は、伊豆の国市を名乗ったのです。どちらも伊豆半島にあり「早い者勝ち」という、なんとも安易な命名がなされてしまいました。
市町村合併では、「埼玉県さいたま市」や「茨城県つくばみらい市」のような市名も産み出してしまいました。
もっとも、地名には当て字が使われているものも多く、漢字が本来の意味を表していないこともありますから、ひらがなにすることが必ずしも歴史背景を奪ってしまうことには繋がらないかもしれません。しかし、「つくばみらい」は、そういう問題でもない気がします。
ひらがな市名は、「香川県さぬき市」「兵庫県南あわじ市」など、大量に生まれましたが、なかでもすごいのは「栃木県さくら市」です。氏家町と喜連川町の合併によって生まれたこの市は、桜の名所があるから、ということで「さくら市」に。たしかに市の特徴として桜があるのかもしれませんが、桜などという日本中どこにでもあるものの名称を、市の名称につけようとは、これは安易といわれても仕方ないでしょう。
仮に「栃木県」の名称を変えることになったら、そんなやりかたはしませんよね。市の名称って、そんなに軽いものなのでしょうか。
他の市町に文句をつけてばかりだと、他所に住んでる奴に言われたくないよ、と文句の一つも出そうなので、お膝元での話を。
私の住む静岡県浜松市も、平成の合併の特例で、人口は100万人に満たないものの、政令指定都市となりました。
政令市となったために区割りが必要となり、この区名を、やはり公募+協議会で決定しました。
私の住むあたりは、浜松の中央部分にあるのですが、「中区」に決まりました。東のほうは「東区」、西は「西区」、北は「北区」……って、そのまんま!
旧浜松市以外の場所では、旧天竜市を含む地域は天竜区、旧浜北市は浜北区といった地名が残っているところもあります。なんとも安易な命名にガックリです。公募にあたってはいろいろ意見も述べましたが、結果には影響しませんでした。公募結果をみると、「うなぎ区」なんていうものもあったりして……参りました。
未遂に終わったものとしては、「南セントレア市」「天草シオマネキ市」などという、お土産物と勘違いしているかのような名称案もありました。
ヘンテコ市名で浮揚なんか図れるわけがない。せいぜい、「せんとくん」みたいな変キャラぐらいにしておいてもらいたいものですが……

地名を調べよう

今住んでいるところ、これから住もうとしているところがどんなところなのか、知っておきましょう。
前述のとおり、水を連想させる名称は、かつて谷や川だったところや、鉄砲水の危険がある可能性があります。そうした名前が今はついていなくても、かつてそういう名前がついていたかもしれません。
古地図や地名辞典は、図書館が収蔵していることがあります。近隣の図書館で調べてみましょう。

江東区古地図

江東区区役所周辺

この地図は、1892(明治25)年の江東区区役所そばの地図です。

現在はこんな感じになっています。ここまで極端ではなくても、過去に川だったり、ため池だったりというところはたくさんあります。開発された宅地では、開発前の状態がどんなだったか、地名が変わっていないか、必ず確かめましょう。

参考文献
地名の世界地図 21世紀研究会編 文春新書
消えてゆく東京の地名 本間信治著 自由国民社
川を考える地名―自然地名は先祖の知恵 小川豊著 山海堂
古地図 Japanese Historical Mapsより

小豆餅と銭取

浜松市には「小豆餅と銭取」という、変わった地名があります。

小豆餅と銭取のバス停

「小豆餅」と「銭取」

徳川氏と武田氏が争った有名な戦に、「三方原の戦(1573年)」があります。
武田軍の駿河侵攻の中、浜松城に籠城していた徳川家康は、武田軍の目的地が浜松城ではないと知ると、背後からの追撃戦をしかけます。しかし武田軍は三方原台地でこれを待ち構えており、徳川軍は圧倒され敗走します。
この敗走中に、家康が茶屋で小豆餅を食べたといわれるのが、「小豆餅(あずきもち)」です。ところが、武田軍の追撃を受けたため、家康はお金を払わずに馬で逃げ出します。茶屋のお婆さんはそれを追いかけ、お金を払わせた場所が「銭取(ぜにとり)」と呼ばれています。
馬で逃げる武将に追いつける老婆がいるのかとか、敗走中に餅なんか食べるのか、という疑問も多く、この話は創作であるという説が濃厚ですが、浜松市内では親しまれている逸話です。
もっとも、「小豆餅」が地名として正式に使われるようになったのは1976年からで、これを歴史的背景とみるか、地名の歪曲とみるかは、評価がわかれるのではないでしょうか。「銭取」は、住所としては残っていませんが、バス停に名残があります。
ところでこの「小豆餅」は、私が浜松市に引っ越してきたときに最初に暮らしていた町です。住所を知人に伝えると、かなりの割合で冗談だと思われました。
「銭取」は、現在私が住んでいる町にあります。
小豆餅から銭取へ。敗走でも食い逃げでもなく、偶然なのですが、歴史をなぞったような気がしたりして。

(2011/07/28の過去記事より再掲載)


佐塚昌則  さづか・まさのり

1971年静岡県生まれ。町の工務店ネット常務理事/手の物語常務取締役。町の工務店ネット発足当初から、地域工務店と共に歩み、現在は「自然室温で暮らせる家」を伝え歩く。趣味の料理をしているときが、心が一番落ち着くとき。

連載について

住まいマガジンびおが2017年10月1日にリニューアルする前の、住まい新聞びお時代の珠玉記事を再掲載します。