流しの洋裁人の旅日記

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富士吉田市:ハタオリマチフェスティバル

こんにちは、流しの洋裁人です。全国各地に裁縫箱やミシンを持参して、その場にいる人やお客さんを巻き込んで服を作る光景ごと提案・販売しています。10月は毎週流しておりました。

10月6日~8日は山梨県の富士吉田市にて「ハタオリマチフェスティバル」、13日~15日は石川県の能登島「のとじまてまつり」、20日~22日は秋田県五城目市に滞在して「ごじょうめ朝市plus+」へ、28日には東京都の高円寺で「高円寺アパートメントマルシェ」へ流して参りました。木曜には荷物を送って金曜に設営、土日でイベント、火曜に戻ってきた荷物を整理して木曜まで仕込みをするというなんともあわただしい一か月。もしこのミニマムな仕組みをミニバンで展開できたらとか、全国にミシン付きで停留できるキャンプ地を作れたらなと夢をみた一か月でした。

富士吉田市の「ハタオリマチフェスティバル」は、昨年に続き2度目の参加でした。

富士吉田市の「ハタオリマチフェスティバル」に参加した流しの洋裁人

商店街に面した家具店の一部をお借りして流しのスペースを設けた。

ハタオリマチと名のつく通り、富士吉田市では富士の湧水を使って千年以上前から織物業が育まれていました。このイベントに参加する2年前に通称シケンジョ、県の産業技術センターにお邪魔した時には、「関東平野周辺で多数発展した絹織物産地の中で、富士吉田は険しいし遠かった。だから行商人にここまで来て仕入れてもらうには、持って帰るのに“軽くて嵩張らず運びやすい”、遠くまで行ってでも手に入れたいような“凝ったもの”を作るよりほかなかった。江戸時代は奢侈禁止令が出ていたので町人の楽しみは裏地へのおしゃれで、裏地が得意なこの地方の生地は需要を獲得していったのです」と解説を受け、かつての生地見本帳を見せていただきました。角度を変えて見ると別の柄が浮かび、圧倒されたのを覚えています。高度経済成長を経て昭和30年代頃には盛んに織物取引が行われていた街です。

このイベントは、富士吉田市が主催となり、20代と30代の実行委員を中心に、繊維産業に関わる人々、高校生、婦人会、大学生のボランティアスタッフなどなど市内のあらゆる組織が自分たちの得意を持ち寄って、設営・道案内・ワークショップを担当し、商店街の各所で物販・ワークショップ・飲食・音楽会を開催するものです。

真剣な若手機屋

先輩の機屋さんの生地を見て俺もこんなの織りたいと談義する若手の機屋さん。

私は外部クリエイターとして参加し、街の機屋さんが織った生地で服を作りました。産地外から来たクリエイターと地元の機屋さんやファクトリーブランドが並んで混ざり合い、お互いに刺激をうけ、地元の方も外から来たお客さんも楽しめるイベントでした。

著者について

原田陽子

原田陽子はらだ・ようこ
1984年晴れの国岡山生まれ。武庫川女子大学生活環境学科卒業後、岐阜のアパレルメーカーへ営業として就職。「服は機械で自動生産されると思っていた」を耳にしたことをきっかけに、全国各地へミシンや裁縫道具を持参し、その場にいる人を巻き込みながら洋裁の光景をつくる活動を、2014年9月から開始。現在、計40カ所を巡る。洋裁という行為を媒介に、人や場、文化の廻船的役割を担うことを目指している。

連載について

ある日、東京・新宿にある百貨店で買い物をしていたところ、見慣れない光景が目に飛び込んできました。色とりどりの生地がかかるディスプレイの奥で、ミシンにひたすら向かう人がいました。売り場に特設されたブースには、ミシン一台と「流しの洋裁人」と大きく張り出された布の垂れ幕がかかっていました。聞けば、全国各地に赴き、その土地でつくられた生地を用いて即席でパジャマのようなふだん着を製作する活動をしているのだとか。食事については、ずいぶんと生産地や生産者を気にするようになりましたが、衣服のことはまだまだ流行や価格に目を奪われてしまいます。原田さんの全国を股に掛ける活動記録から、衣服に対する見方が少しずつ変わるかもしれません。