小池一三の週一回

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吉田五十八のことなど

以前に書いていた「週一回」の最終原稿は、2013年5月27日でした。「熱海・惜櫟荘」について書きました。
吉田五十八さんが設計した熱海の「惜櫟荘」について、BS朝日の番組で特集番組が放映され、それを見て感想を述べました。惜櫟荘は、岩波書店の社長だった岩波茂雄が住んでいた別荘で、現代数寄屋建築の傑作といわれる建物です。
番組は、昭和15年に建てられ、建物が朽ち、この建物を買い取った小説家の佐伯泰英さんが私財を投じて修復されたこと、また建築された当時の岩波茂雄と吉田五十八のやり取りなど、2時間にわたる見ごたえのあるものでした。
この建物のことは、岩波の娘婿だった小林勇が『惜櫟荘主人』というタイトルで本を著しています。わたしはこの本を30年前に読んでいて、書庫を調べたらあったので、建築家の村松篤さんに読んでもらいたくて譲りました。
何故、彼に読んでもらいたいかと思ったのは、このブログに書いたことに関係していて、この番組を見て、わたしは永田昌民さんのお仕事を思い出しました。永田さんは、吉村順三の影響をつよく受けているけれど、建物の表情、大壁の使い方においては、彼が学んだもう一人の先生、吉田五十八の影響がつよく見られることを書きました。
このことは、奥村昭雄さんが自分の仕事を語るに際し、「僕らは吉田五十八からも影響も受けているんだ」と、わたしにこっそりと耳打ちされた話でもあって、永田さんの影響を受けている村松さんに、この話を継ぎたいと考えて本を差し上げました。

最近、小説家の佐伯泰英さんが書かれた『惜櫟荘だより』(岩波現代文庫)を読み、吉田五十八の名著『饒舌抄』を再読しました。
この本を読みたくなったのは、劇団民芸の演出家宇野重吉さんが、晩年、それまで無縁だった「劇作派」の岸田國士くにおの『驟雨』、小山祐士『十二月』、武者小路実篤『息子の結婚』、山本有三『嬰児殺し』などを連続的に上演されたことを思い出したからでした。
宇野さんと劇団民芸は、久保栄や木下順二、アーサー・ミラーなどのリアリズム演劇を上演してきており、宗旨替えなのでは、と話題になりました。
当時、宇野さんに話を聞く機会があって、「今更、なんでと言われませんか」と聞いたら、宇野さんは笑いながらこういわれたのでした。
「昔はさ、つのを突き合わせていただろう。了見が狭くてね、上演させてくれって頼めなかったのさ。このところ、日本語が痩せてきてるだろう。近代古典の見直しは、われわれ自身のために必要なことなんだ」
この話を聞いたのは1987年のことでした。この年は、OMソーラー協会を設立した年なので、よく覚えています。銀座の三越劇場の楽屋に宇野さんを訪ねて聞いたのでした。宇野さんは、この翌年に亡くなられました。

そのことをふいと思い出し(70歳を超えてから、ふいと思い出すことが増えました)、『惜櫟荘』に関する本を読み、永田さんや奥村さんがいわれたことを振り返ったのでした。



小池一三  こいけ・いちぞう

1946年京都市生まれ。一般社団法人町の工務店ネット代表/手の物語有限会社代表取締役。住まいマガジン「びお」編集人。1987年にOMソーラー協会を設立し、パッシブソーラーの普及に尽力。その功績により、「愛・地球博」で「地球を愛する世界の100人」に選ばれる。「近くの山の木で家をつくる運動」の提唱者・宣言起草者として知られる。雑誌『チルチンびと』『住む』などを創刊し、編集人を務める。

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