里山の色

榊(さかき)

版画/たかだみつみ
2016年12月21日 水曜日

榊(さかき)

「サカキ」とは、ツツジ目の常緑樹です。神社の入り口に植わっていたり、玉串奉奠に使われたりと、神事でよく登場する木です。
サカキというのは、種を示す場合と、漢字で榊、木偏に神と書くように、神事に使われる常緑樹全般を指すこと場合があります。
語源には諸説あるなかで、境の木でサカキ、というものがあります。境とはいっても、日本の「境」は、なかなかに曖昧模糊でわかりにくいものです。

神社の境目には鳥居があります。けれど、この鳥居というものも、扉があるわけでなく、空間的には、はっきりとした分け隔てを作るものではありません。キリスト教の教会やイスラム教のモスクなどは、扉のついた建物で、内外がはっきりわけられています。こういう違いは決して宗教施設だけのことではなくて、住まいについても同様でした。

欧米のドアは内開き、日本のドアは外開きが主流です。内開きというのは、外と中、自分の領土たる我が家に、外部からやすやすと入られては困る、という発想に由来しています。内開きであれば、中から閂をかけたり、重しを置いたりと、外敵の侵入を防ぐのに有利です。
ドアが海外から移入されてきたときに、そのまま内開きにせずに、外開きになったのは、室内で靴を脱ぐ、という習慣から、玄関内にドアが入ってくるのに都合がよくなかったのでしょう。防犯(自分の領土を守る)という意識はそれほど強くなかったといえます。むしろ、勝手口から御用聞きが入ってくるのが当たり前、という社会が、ついこの前まで普通にありました。

いまはそこまで牧歌的な風景も、かなり少なくなっていて、防犯というのは住宅の重要なテーマの一つでもあります。敷地も境界をはっきりさせて、門扉を付けてしっかりガード、という住宅も珍しくありません。

そんなふうに、日本社会も、あいまいな境界でよい時代から、はっきりした境界を求めるようになりました。その境界の中は自分の領土、何をやっても自分の勝手、とばかりに、フェンスで囲んだ敷地の中で、めいめいが思い思いの住宅を建てている、というのが日本の住宅地で起こっていることです。

個人の財産を管理する、という観点での境界が必要なことはわかります。けれど、そこで空間も風景もみな「境」が出来てしまうことは、本当にわたしたちが望んだことでしょうか。それよりも、サカキや他の常緑樹で、だいたいこの辺ね、という小さな垣根を作って、垣根越しのおしゃべりを楽しめる、そんな町に暮らしたい、と思いませんか? あちこちに引かれているいろいろな境界が、本当に必要な境界なのか、なくなったらどうなるのか、そんなことを考えると、結構わくわくしてきますよ。

    小 大
    ページ上へ