季節をいただく

蒟蒻 コンニャク

こんにゃく

こんにゃくを戴いた。さわらのまな板に横たわり、淡い光に包まれ透けている。包丁を入れると弾力のある手応え、手間をかけた美味しさが伝わってくる。湧き水を土鍋にたっぷり沸かし、薄切りのこんにゃくを入れる。一度、沈んでから踊りはじめ、浮かび上がればザルにとる。

蒟蒻 コンニャク

湯気の立つまま口に運ぶと、ほのかにこんにゃく特有の香り。そのまんまの茹でこんにゃく、何枚でもいけそう。湯がいたいんげん豆と人参の浅漬けを添え、完熟小梅の梅醤油と胡麻を擂り合わせてのせた。ねじりこんにゃくも茹であげ、真っ赤なスモモ煮を和えて馴染ませた。どちらも少し酸味がのり暑い時期のからだにあう。

蒟蒻 コンニャク

このこんにゃくは湖東の畑からやってきた。数年かけて育てられたこんにゃく芋。ゴシゴシ洗って皮を剥き、細かく擂りおろして型に入れ、灰汁を加えて茹であげる。訪ねる度に、淡い桃色を帯びた出来たてのこんにゃくを頂いた。この数年は種芋が行き交い、遠州浜北の寿梅園の梅畑では大きく伸び、信州安曇野の松川村に寄ると、畑に一列にならび、小さいながらも、雨の中まっすぐに天をあおいでいた。地域、気候によって、育ち具合もそれぞれ。

蒟蒻 コンニャク

幼い頃、こんにゃくは薬だと思っていた。祖父母に連れられた四天王寺の庚申さん参り。庚申の日に無病息災にと、三角のこんにゃくを、北向きになり無言で食べるのが習わし。子どもの口には大きく、独特のにおいや灰汁も苦手だった。一気にもぐもぐほおばって、ろくに噛みもせずに飲み込んだ。唐辛子入りや、黄色のねり辛子がついたりすると涙もポロポロ。食べ過ぎるとお腹にも詰まったのを覚えている。祖父の畑にて茂るこんにゃく芋の茎の色を見て食べ物にはほど遠いとも思った。親戚にこんにゃく屋がいたこともあり、工夫された料理で食卓にもよくのぼり、いつの間にか苦もなく食べられるようになった。そのおかげで好き嫌いも無く、健やかに育まれて今に至る。こんにゃくに感謝。

蒟蒻 コンニャク

こんにゃく:マミー農園(湖東)、人参・いんげん豆:羽田農園(三方原)、すもも煮:自家製(三方原)、宮口小梅の梅醤油:寿梅園(浜北)、生醤油:丸島醤油(小豆島)、炒り胡麻:みたけ食品(パラグアイ・ボリビア)
皿:新美清彦(知多)、器:木地屋やまと(南木曽)、まな板:金太郎のまな板(木曽さわら)

著者について

中小路太志

中小路太志なかしょうじ・ふとし
大和川が育む河内生まれ。幼い頃は田畑に遊び、野菜の虫取り、薪割り、風呂焚きに明け暮れ、炎と水を眺めて過ごす。潮騒、やまびこ、声など、耳に届く響きに趣き、コンサートホールの建築や音楽、舞台、展示制作に携わる。芸術と文化の源を求め、風土や人の営みから、言葉とからだ、食と農に至る。食べることは、天と地と人が繋がること。一粒の種から足るを知り暮らしを深める生活科学(家政学)を看護学校にて担当。天竜川流れる遠州在住。