旬のコラム

クマゼミのなく頃に

2013年08月12日 月曜日

立秋の次候は「寒蟬鳴(ひぐらしなく)」。立秋の候であることからもわかるように、ヒグラシは秋の季語です。
七十二候は旧暦を元にしていますから、実際の秋はもう少し後にずれるのですが、それにしてもヒグラシの声など聞こえることもなく、編集部のある浜松市では、連日38℃近い暑さで、クマゼミが隆盛を極めています。
このところの「びお」は、暑さの話ばかりで恐縮ですが、立秋を迎えて以降も、各地で40℃を超える気温を観測するなど、いったい秋はどこに行った? と思わざるを得ません。夏が終わると急に冬が来るような季節がつづいていますが、ヒグラシが目立たなくなったのは、気温だけの問題ではないかもしれません。

今回は、ヒグラシよりも、クマゼミが主役の話。

クマゼミ

クマゼミは、もともと西日本に生息するセミでしたが、東日本でも目撃されるようになり、その生息域の拡大が温暖化と関係あるのでは、と言われてきました。一方、セミの分布は気温ではなく地温に影響する、という説もあります。セミはその一生のほとんどを地面の下で過ごしますから、確かにそうなのかもしれません。
しかし、動物行動学者の日高敏隆さんは、著書「セミたちと温暖化」の中で、セミと地温の話を、なるほど、と思うと同時に、夏は同じように暑いところ(この場合、東京と伊東)で、地温がそんなに違うのだろうか、という疑問も持っています。同じ京都市の左京区の中でも、クマゼミの数がこんなに違うのか、と改めて驚き、生き物の敏感さを綴っています。

我が家の庭にはセンダンの木が二本あって、ここがクマゼミの憩いの場になっています。ただ、皆がみな、そこで羽化できるわけではないようで、中にはコンクリートの上を這い、人工物で羽化をするセミもいます。クマゼミはセンダンを好むと言われます。食糧がある、ということは生き物が生息域を広げる理由のひとつですから、そこに好みの木がある、ということは、気温や地温に並んで、何かの理由になるのかもしれません。

センダンの木とクマゼミ

クマゼミたち

逆にいえば、好みの木が(生息環境が)失われた種類のセミは、だんだん人里から消えていって、いつのまにか○○セミばかり、ということが起こるのかもしれません。
クマゼミやアブラゼミが都市型の蝉だとすると、ヒグラシは里山型とでもいえばいいでしょうか。ヒグラシの声が少なくなったのだとすれば、それは地域の都市化が進み、ヒグラシの好む山が少なくなったからかもしれません。
同じ日高敏隆さんの「動物たちはぼくの先生」では、コンクリートジャングル・ニューヨークの高層ビルに、ハヤブサが住み着いた、という話が紹介されています。超高層ビルの窓際は、彼らにとっては断崖絶壁の岩棚と同じこと。これと同じようなことが日本を含め、各地でも起こっているそうです。
鳥にしても蝉にしても、その環境を、自分の生息する環世界として認めて住み着くものもいれば、そうではないものもいます。


ところでクマゼミのせいで、インターネットに接続できなくなることがある、と聞いたら信じられますか?
これも私が直接経験したことですが、ある日、自宅からインターネットに接続できなくなりました。機器の故障か、完全に信号が来ていないか、とにかく、さっぱりつながりません。プロバイダに確認してみても、障害情報はあがっておらず、また地域で繋がらないところは無いようですが、我が家だけが繋がらない状態でした。
サービスの方に現地確認をしてもらったところ、自宅内の設備には異常なし。
原因究明には少し時間がかかりましたが、犯人はクマゼミらしい、ということがわかりました。クマゼミは、枯れ木に産卵する習性がありますが、光ファイバーケーブルを枯れ木と勘違いし、ケーブルに産卵してしまう、ということらしいのです。この話をはじめて聞いた時には、苦し紛れの言い訳なのでは、とさえ思いましたが、はたしてクマゼミによる通信障害は全国で発生しているとのことでした。蝉のひと刺し(?)で、インターネットが使えなくなるとは、なんとも恐れいりました。現在は、対策したケーブルを用い、被害は減少しているようです。


ホットトピックス[日経コミュニケーションRepo] – 光ファイバがクマゼミ対策で進化:ITpro
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20071002/283583/

クマゼミが今も鳴き続けているということは、光ファイバー以外のところで産卵できている、のだと思いますが、なんとも蝉に申し訳ない話ですね…。

羽化のために幼虫がコンクリートを這っていました。彼らにとってこの地面はいったい何なのか。

羽化のために幼虫がコンクリートを這っていました。彼らにとってこの地面はいったい何なのか。

建物にて羽化。


日高さんは著書の中で、「地域を無視した奇妙にグローバルな発想は、問題の本質を見誤らせるおそれがある」とも述べています。世の中のあらゆることは地域で起こります。家も、その地域に建っているものです。


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