びおの珠玉記事

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茗荷―その変わった言い伝え

※リニューアルする前の住まいマガジンびおから珠玉記事を再掲載しました。
(2013年05月16日の過去記事より再掲載)

ミョウガ

まもなく6月。沖縄地方は梅雨入りをし、そろそろ過ごしにくい季節がやってきます。
そんな季節にぴったりの野菜が「ミョウガ(茗荷)」。出荷量が増えてきて、これから夏に向かってピークを迎えます。

茗荷はその95%以上が水分です。それほど栄養価が高い野菜ではありません。その風味・香に人気のある爽やかな野菜です。日本原産の数少ない野菜のひとつで、今でも日本では多く食べられていますが、海外ではほとんど食べられていないようです。

この茗荷、「食べ過ぎると馬鹿になる」「物忘れが激しくなる」などと言われています。
もっとも、そんな副作用があれば流通することが難しくなりますし、これは迷信だといってよいはずです。
では、どうしてこういう迷信が生まれてきたのか。

茗荷を食べると馬鹿になる?

食べ物に関する言い伝えには、その真の意図が読みにくいものがあります。

有名な諺に「秋茄子は嫁に食わすな」というものがあります。これには、美味しい秋の茄子を食べさせてあげない、という「嫁いびり」である、という説と、身体を冷やす茄子を、出産を控えた嫁に食べさせない方がいい、という「嫁思い」の説があります。
(もっとも、「姑に食わすな」という言い伝えがさっぱり見当たらないことから、やっぱり嫁いびりでしょうか)

茗荷は、好きな人にはたまらなく美味しい野菜です。この茗荷を人にたくさん食べられてしまわないように「馬鹿になる」などと言って抑制したのでしょうか。それとも、刺激のある香味野菜故に、その刺激を多く取り過ぎないように、あえてそういうレッテルを張ったのでしょうか。

茗荷を食べると馬鹿になる、という由来を紐解いていくと、仏陀の弟子であった周梨槃特の逸話が必ずといっていいほど登場します。

周梨槃特は、自分の名前も覚えられないほど物覚えが悪く、名前を書いた札(名荷)をいつも下げていた。彼の死後、墓から生えてきたの植物に、いつもつけていた名荷から茗荷と付けられた。

これだけでは周梨槃特が単に物覚えが悪かった、というだけのように見えますが、彼は非常に熱心な仏弟子で、仏陀に命じられて常に掃除を続ける中で悟りを得て、十六羅漢の一人にも選ばれています。

茗荷を家紋にしていた武家も多く、これは茗荷を冥加(神仏の加護)にかけてのことのようですが、そうしたゲンをかつぐ武家が、馬鹿になる、と言われたものを家紋に抱くでしょうか。
そもそも、仏陀の時代のインドに茗荷があったのか、もし日本原産だとすると、それもちょっと怪しい。

「茗荷宿」という上方落語があります。
客に茗荷をたくさん食べさせて物忘れをひどくさせ、忘れ物を着服してしまおうと企む宿の主人ですが、客は宿賃を払うのを忘れていった、というオチです。

この落語の時点では、すでに茗荷は周梨槃特のエピソードによって物忘れが激しくなる野菜だ、と確立していたかにも見えますが、実際のところは、落語の作者がそれっぽくエピソードを捻出し、落語の流行とともに茗荷=物忘れ、になっていったのではないかなあ、などとも思えます。

日本語は楽しい。言い伝えも楽しい。

「茗荷」は、周梨槃特の「名荷」から名付けられた、という説もありますが、他の説もあります。
より香りの強い生姜を「兄香(せのか)」、茗荷を「妹香(めのか)」と呼び、それぞれが訛って「しょうが」「みょうが」になった、というものです。これに後付で「茗荷」のエピソードをくっつけたのでしょうか。

どうして「物忘れが激しくなる」などといって、茗荷を食べさせないようにしたか、その真意はわかりません。しかし中には逆に、名前をひねって、禁止されているものを許可してしまおう、というものも見られます。

「ウサギ」などはその典型です。ウサギの数を数えるのには、一頭、二頭と数えずに、一羽、二羽と数えます。これは、獣肉禁止の回避策で、()(さぎ)である、鳥肉である、と強弁したため、という説です。
「般若湯」なんていうものもあって、不飲酒戒、飲酒が禁じられている僧侶が、それでもなんとか酒を飲む為に、名付けた名前が「般若湯」。いいですね。

折しも先日は「竹笋生(たけのこしょうず)」。竹の子という言葉もまた、いろいろな言葉遊びに使われています。ちょっと、お下品なものも多いので紹介がはばかられます。気になる人は、調べてみてください。

日の言い伝え

お下品ついでに。5月16日は、「性交禁忌の日」でもあります。

干支は、十干と十二支を組み合わせて全部で60ありますが、この中で、(かのえ)(さる)の日、「庚申の日」というものがあります。この日の夜は、人の体に棲む蟲が寝ている間に天帝に報告をし、その内容によって罰を下す、という、道教に由来する考えです。だったら蟲が報告に行かないように起きたまま、天帝をまつる行事をしよう、というのが「庚申講」です。「お日待ち」という名の仏教行事もこれに由来するようです。

さて、どうしてこの日が性交禁忌なのか。天帝をまつる行事だからか、この夜に出来た子どもにはよいことがない、などと言われ禁忌とされた、といわれています。しかし、茗荷の例もありますから、これもどこまでが「表向き」の理由か、わかりませんねえ。
でも、5月16日は庚申ではありませんから、安心して挑んでください(?)

もっとも、庚申の日は60日に1回やってきます。毎年違う日になります。それがどうして5月16日、とされていたのでしょうか。
この日は往亡日とされ、年に12日ある陰陽道の凶日のひとつです。これらがいろいろ混ざって出来た言い伝えなのかもしれません。

禁忌や言い伝えを耳にすることは確実に少なくなっています。科学的に解明して是否を問うのは簡単かもしれませんが、そのとき、どうしてそういうことが言われていたのか、ということが面白くもあり、伝聞による知恵の伝達が少なくなった今の世の中でも、なくなってしまうとつまらないものです。