色、いろいろ。
春霞
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春霞(はるがすみ)は、春の季節に立つ霞をいいます。霧と霞は違っていて、気象的には視界が1キロ未満のものを霧、それよりも遠くを見渡せるけれど、景色がぼやけて見えるものを霞といいます。霞はカスミと読みますが、モヤとも読みます。カスミは気象観測上の用語ではありません。煙や雲がたなびいたり、霧やもやなどのため遠景がぼやけて見える状態をいいます。遠景に棚引いている薄雲は霞ですが、その中に入ると霧の状態ということもあります。しかし、霧が棚引くという言葉はなく、立ち昇るは雲ではいいますが、霞がたちのぼるとはいいません。
語源的には、微(かすか/微小なさま)、掠(かす/機敏な動作で物を盗る)むと同じです。仄めかすという意味もあります。いずれにしても、霞は遠く、微かなもの、ほのかなものです。
発生メカニズムは、気温の変化により、大気中の水分や植物の蒸散が微粒子状の水滴となり、それが可視化されることをいいますが、春になるとやってくる黄砂も含まれます。
歳時記では、霧は秋の季語とされ、春の霧は、霞に括られます。夜の霞は朧(おぼろ)といいます。朧月夜は、春の夜の、ほのかにかすんだ月をいいます。
芭蕉
蕪村
北枝
子規
柿本人麻呂
紀貫之
芭蕉の句は、人麻呂の「天の香具山」と対比したとき、俄然、光彩を放ちます。早春の大和平野を歩きながら、「もう春がやってきたんだ」と名もなき山を見ながら詠んだのですが、この句は俳諧の人、芭蕉がくっきり顔を見せていると思いました。
北枝は、蕉門十哲の一人で金沢の人です。いかにも江戸の風情が感じられていいですね。
子規の句は、秋の句「柿食えば鐘がなるなり法隆寺」に対し、春の塔を詠んだ句で、霞で山が消えうせ、塔だけが立っています。





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