旬のコラム

もうひとつのお正月 ― 1月15日、小正月。

2011年01月10日 月曜日

小正月

お正月休みも終わり、日常生活が戻ってきました。

1月1日、元日に始まるお正月は終わってしまいましたが、もうひとつ、「正月」と呼ばれる日があるのをご存じでしょうか?
1月15日、小正月です。

今回の旬ナビは、小正月と、小正月のいろいろな行事について、見てみましょう。

小正月とは

1月1日を「大正月(おおしょうがつ)」と呼ぶのに対して、1月15日を「小正月(こしょうがつ)」といいます。
(厳密には、14日の日没から15日の日没までをいいます。旧暦では、一日の始まりは太陽が沈むときで、次の日に再び太陽が沈むときまでを一日と考えていたため。)

日本の古代暦法では、月の満ち欠けによって、満月から次の満月までを1か月としていました。
昔の人は満月をめでたいものの象徴としていたようです。そのため、満月の日を月の初め(1日目)としたと考えられています。

そこへ、新月から次の新月までを1か月とする新しい暦が中国から入ってきて、公の暦として用いられるようになりました。
新しい暦では、1日を「朔」(ついたち)と書きました。この日の月は新月のため、太陽に隠れて見えません。15日には満月となり、この日を「望」(もち)と書きました。

新しい暦が入ってきても一般庶民の間では古い暦が生きていて、1月15日も望の正月として祝われてきました。
そのため、元日を「大正月」、15日を「小正月」と呼ぶようになりました。
小正月は、望の日を年始とした古い暦の名残なのです。

「小正月」の語は近畿でも稀に用いますが、東日本に多いようです。
九州では「望正月(もちしょうがつ)」・「望年(もちどし)」とも言い、信州では「若年(わかとし)」、能登では「若正月」と言い、飛騨では「二番正月」と言うそうです。

また、元日から14日まで(現在では7日まで)を、正月の松飾りがある間という意味で「松の内」というのに対して、15日から月末までを、削り花や繭玉飾り(後述)がある間という意味で「花の内」という言い方もするそうです。

小正月と大正月では行事の性質が異なります。
大正月が正式の正月になるにつれて、小正月は豊作を占ったり、悪霊祓いをしたりと、大正月とは違う特殊な行事を中心に行うようになりました。
農村の人たちは月を基準に農事をしていたことから、小正月には、各地で農耕に結びついた様々な行事が継承されています。

小正月の行事を大きく分けると、次の3つに分類できます。

  • (1)豊作祈願 ― 餅花(もちばな)、繭玉(まゆだま)、削り花、庭田植え、成木(なりき)責めなど
  • (2)吉凶占い ― 粥占い、豆占いなど
  • (3)悪霊祓い ― どんど焼き、左義長(さぎちょう)、もぐら打ち、鳥追いなど

また、正月の事始めから大正月が終わるまで忙しく働き続けた女性たちをねぎらうために、小正月を「女正月」と呼んで女性たちの骨休めの日とする地方もあります。
後に、小正月のどんど焼きの火を、年神さまを天に送り返す火と考えるようになり、これをもって正月の終わりと位置づける見方も生まれました。

それでは、小正月の行事のいくつかについて、次に見ていきたいと思います。

餅花・繭玉

餅や米の粉を団子状に小さく丸めて、ミズキ・ヌルデ・ヤナギなどの枝に花のように飾りつけ、神棚の近くの柱や応接間などに飾ります。稲の花を表しており、豊作を願って作られます。
これを綿作が盛んな地域では「餅花」、養蚕が盛んな地域では「繭玉」と呼んで、それぞれ綿の実がよくなるように、蚕がよく繭を作るようにと祈りました。

花が咲いたように美しく、色彩の乏しい正月の飾りものとしても珍重されています。
参詣みやげとして売っている神社もありますし、デパートや商店街などで正月のめでたい飾りとして用いているところもあります。

以前は紅白の色をつけた餅だけでしたが、次第に黄色や緑色などの餅もつけられるようになりました。
現在では、さらに小判やお多福などをつけた、より賑やかなものになっていく傾向にあります。

また、ヌルデ・ニワトコ・ヤナギなどの柔らかい色の白い木肌を削って玉のように丸めたり、花の形に削った「削り花」(「削掛(けずりかけ)」ともいう)や、ヌルデの木を10cmくらいに切り、皮をむいて白くしたものをアワの穂に、皮つきのものをヒエの穂に見立てた「粟穂」(あわぼ)「稗穂」(ひえぼ)を作って、アワ、ヒエが豊作になることを祈りました。
削り花の起源は、紙が容易に手に入らなかった時代に、幣(ぬさ。祈願をし、または、罪・穢れを払うため神前に供える幣帛)として用いられたことに由来するといわれています。

【参考】
▼埼玉県入間郡三芳町立歴史民俗資料館/民家のある風景 小正月 まゆ玉かざり
http://www.jade.dti.ne.jp/~miyoshir/news/mayudama.html

▼へいへいのスタジオ2010/アボヒボ(粟穂稗穂)
http://blogs.yahoo.co.jp/heihei_2010/50067204.html

▼国立昭和記念公園 こもれびの里/小正月飾り
http://www.showakinenpark.go.jp/komorebi/activity/index.php?itemid=133

▼明野ナビ!/1本の竹を集落の戸数分に割いて枝にし装飾をする、北杜市明野町の小正月行事「おやなぎさん」のキレイな「さるぼこ(猿の子)」。
http://akeno-navi.net/?p=2929
 

おやなぎさん

小豆粥、粥占い

大正月の雑煮、七日正月の七草粥と同じように、小正月には小豆粥を食べる風習があります。
小豆の赤い色が邪気を祓うとされ、小豆粥を食べると一年間、病気や災難から守られるという信仰があり、小豆粥を炊いて家族の無病息災を祈りました。
うるち米に小豆を混ぜて炊いた粥に、多くの場合「粥柱」(かゆばしら)といって、餅を入れて食べます。

また、粥の炊き上がり方によって、その年の農作物の作柄を占う重要な神事があったことも、小正月に小豆粥を食べるようになった理由のようです。

この風習は、平安前期、寛平(889~898年)の頃から始まったとされています。
『枕草子』にも小豆粥が登場します。
また、昔、黄帝と戦った蚩尤(しゆう)という悪人が戦いに敗れて、正月十五日に処刑されたので、その霊を慰めるために黄帝がこの粥を作って年中の邪気を祓った、という中国の故事が起源だといわれています。

平安時代中期に編纂された『延喜式』によれば、古くは「米・粟・黍子・薭子・葟子・胡麻子・小豆」の七種の穀類を煮たようです。
また、後世、「望(もち)粥」(望の日の粥)を「餅粥」の意に取って、餅を入れるようになったと考えられています。

【参考】
▼ねこづらどき/京都・洛北 お粥祭~下鴨神社~
http://naokun.cocolog-nifty.com/nekozura/2009/01/post-18d4.html

玄米小豆粥

玄米小豆粥

粥占い

小正月の行事「粥占い」について、参考文献より転載してご紹介します。


※『日本の年中行事百科 1 正月 民具で見る日本人の暮らしQ&A』(岩井宏實 監修、河出書房新社、1997年)より

粥占いは、地方により「筒粥(つつがゆ)」、「管粥(くだがゆ)」とも呼ばれ、普通神社で、大釜でもって粥を炊いて行われます。
細い青竹や茅の管をその土地でとれる作物の数だけ用意し、それぞれを早稲(わせ)、中稲(なかて)、晩稲(おくて)、陸稲(おかぼ。畑で栽培する稲)、大麦、小麦、アワ、ヒエ、大豆、小豆というように決めておき、管を束ねてぐつぐつ煮立った小豆粥の中に入れます。
管を引き上げてその管を割き、中に入っていた粥の量や小豆の数によって、それぞれの作物がその年、三分作(平年の三割しか収穫できない不作)になるか、七分作になるか、万作(豊作)になるか、というように占うのです。
また、粥ではなく、豆を焼いて一年間の天候や作柄を占う「豆占い」をするところもあります。


【参考】
▼恩智神社/恩智神社の神事 お粥占神事-作物の農作占い(1月15日早朝)ほか
http://www.onji.or.jp/03/0303-main.html

庭田植え

東北地方などでは小正月を中心に、田植えをはじめ稲作りの作業の仕草をまねて、稲の豊作を祈る行事が行われます。これを「庭田植え」、「皐月祝い」といいます。

一家の主人や年男が庭の雪にもみ殻をまき、庭の雪に畝をこしらえて松葉や切り藁などを早苗に見立てて挿す、田植えの動作をします。
神社でも「御田祭り」、「田遊び」などの名で、神事として行うところがたくさんあります。

また、村の若者などが歌を歌い、踊りを踊りながら家々を訪問する「田植え踊り」の風習もありました。(残念ながら、現在では廃絶してしまっているものも多いようです。)
豊作祈念の芸能で、一年の農業がこうなってほしいという願いを踊りに表し、弥十郎・藤九郎などと呼ばれる音頭取りが先頭に立って、早乙女や囃子方などの集団が家々を回り、祝い言葉に合わせてさまざまな踊りを演じました。青森県に伝わる「えんぶり」もその一つです。

【参考】
▼山形ふるさと塾アーカイブス/雪中田植(小正月行事)
http://www.yamagata-furusatojuku.jp/cgi-bin/dogasite.cgi?mode=do_page&kdata1_do=10803190054536981&kdata1=26

▼いわての文化情報大事典/伝統文化 郷土芸能 田植踊り
http://www.bunka.pref.iwate.jp/dentou/kyodo/taue.html

どんど焼き、左義長


どんど焼きは、小正月に行われる火祭りの行事です。
氏神様の神社の境内や、刈り取った後の田んぼなどで大きな焚き火をして、前年の煤払いで下げたお札、大正月に飾った注連飾りや門松、書き初めなどを持ち寄って燃やします。
「どんどん焼き」「とんど焼き」「どんと焼き」ともいわれます。火が勢いよく燃える様子から、この名がつきました。

この火にあたると若返るとか、この火で焼いた餅や団子を食べると一年間無病息災で過ごせるとか、どんどの燃えさしの木切れを家のまわりに刺しておくと虫除けになるとか、天井に燃えさしをつるしておくと火事にならないとか、どんどで焼いた書き初めが高く舞い上がると習字の腕が上がるなど、各地にさまざまな言い伝えがあります。

また、どんどの火や煙に乗って、年神さまが天へ帰っていくともいわれてきました。
この行事は、現在では15日に行われることが多いのですが、昔は、大正月の始まりを大晦日の日没からとしていたのと同様に、14日の日没から火を焚き始めました。

どんど焼きは、「左義長」とも呼ばれています。
左義長の由来は平安時代まで遡り、宮中の清涼殿の東庭で行われていたといわれます。
古くは「三毬杖」(さぎちょう)とも書きました。青竹を束ねて立てて、「毬杖」(ぎちょう)という毬(まり)を打つ長柄の鎚3本を結び、その上に扇や短冊を置き、陰陽師が謡いはやしながら火を燃やしてそれを焼く、悪魔を祓う儀式でした。

それが、次第に民間に広がっていきました。
そして、一年の初めに穢れを祓い、無病息災、五穀豊穣を祈る行事となりました。

どんど焼き、左義長のような行事は全国的にあって、地方によって「道祖神祭り」、「三九郎焼き」、「鬼火」、「オンベ焼き」、「セイト払い」、「サイト焼き」など、さまざまな呼び名があります。
神奈川県大磯の左義長、仙台市大崎八幡神社の「仙台どんと祭り」はよく知られています。

サイトと呼ばれているものは、長野県・山梨県・静岡県・新潟県などに多く、村の道祖神のお祭りと結びついている行事です。道祖神は「塞の神」とも呼ばれ、サイトは道祖神を祭った場所の意味です。
道祖神はもともと村境を守り、村に疫病や悪霊が入るのを防ぐ神として祭られましたが、男女の駆け落ちを手助けする縁結びの神、また子どもの神としても知られるようになりました。人間味あふれる神様として人々に親しまれ、道祖神がある辺りは子どもたちの恰好の遊び場でもあったため、道祖神のお祭りは子どもが中心となって行われることが多いようです。
村境などにある道祖神の像のそばに竹柱を立てて正月小屋(どんど小屋、セイト小屋)を作り、子どもたちが中で食事をしたり火祭りの準備をします。その後、祭りの当日には小屋に火を放ち、正月飾りや注連縄、書き初めなどともに燃やし、火祭りを行います。

【参考】
▼大磯町観光協会/2010年 左義長
http://27.pro.tok2.com/~oisokankou/10sagi-rep.htm

▼野沢温泉観光協会/野沢温泉の道祖神祭り
http://nozawakanko.jp/spot/dousozin.php
 

▼メイドイン糸魚川/市内各地で小正月行事
http://www.made-in-itoigawa.com/news/topix/sainokami.html

その他の小正月の行事

その他の小正月の行事として、成木責め、鳥追い、モグラ打ちなどが挙げられます。

【参考】
▼山形ふるさと塾アーカイブス/成木責(なりきせ)め(小正月行事)
http://www.yamagata-furusatojuku.jp/cgi-bin/dogasite.cgi?mode=do_page&kdata1_do=10803190054556988&kdata1=26

秋田県男鹿半島に伝わる有名な「ナマハゲ」も、もともとは1月15日の小正月の行事でした。現在では大晦日に行われています。

東北地方では前述の正月小屋を、木や藁ではなく、雪で、陶器を焼く窯に似た洞の形に作りました。そしてそれを「カマクラ(窯倉)」と呼びます。秋田県横手地方のものが有名です。左義長やどんど焼きは火祭りですが、カマクラでは水の神様を祭るそうです。

また、1月15日を「成人の日」(平成10年からは1月の第2月曜日に変更)と定めたのは、武士の時代に、元服の儀式を小正月に行っていたことに由来するそうです。


以上、小正月、そして小正月の行事について見てきました。
正月休みは終わってしまいましたが、1月15日の、もうひとつのお正月についても、ちょっと思いを巡らせてみませんか。

なまはげ・かまくら

初詣に行ったら、「どんど焼き祭り」の準備がされていました。

このお正月、記者は神社へ初詣に行きました。
その神社で、思いがけず「どんど焼き祭り」の準備がされていましたので、レポートします。

初詣に行ったのは、静岡県周智郡森町にある「小国神社」。かつての遠州国の一宮です。
入口の鳥居には「謹賀新年」の横断幕が掲げられています。少し神妙な気持ちで、鳥居をくぐります。

小国神社

この日は、遅ればせながらの1月5日、時間も午後遅めの時間だったのですが、たくさんの人で賑わっていました。参道の両側にもいろいろなお店が出ていて、以前にお参りしたときの静かな境内とは別の場所のように感じられました。

そんな参道を進んでいると、意外な光景が目に飛び込んできました。

どんど焼き祭り

「…!」
「どんど焼き祭り」の立て看板と、山のように積まれた、お札・破魔矢・絵馬などなど。
記者はこの神社に初詣に来るのは初めてで、それまでに行った初詣では、こういった光景を見ることはなかったので、予想外で、びっくりしました。

それにしてもすごい量ですね…。このような山が2つ。
時代の趨勢で、次のような看板も立てられており、2つの「おさめ所」が設けられていたのです。

おさめ所

先ほどの<ビニール製の「おふだ」 おさめ所>の隣に、<ビニール製以外の「おふだ」等(紙・木) 破魔矢・熊手 等 おさめ所>がありました。

おさめ所

しかし、残念ながら、2つの大きな山、分別されているようには全く見えません…。

立て看板には“尚、「おふだ」を入れてお持ちになった「ビニール袋」はお持ち帰りくださいますようお願い致します。”とも書かれていますが、この点についても同様で、たくさんのビニール袋が残されています。
ちょっと考えさせられました…。

では、おさめ所の様子を、もう少し近づいて見てみましょう。

おさめ所の様子

熊手やだるまも。

熊手やだるま

中にはこんなものも。

中にはこんなものも

ここにもだるまがいました。

ここにもだるま

ここにもだるま

さらには、こんなに大きなだるまの後姿も発見しました!びっくり。

こんなに大きなだるまの後姿

安産のお守りも。
他の神社やお寺のものを持ってきてもいいんですね。

安産のお守りも

それにしても、すごい量です。

それにしても、すごい量

さらに境内を進むと、たくさんの薪が積み上げられていました。
きっと、どんど焼きのときに使うものでしょう。

たくさんの薪

どんど焼き祭りは「1月16日(日)午前9時齋行、家内安全・無病息災・厄難除のおはたき餅 初穂料 1個 100円」とのこと。 

どんど焼き祭り

今年は残念ながら行けないのですが、いつかどんど焼きを見てみたいなあと思いました。
それにしても本当に多くの方が、毎年、お札やお守り、破魔矢、熊手、だるまといったものを購入して、身近に置いているんですね。
初詣に行くこともそうですし、そういったことを信じたり行ったりする気持ちは、今でも脈々と人々の間に受け継がれているんだなあと、改めて実感しました。

【参考】
▼遠州國一宮 小國神社/祭典・行事
http://www.okunijinja.or.jp/event/index.html
 

1月にはどんど焼きの他、「田遊祭」「田遊神事」(1月3日)も行われます。

関連記事
▼旬ナビ ハレの日の旬・ケの日の旬:大晦日と蕎麦
http://www.bionet.jp/2010/12/soba/
 

▼旬ナビ 旬のコラム:田植えと御田植神事(「田植えは日本の芸能のルーツ」の段落)
http://www.bionet.jp/2010/06/taue/
 

なまはげ・かまくらイラスト:木下俊司 『住まいを予防医学する本』より

参考文献
・日本の年中行事百科 1 正月 民具で見る日本人の暮らしQ&A(岩井宏實 監修、河出書房新社、1997年) 
・子どもに伝えたい年中行事・記念日(萌文書林編集部 編、萌文書林、2005年)
・和ごよみと四季の暮らし 写真でつづる「やさしい」暮らし歳時記(新谷尚紀 監修、日本文芸社、2006年)
・和のしきたり 日本の暦と年中行事(新谷尚紀 監修、日本文芸社、2007年)
・日本大歳時記(座右版)(水原秋櫻子ほか 監修、講談社 編、講談社、1983年)
・なごみ歳時記(三浦康子 監修、永岡書店、2006年)

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