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サメと心を通わせた男の海 フィジー
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どこまでも青いママヌザ諸島の海
30番目の英連邦として
南太平洋の島々のことは、たとえばアフリカの国々がひとくくりに「アフリカ」とされるように、漠然とした「楽園」のイメージのもと、意外に知られていません。フィジーもそのひとつでしょう。
タヒチやニューカレドニアがフランス領であることから、同じくフランス領と勘違いされることが多いのですが、フィジーの旧宗主国はイギリス。1970年に独立して、30番目の英連邦の国となりました。
330余りの島々からなる群島国家。最も大きな島は、ビチレブ島で、ここに首都のスバと、国際空港のあるナンディがあります。
国際空港がナンディにある理由
国際空港が首都にないのは、島の気候が理由と聞きました。たとえばハワイの島々がそうであるように、南の国の火山島は、中央にそびえる山を挟んで、島の東西で雨の多い気候と少ない気候に分かれる例が少なくありません。フィジーのビチレブ島もまさにそう。スバは雨の多い場所で、ナンディは雨の少ない場所なのです。
とは言っても、もちろん今は、スバにも空港はあります。なぜナンディが、ことさらに空港として整備されたのか。その本当の理由は、太平洋戦争にありました。
太平洋戦争では、多くの島々が戦場となりましたが、フィジーは、犠牲となることを免れました。しかし、全く戦争と無関係でもなかったのです。真珠湾攻撃以降、米軍の補給基地として建設された空港、それがナンディでした。軍事上必要とされた空港であれば、なるべく気象条件のいい場所が選ばれたのも納得がいきます。
最初のリゾート、フィジアンの誕生

フィジー最初のリゾートは、いまも「シャングリ・ラ・フィジアン・リゾート&スパ」として人々に愛されている。
戦後、補給基地として整備されたナンディの空港は、太平洋の交通の要衝となります。美しい海とビーチ、観光地としての可能性に最も早く気づいたのが、航空関係の仕事に携わる男たちでした。
ナンディ国際空港のジェット機用滑走路の建設のために赴任したエンジニアのパティ・ドイル、当時、航空業界の巨人だったパンナムのケータリング部門で働くピーター・スリマー、同じくパンナムのパイロットだったジョージ・ウィルソン。三人の男たちは、フィジーを「オーストラリア人のハワイ」にする夢を見ます。同じように太平洋戦争の軍事拠点であった本家のハワイも、戦後、観光産業が飛躍しつつありました。
国際空港の首都のあるビチレブ島の南部に続くコーラルコーストの入り口にあるヤヌザ島。一九六七年、男たちの夢は実現します。フィジーで最初の本格的リゾートホテル、フィジアンの誕生でした。
マナ島の伝説と聖域

ママヌザ諸島の島々をつなぐサウスシークルーズの船。
コーラルコーストの海も美しいですが、ビチレブ島を離れ、離島まで足を伸ばすと、海の青さは、一段と鮮やかさを増します。特に晴天の多いナンディの沖に続くママヌザ諸島には、サンゴ礁のリーフに囲まれた、素晴らしい海があります。
そのママヌザ諸島で伝説の島として語り伝えられる美しい島、マナ島があります。
「マナ」とは、フィジー語やハワイ語など、太平洋の言葉では、「超自然の力」を意味します。
島の名前が象徴するように、マナには古くから伝説がありました。
デゲイと呼ばれる海の神が、宝箱とそれを守る二人の勇者と共にカヌーで旅をしていました。ところが、嵐に遭遇して、宝箱を海に落としてしまいます。二人の勇者は命じられて、宝物を探します。マナ島でそれを見つけたとき、二人に立ちはだかったのは、ひし形の頭をした海蛇、マナ島の守り神であるマナマナエンディナでした。海蛇の神は、マナ島に持ち込まれたものは持ち出すことはならないと言い、宝箱を守るため島にとどまるように言います。海の神デゲイの怒りを恐れた二人は、その提言に従いました。
二人が島に残った証として、二つの石塚が積み上げられました。その石塚は、いまも島の「聖域」とされる場所に残されています。
マナ島に魅せられた日本人

マナアイランド・リゾートにはこんなお洒落なスパもある。

アピの思いを受け継ぎ、マナ島に暮らすヨシさん
伝説の島、マナ島にリゾートが建設されたのは1972年のこと。当初のオーナーはオーストラリア人でしたが、三年後、日本の企業が買収します。1990年、那須を本拠地とする現在のオーナーが、島の美しさに一目惚れして取得。以来、マナ島は、フィジーで唯一の日本人経営のリゾートとして現在に至っています。
島のダイビングショップを経営するのも、脚ノ好美さんという日本人です。マナの海をこよなく愛するヨシさんは、リゾートを訪れる人たちに海の話をして、気づかないうちにサンゴ礁を踏みつけたり、必要以上にサメを怖がったりしないよう、啓蒙活動をしています。
ヨシさんがいまマナにいる理由、そしてこうした活動をしている原点、それが、伝説のダイバーと呼ばれた男、アピの存在でした。
伝説のダイバー、アピとサメ

「プランテーション・ピナクル」にて。サンゴ礁の海に固有種のクマノミが泳ぐ。

新種として認定されたクマノミ。
マナ島の近くに「スーパーマーケット」というダイビングスポットがあります。文字通り、スーパーマーケットのようにあらゆる種類の魚が見られることから命名されました。もちろん、サメだって出没します。そのサメたちと心を通じ合わせることが出来た不思議な人、それがアピでした。
ヨシさんがマナ島にやって来たのも、オーストラリアで働いていた頃、アピの噂を聞いたからでした。アピのやっていたことは、いわゆる「サメの餌付け(シャーク・フィーデング)」と位置づけられていましたが、実際は、自分が食べるために獲った魚をサメに分けてやっていたのでした。海中に何十匹と集まってくるサメと、まるで遊んでいるようにたわむれるアピ。それは明らかに「餌付け」とは違ったとヨシさんは言います。

「スーパーマーケット」に出没したサメ
アピの思いを受け継いで
アピは、自然と一体化することが出来る、類まれな力をもった人だったのです。しかし、2000年9月、突然の心臓発作でこの世を去ります。享年50。若すぎる死でした。晩年、無理をしていたというアピについて、ヨシさんは「アピはアピでいてくれたら、それだけでよかったのに」と語ります。アピを失い、ヨシさんは深い喪失感の中にいました。
アピの死後も、スーパーマーケットでサメに餌をやることを続けていましたが、やがてアピでなければ意味がない、ただの「餌付けショー」になると気づいて止めることにしました。そのかわり、アピの愛したマナの海を知ってもらうことに力を注ぐことにしたのです。フィジーの魚類図鑑を作ったのも活動の一環でした。最近、フィジー固有のクマノミの新種の発見がありましたが、これも成果のひとつといえるでしょう。
アピのお墓のある島

伝説のダイバー、アピが眠る島。
今回、私がフィジーを訪れたのは、ちょうど9月。期せずして、アピの命日月でした。
アピの死から10年。アピと10歳違いだったヨシさんは、いつしかアピと同じ年齢になりました。アピに憧れてフィジーにやって来たヨシさんは、いまダイビングサービスの経営を受け継いで、この島と共に暮らしています。
アピはマナ島に隣接する生まれ故郷の島に葬られています。マナ島のサンセットビーチからは、アピのお墓のある島が目の前に見えました。
1962年神奈川県箱根町生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒業。海外旅行とホテルの業界誌紙のフリーランス記者を経て作家活動に入る。旅とホテルをテーマにノンフィクション、小説、紀行、エッセイ、評論など幅広い分野で執筆している。日本旅行作家協会会員。日本エコツーリズム協会会員。
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