びおの珠玉記事

146

もうすぐです、中秋の名月。

※リニューアルする前の住まいマガジンびおから珠玉記事を再掲載しました。
(2010年09月13日の過去記事より再掲載)

月夜

まだまだ暑い日が続いていますが、9月に入り、朝晩の空気や虫の声に、少しずつ秋の訪れを感じられるようになってきました。

春の「花」に対して、秋は「月」。
月は、秋を代表する季題として、古来、和歌や俳句にさまざまに歌われ、詠まれてきました。
単に「月」といえば、秋の月をさす、というほどです。

その秋の月の中でも、特別な月があります。
旧暦8月15日の夜、十五夜の「中秋の名月」です。
この夜の月は最も明るく美しいとされ、昔から、この夜に月見をする風習が盛んです。

今年2010年の中秋の名月は9月22日(水)。
もうすぐです。(※2023年の中秋の名月は9月29日(金)です)
改めて、中秋の名月のあれこれについて、見てみたいと思います。

なぜ秋の月なのか?

満月
月は1年中出ています。
それなのに、この時期の月が最も尊ばれたのは、何故なのでしょうか。

秋になると、夜が長くなってきます。
つまり、月に親しむ時間が増えてくる季節ということになります。
(ちなみに、旧暦9月のことを「長月」といいますが、この語源には諸説あるものの、夜がだんだん長くなる「夜長月(よながつき)」の略とする説が有力のようです。)

地球から見て、太陽が地球の周りを一年かけて一周して描く軌道を「黄道(こうどう)」といいます。
また、月が描く軌道を「白道(はくどう)」といいます。白道は、黄道に対して約5度9分傾いています。

9月から10月にかけての白道は地平線との角度が低く、風景の中で月が大きく見え、また地平線に沿うようにゆっくりと空に昇っていきます。
そして、最もその角度が低いのは、満月の頃です。
そのため、私たちは昇っていく満月をゆっくりと眺めることができます。

さらに、秋になると空気が澄み、月がはっきりと見えてきます。

こうしたことから、1年中で月が最も美しいとされたのではないでしょうか。

また、後で触れますが、十五夜には収穫祭の意味合いもありました。
この時期が収穫の時期であったことも、関係しているものと思われます。

月見の源流(1):満ち欠けする月を眺めて物思いに耽る日本人の感性と、中国から伝わった観月の風習

中国では唐の時代から、ウリや果物を月に供え、ケイトウの花を飾り、月餅(げっぺい)(干し柿・クルミなどを入れた餡を小麦粉の生地で包み丸く平たい形にして焼いたもの)を特別にこの日のために作って食べながら、中秋の名月を観賞する風習が盛んでした。

中秋の名月を観賞する風習は中国から日本へ伝わったものですが、日本でも、満ち欠けする月を眺めて物思いに耽る風潮は古くからありました。

現存するわが国最古の歌集『万葉集』には、月を詠んだ歌が多くありますが、そのうちの3首をご紹介します。
ここに既に月を観賞する態度が現れている、といわれます。

去年(こぞ)見てし秋の月夜(つくよ)は照らせれど 相見し妹はいや年さかる
柿本人麻呂(巻二、二一四)

月夜(つくよ)よし川音(かはと)さやけしいざここに 行くも行かぬも遊びて行かむ
大伴四綱(巻四、五七一)

振りさけて若月(みかづき)見れば一目見し 人の眉引(まよびき)思ほゆるかも
大伴家持(巻六、九九四)

平安時代には貴族の間で、月を題材として歌を詠んだり、観月の宴を開いて詩歌管弦の遊びをすることが盛んになっていました。

『古今和歌集』(延喜5(905)年に成立)には、秋の月を賞し、月に物思う心を寄せる歌が既に現れているとされます。2首ご紹介します。

木の間よりもりくる月のかげ見れば 心づくしの秋は来にけり
よみ人しらず(一八四)

月みれば千々にものこそかなしけれ わが身ひとつの秋にはあらねど
大江千里(一九三)

中国には「満ちる」こと、つまり満月が最も美しいと感じる感性があります。
日本でも同様ではあるのですが、しかし、日本人が興味を示した月は、必ずしも満月だけではありませんでした。満月の前や後の欠けた月にも、魅力を感じ取ったのです。

そうした日本独特の感性は、新月から満月に至るまで、日々形が変わる月に、さまざまな呼び名を付けることへとつながっていきました。
主なものを次に挙げます。

こうしたさまざまな月を表す美しい言葉は、歌や詩、小説などに多く使われてきました。

●月の呼び名

月齢 月の形 呼び名
0 新月/朔(さく) 新月/朔(さく)
3 三日月(みかづき)/眉月(まゆづき) 三日月(みかづき)/眉月(まゆづき)
7.5 上弦(じょうげん)/上の弓張り 上弦(じょうげん)/上の弓張り
13 十三夜月(じゅうさんやづき) 十三夜月(じゅうさんやづき)
14 待宵月(まつよい)/小望月(こもちづき)/十四日月 待宵月(まつよい)/小望月(こもちづき)/
十四日月
15 十五夜/満月/望月 十五夜/満月/望月
16 十六夜月(いざよいづき) 十六夜月(いざよいづき)
17 立待月(たちまちづき)/十七日月 立待月(たちまちづき)/十七日月
18 居待月(いまちづき)/十八日月 居待月(いまちづき)/十八日月
19 寝待月(ねまちづき)/臥待月(ふしまちづき)/十九日月 寝待月(ねまちづき)/
臥待月(ふしまちづき)/十九日月
20 更待月(ふけまちづき)/二十日月 更待月(ふけまちづき)/二十日月
22.5 下弦(かげん)の月/下の弓張り 下弦(かげん)の月/下の弓張り
26 二十六夜待月 二十六夜待月

月齢は、月の満ち欠けを表す日数です。
新月を「0」として、満月は「15」になります。

旧暦では、月の満ち欠けによって日付を決めていました。
新月から新月を1か月とし、1か月は29日か30日で数えられました。
新月の日を「1日」、満月になる頃を「15日」、それからまた月が欠けていって、次の新月を翌月の「1日」としました。

伝統的に旧暦の15日の月は「十五夜の月」と呼ばれ、満月として扱われてきました。
しかし、現代の定義での満月(太陽と月の黄経差が180度である状態)が、必ずしもこの日になるとは限りません。
むしろ十五夜が満月でないことの方が若干ですが多く、1〜2日ずれることがかなりあるそうです。
これは、月と地球の公転軌道の関係で、新月から満月までの日数が15日とは限らないために起こります。

今年2010年は、旧暦8月15日の中秋の名月より1日遅れて、9月23日が満月になります。

ただ、実際の満月から1〜2日程度ずれていたとしても、肉眼で見て「欠けている」とすぐにわかるほどの違いはありません。
中秋の名月は、たとえ実際の満月と異なる日であっても、やはり旧暦8月15日に行うのが相応しいですね。

「月々に 月見る月は 多けれど 月見る月は この月の月」

さて、上の表に戻ります。

十五夜の次の夜の月は「十六夜月(いざよいづき)」。
月の出が十五夜よりやや遅くなるのを、”月がためらっている”として付けられた呼び名だそうです。(「いざよう」から)

その次の夜は「立待月」。そして、「居待月」→「臥待月」(「寝待月」)→「更待月」と続きます。

満月を過ぎると、毎夜、次第に月の出る時間が遅くなっていきます。
「立って待っている間に出る月」→「座って待つうちに出る月」→「月の出るのが遅いので寝て待つ」→ついに夜更けに! という意味の呼び名です。
おもしろいですね。

さて、その後、鎌倉時代から江戸時代にかけても、宮中では月見の宴が催されていました。

こうしたことから、『源氏物語』に出てくる須磨、明石をはじめ、住吉、難波、信濃の姥捨山、近江石山寺など、歌や俳句によく詠まれる月の名所が生まれました。

江戸時代になると、江戸のような都市部では次第に行楽的な意味合いが強くなっていきました。
舟を出したり、小高い丘や海岸のいわゆる月見の名所に集まり、月見を楽しむようになりました。

月見の源流(2):農耕儀礼

さて一方で、庶民の間では、中秋の名月は月に秋の収穫物を供えて五穀豊穣を祝い、実りに感謝する祭りとして発達しました。

8月15日は名月を観賞するだけでなく、別の重要な意味を持つ日でもあったのです。
観月の風習が中国よりもたらされる前から、日本人はこの日の月を大切にしていました。

古来より、日本人は月の満ち欠けによって月日を知り、農作業を進めたり、祭事を行ったりしてきました。月は生活に深く関わっていたのです。
満月の夜は特に重要で、祭りをする大切な節目の日でした。

そしてその中でも、陰暦8月の満月の日は、これから始まる収穫期を前にして収穫を感謝する「初穂祭」としての意味合いがありました。
この日には、縁側や屋外に設えた台の上に、ススキの穂や、昔は芋の葉にのせて団子や柿、栗、里芋、枝豆などを供えました。

里芋と栗

里芋の葉に、里芋と栗を載せてみました。 こんなイメージでお願いします。


ススキはイネ科の多年草ですが、ススキという言葉はまた、稲積(田んぼにワラを積み重ねたもの)、祭りの山車などのことで、いずれも神を祭るという意味が込められているそうです。
十五夜に飾るススキは、稲穂の代わりと考えられていました。

また、十五夜に供えるもので最も大切なものは里芋だとされ、収穫したばかりの芋をお供えしました。旧暦8月は里芋が収穫される時期だったのです。
このことから、中秋の名月は「芋名月」とも呼ばれます。
里芋や山芋は、日本人が米を食べるようになる前は、重要な主食でした。このことから、十五夜は、もともとは芋の収穫祭であり、畑作の儀礼であったとも考えられます。

こうした農耕儀礼に、観月の風習が融合して、現在の「月見」となりました。

現在でも、日本各地にみられる月見の風習は、収穫を祝う農耕儀礼の性格を強く持っています。

十五夜のお供えもの

さて、十五夜には、いろいろなお供えをします。
それぞれについて見てみましょう。

● 団子
全国的に、団子をお供えするところが多いです。

<団子の形>

十五夜のお供え団子

一般的な丸い団子。ちょっと数が多いですが…


一般的には、満月にちなんだ、白く丸い団子が多いです。
その他にも、地方によっていろいろな形があります。

関西地方では里芋の形をした団子が多く、京都ではその里芋の形に、雲に見立てた餡を巻きます。
里芋の形をした白、桃色、黒の三色団子
名古屋では、里芋の形をした白、桃色、黒の三色団子です。

静岡県中西部から愛知県東部の辺りの団子は、平たく、へそのように真ん中がくぼんでいることから「へそだんご」「へそもち」と呼ばれます。
(記者は静岡県浜松市の出身ですが、実はこれまで知りませんでした。)

へそだんごの由来として、徳川家康が今川氏の人質として過ごした幼少時代、食が細かった竹千代に何とかして食べてもらいたい、元気になってもらいたいと、付き人がもちに「へそ」を作り、そこに甘い餡をのせて食べやすくさせたのが初め、とする一説があるそうです。

その土地それぞれの月見団子があるのですね。おもしろいです。
他にもあるかもしれません。ぜひ教えてください。

< 団子の数>

供える団子の数には、
・十五夜にちなんで、15個。
・その年の月数=その年に出る満月の数=12個。(閏年は13個)
など、諸説あるようです。

一般的には15個とすることが多いようです。
15個の団子の重ね方は、まず下の段に9個、その上に4個、一番上に正面に向かって縦に2個並べる、とされています。

●ススキ、秋の草花
ススキ
ススキは、月の神さまの依代(神霊が現れるときに宿るところ)である稲穂の代わりと考えられ、飾られました。
本来なら、新穀(その年に収穫された穀物。特に新米をいう)を供えたいのですが、十五夜の頃には稲穂はまだ十分に実っていないため、形が稲穂に似たススキが選ばれたと考えられています。

ススキは、月見の後も捨てずに軒先に吊るします。
鋭い切り口に魔除けの力があり、一年間病気をしない、といわれました。

また、ススキの他に、秋の七草( 萩・薄(尾花)・葛・撫子・女郎花・藤袴・桔梗)などを飾ります。

ただ、無理に七草を集めるのではなく、その土地土地で身近に咲いている野の花を心を込めてお供えするのが、本来の「供物」なのではないでしょうか。

●里芋

先にも触れましたが、十五夜に供えるもので最も大切なものは里芋だとされます。
秋の初ものである里芋は、十五夜には欠かせないお供えものです。

関東では皮をむかないでそのまま蒸すかゆでて「衣被(きぬかつぎ)」に、関西では煮っころがしや味噌煮にして供えます。
衣被は、お月見の頃に出回る小芋で作ります。

「衣被」は、里芋の皮をするりとむくと白肌があらわれることから、高貴な家の女性が被る布に似ているとされ、名づけられたのだとか。
里芋

これらのお供えものは、お月さまから見て左側に、人工のものより上位とされる自然界のもの(芋類や季節の味覚など)を、そして右側に団子を配するのだそうです。
(昔、左大臣が右大臣より偉かったように、日本では「左」が上位でした。)

十三夜、後の月

さて、旧暦8月15日の十五夜、中秋の名月のほかに、約1か月後の旧暦9月13日の月も「十三夜」といって、月見をする習慣があります。
中秋の名月に対して、「(のち)の月」、「後の名月」とも呼びます。
十三夜は、十五夜の次に月が美しい日とされます。

また、十五夜を「芋名月」と言うのに対して、「豆名月」とか「栗名月」とも言います。
十五夜と同じように団子(十三夜には13個)や果物などを供えますが、この頃にちょうど収穫期を迎える大豆と栗がお供えものの主役になります。

十五夜だけに月見をして、十三夜に月見をしないことを「片月見(かたつきみ)」「片見月(かたみづき)」といい、縁起がよくないとされ、嫌われました。
江戸では、十五夜に、よその家に観月の宴に招かれたあと泊まったりすると、十三夜にも泊まらなければならないとされていました。

中国から十五夜の風習が入ってくるよりも前から、日本には十三夜の風習がありました。

中国には十三夜の風習はありません。
文芸評論家の山本健吉さんは、「仲秋以後、晩秋にもう一度、満月でなく少し欠けた月を賞するところに、如何にも日本人らしい選択があり、言わば、「花はさかりに、月はくまなきをのみ賞するものかは」(『徒然草』)といった気持がうかがわれる」と書いています。(『日本大歳時記』講談社、1983年)

今年2010年の十三夜、後の月は10月20日(水)です。
この日にも、お月見をしてみませんか。

中秋の名月にまつわる各地の行事

現在でも、全国各地で、中秋の名月にまつわるさまざまな行事が行なわれています。
そのいくつかをご紹介します。

●観月の夕べ(京都府京都市 大覚寺/旧暦8月15日)(2010年9月22日〜24日)

< 大覚寺のサイト(下記)より抜粋>
旧暦の8月15日、大沢池を中心に「観月の夕べ」が催されます。
「観月の夕べ」は9世紀初め嵯峨天皇が大沢池に船を浮かべて文化人と共に遊ばれたことが始まりだと言われています。
期間中は古式にのっとり大陸風の龍頭舟、鷁首舟を浮かべ、お茶席が設けられ、琴を奏で、平安の王朝絵巻さながらに優雅なひとときが繰り広げられます。
期間中毎日、満月法会が行われます。月を望む場所に祭壇を設け、お団子や、芋、豆などの野菜、お茶、お花を供え一山の僧侶が出仕して「月天」を招じ、農作物の豊作と人々の幸せを祈願します。

●采女(うねめ)祭り(奈良県奈良市 采女神社/旧暦8月15日)(2010年9月22日)

采女神社は、猿沢池のほとりにある春日大社の末社。入口の鳥居に対し、社が後ろ向きに建っています。
「奈良時代に帝に仕えていた采女(後宮で帝の給仕をする女官の職名)が、帝のご寵愛が衰えたのを嘆いて猿沢池の池畔の柳に衣を掛け、入水したので、その霊を慰めるために社を建てた。しかし、采女は我が身を投じた池を見るにしのびないと一夜のうちに社を後ろ向きにした。」という伝説が残っているそうです。
中秋の名月の日、采女の霊を祀るために、采女祭りが行われます。
猿沢池に龍と鳳凰の形をした2艘の船が浮かべられ、稚児や十二単衣の花扇使が乗船して池を回ります。

●観月讃仏会(かんげつさんぶつえ)(奈良県奈良市 唐招提寺/旧暦8月15日)(2010年9月22日)

鑑真和上を奉安する御影堂の庭園が特別に開放され、和上と共に中秋の名月をめでる法要が行われます。

●そらよい(鹿児島県知覧町/旧暦8月15日)

石臼の上に、竹で編んだ農具の「()」を置き、その中にススキや里芋、薩摩芋、栗などのお供えものをのせて、月がのぼるのを待ちます。

満月が夜空の真ん中に輝く頃、「そらよい」の行事が始まります。
少年たちは稲のワラで編んだ笠(三角帽子)をかぶり、腰には(みの)をつけ、全身をワラで覆い、大地を力いっぱい踏みしめます。
そして地面を指さして「そらよい、そらよい」と叫び、農作物の恵みを与えてくれた喜びを満月に伝えます。
その後、子どもたちは月光の下で相撲をとり、元気な姿を月に見てもらいます。
< 『学習に役立つわたしたちの年中行事 9月』(芳賀日出男著、クレオ、2006年)より>

●十五夜の「ぼうじぼう」(ぼうじぼ打ち)(栃木県那須塩原市/旧暦8月15日)

お月見の夜に、子どもたちは里芋の茎をワラで包み、縄を巻き上げたワラ鉄砲をつくり『十五夜のワラ鉄砲、大麦あたれ、小麦あたれ、三角畑のそばあたれ』などと大声で叫びながら、地面を力いっぱい打ち、豊作を願い、各戸を巡ります。
ところによっては十三夜に、また、県南では十日夜に実施したそうです。

●与板十五夜まつり(新潟県長岡市(旧 与板町)/9月中旬)

3台の屋台が100人もの引き手によって、都野神社に奉納されます。
町中を移動し、都野神社 屋台坂に差し掛かると、お囃子は激しさを増し力強い掛け声とともに坂を登ります。
「登り屋台」の歴史は古く、宝暦7年(1757)頃、当時の商人が屋台を3台造り、今に伝わります。

古くは十五夜に行われていましたが、2004年から敬老の日の前の週末の土曜・日曜の夜の開催に変更されたそうです。

こうしてみると、月見に2つの源流があることが、よく分かるように思います。

その他にも、全国各地で、さまざまな中秋の名月に関する行事、イベント等が行われることでしょう。
そういったものに出かけてみるのも、また一興です。

月見・月にまつわる名所

また、月見・月にまつわる名所をいくつかご紹介します。

●桂離宮(京都市)

桂離宮は、17世紀のはじめ〜中頃、八条宮初代智仁親王と二代智忠親王によって、別荘として造られました。日本庭園として最高の名園だと言われています。

桂離宮には、書院の座敷から庭へ張り出した「月見台」があります。
月を見るためにその角度や形が決められ、設置されたもので、旧暦8月15日、中秋の名月の夜、この月見台の正面に月が見えるそうです。

桂離宮にはその他にも、「月波楼」という茶室や、「浮月」という名の手水鉢、月見窓や月見橋など、「月」という字のついたものがたくさんあります。

●慈照寺(銀閣寺)(京都市)

銀閣寺は、室町幕府8代将軍の足利義政によって創建されました。

銀閣の二層は禅宗の仏殿とし、観音像を祀りました。
観音像は南向きに安置されることが多いのですが、月を愛した義政は、月の出る東を正面にしたのだそうです。

また、江戸時代の大改修の際、庭に「向月台(こうげつだい)」という砂盛りと、砂を波形に盛り上げた、月の光を反射するための「銀沙灘(ぎんしゃだん)」が造られました。
向月台は湖に浮かぶ月を象徴しており、銀沙灘は大小の波がさざめく湖を表したといわれます。

向月台

向月台

銀沙灘

銀沙灘


月の光は盛砂の中にある石英を照らし、光は反射して銀閣を浮かび上がらせると言われているそうです。

●石山寺(滋賀県大津市)

「石山の秋月(しゅうげつ)」は「近江八景」に選ばれています。
(「近江八景」は琵琶湖南湖の景勝地を、室町時代の僧たちが、中国洞庭湖の「瀟湘八景」にちなんで選んだとされます。)

歌川広重 『近江八景』『石山秋月』

歌川広重 『近江八景』『石山秋月』


石山寺には「月見亭」があります。
後白河上皇の行幸に際して建てられたといい、その後再建や修理を経て現在に至っているそうです。
月見亭は瀬田川を見下ろす高台にあり、その眺めは格別なのだそうです。

紫式部は選子内親王のために新しい物語を書くように命じられ、石山寺に7日間の参籠をしました。そして、8月の十五夜に着想を得て、「今宵は十五夜なりけりと思し出でて…」と書き始められたのが『源氏物語』であるといわれます。

十五夜、石山寺には多くの参拝客が集まり、月見を堪能します。
2010年9月22日・23日には「石山寺 秋月祭」が行なわれます。

月見団子を作ってみました!

さて、十五夜にお月さまに供える、月見団子をつくってみました。
白くて丸い、一般的な月見団子に挑戦です。

材料は次のとおりです。

・上新粉  150g
・白玉粉  150g
・砂糖    15g
・水(湯ざまし) 250cc
・塩    ひとつまみ
・片栗粉  適量

※『こどもと楽しむにほんの行事ごはん 自然の恵みと暦をゆったり味わう12月のレシピ』(境野米子 著、学陽書房、2008年)のレシピを参考にしてつくりました。

いろいろなレシピを調べましたが、白玉粉を使わず上新粉のみでつくるもの、また砂糖を入れずにつくるものも多くありました。
今回は、上の材料でつくりました。

(1)ボウルに上新粉・白玉粉・砂糖・塩を入れ、水を少しずつ、何回かに分けて加え、耳たぶくらいのやわらかさになるまで、よくこねます。
耳たぶくらいのやわらかさになるまで、よくこねます
水を少しずつ加えながらこねていると、だんだんまとまってきます。
最終的にはこんな状態になりました。やわらかくてなめらかで、気持ちいい手ざわりです。
水を少しずつ加えながらこねている
(2)これを棒状に伸ばし、15等分します。
1つずつ丸めて、形を整えます。

まな板の面積が足りないので、2回に分けて棒状に伸ばしました。
棒状に伸ばしました
棒状に伸ばした生地(1回目)を、7等分して、1つずつ丸めました。
同じ量に分けるのが難しい!
…結局、大きさに差ができてしまったように思うのですが、さて?
7等分して、1つずつ丸めました
2回目も同じように作業しました。

(3)蒸し器に濡れぶきんを敷き、団子を置いて、20分ほど蒸します。

記者の家には蒸し器がなかったので、パスタをゆでる大きい鍋で代用しました。
団子の大きさ、やっぱりかなりの差が…!
一目瞭然ですが、まあ、ご愛嬌というところでしょうか。
パスタをゆでる大きい鍋で代用しました
20分ほど蒸して、鍋のふたを開けてみると、団子がふくらんでいました!
ふくらんで、団子がくっついています。
蒸す前と、団子の色が変わっています。
蒸す前と、団子の色が変わっています
そして、蒸し器に入れるときには、球状にまんまるに丸めて入れたのですが、蒸しあがったら、球ではなく少し平たくなっていました。重力のせいでしょうか?

レシピによっては、生地を大きい固まりのまま蒸して、蒸した後に団子に成形する、というものもありました。
そうすれば、球状の、まんまるいお団子ができるかもしれません。

(4)蒸しあがったら、手早く団扇であおいでツヤを出します。

手早く団扇であおいで冷ますと、ツヤが出るんですね!
がんばってあおいでみました。一応ツヤが出たかな?という感じです。
団子をさわってみると、表面はつるつるしています。
表面はつるつるしています
代用した鍋のせいか、鍋に入れた水が多かったのか、団子の下の部分が水分を含んでしまっていたので、その部分に片栗粉をまぶして、落ち着かせました。

月見団子、出来上がりです!

出来上がったところで、団子をお供えの形に、積み重ねます。

団子をお供えするための三方(さんぽう)(三宝とも。檜の白木で作った折敷(おしき)を、三方に()り形のついた台につけたもの。神饌(しんせん)を載せたり儀式用の台とする)があるといいのですが、さすがにないので、色の濃いお盆で代用。
お盆に、紙(天ぷら用の敷き紙を使用)を敷いて、団子を並べていきます。

一番下の段に、9個。
二段目に、4個。
…あれ??
そして、一番上に、正面に向かって縦に2つ並べる…ハズなのですが…団子が1個足りません!なんてこと!

いくら探しても見つかりません。

どうやら、団子の生地を棒状にして15等分に分けるところで、うっかり数を間違えたようです。
自分のミスに愕然。「15」という数には、意味があるのに…。

鋭い読者の方は、ひょっとして前の写真でお気づきでしたでしょうか?

1つ足りないと、お供えの形に、うまく積み重ねられない…どうしよう。
困った末、苦肉の策として思いついたのが、コレ。
お月見団子と栗
栗くんに代役を務めてもらいました!
1番下の段の真ん中に入ってもらえば、見えなくなるし。
栗も、お月さまにお供えするものだし、まあ許されるかな、と。

栗くん代役のもと、団子を積み重ねてみました。どうでしょう?
なんとか形になりました!
団子を積み重ねてみました

さて、お供えの形が出来上がったところで。
せっかくの月見団子、お月さまにお捧げしようと思い、お盆を持って外へ出ました。

この日はあいにく曇っていて、お月さまは見えなかったのですが、それでも空へ向かって、手に持ったお盆を上の方に掲げて、気持ちだけでも、お月さまにお捧げしてみました。

そうすると、不思議なもので、そんな間に合わせ程度の状態であっても、”収穫をお月さまに感謝する”という気持ち(記者の場合は作物を作っているわけではないので、どなたかが作ってくださって収穫されたものを、日々いただけているということに対する感謝の気持ち、という感じでした)になりました。

「昔、月の満ち欠けを頼りに、農作業をして作物を作っていたなら、収穫できたとき、そりゃあお月さまに感謝する気持ちに、自然になるだろうなあ…」と、古の人々の気持ちに思いが至りました。

そうしてお月さまにお捧げした後。
… 早速、月見団子をいただいてみました!

丸い団子を、かぷっとかじる喜び。

やわらかく、少しだけ砂糖を入れたので、ほのかな甘みがあります。
そして、ほのかにお米の風味が。
材料からして当然ではありますが、とてもシンプルな味です。
記者は穀物好きなので…そのままでもおいしい!

もち米ではないので、団子がのびることはなく、すぐに噛み切れて、食べやすいです。

それから、小豆を添えて食べてみました。
もちろん、こちらもおいしい!
黄な粉などを添えてもいいですよね。
見た目よりかなりボリュームがあるお月見団子とあんこ
見た目よりかなりボリュームがあるようで、食べて少ししたら、お腹にずっしりきました。
幸せな満腹感です。

もし時間が経ってかたくなってしまったら、オーブントースターで焼いて食べるといいそうです。

改めて、今年2010年の十五夜・中秋の名月は9月22日(水)。
十三夜・後の月は10月20日(水)。

今年は、二夜の月を楽しみたいと思います。
古の人々の暮らしに想いを馳せ、お月さまにお供えものをして、感謝の気持ちを捧げてみようと思います。

みなさんも、いかがですか。

関連記事
ハレの日の旬・ケの日の旬:里芋 ― 日本の食文化と関わりの深い伝統野菜
https://bionet.jp/2019/11/06/satoimo/

掲載写真
向月台写真 : ロリ(クリエイティブ・コモンズ 表示-継承(CC BY-SA) 3.0)
銀沙灘写真 : ロリ(クリエイティブ・コモンズ 表示-継承(CC BY-SA) 3.0)
歌川広重 『近江八景』「石山秋月」イラスト: Hiroshige(パブリックドメイン)

参考資料
・日本の年中行事百科 4 秋・冬 民具で見る日本人の暮らし Q&A(岩井宏實 監修、河出書房新社、1997年) 
・日本大歳時記(座右版)(水原秋櫻子ほか 監修、講談社 編、講談社、1983年)
・年中行事を五感で味わう(岩波ジュニア新書)(山下柚実 著、岩波書店、2009年)
・和ごよみと四季の暮らし 写真でつづる「やさしい」暮らし歳時記(新谷尚紀 監修、日本文芸社、2006年)
・室礼(山本三千子 著、叢文社、1997年) 
・学習に役立つわたしたちの年中行事〔8月〕(芳賀日出男 著、クレオ、2006年)
・大図解 年中行事コツのコツ 4 秋から冬のしきたり(味元敬子 文、リブリオ出版、2007年)
・家族で楽しむ日本の行事としきたり(石田繁美 編、ポプラ社、2005年)
・子どもに伝えたい年中行事・記念日(萌文書林編集部 編、萌文書林、2005年)
・NHK「シリーズ世界遺産100 銀閣寺・孤高の楼閣(古都京都の文化財)」
こよみのページ http://koyomi.vis.ne.jp/